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□それはとても晴れた日で
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きみの眸を見たんだ。

翳りを。
迷いを。
闇を。
澱を。
穢れを。
怯えを。

全て薙ぎ払った後に残る、
あおい、
あおい、
空のような。






アイチが目を開けたら、其処は漠と広く、曖昧な光に満ちている。
視野は、淡い空色だった。

明けた直後のあかつき。
暮れる直前のたそがれ。

混じり合うひかりのつくる、曖昧な蒼。

景色と同じ色の陽射しを受けて、空の色に溶け込むみたいに、紅い髪の少年がいた。
年の頃は、アイチと同じくらいか、少し下か。
華奢なからだと、頬に幼さの残る顔立ち。微笑みが柔らかくて、優しい。
混じりけのない、透明な眸で笑った。
水晶体の奥に、血の色が透ける。

「きみは、」

アイチは問いかけた。
自分の声の響く感じ、それを鼓膜で感じ取ると、振動のうちに微かに潜む、違和感。
此処は、現実でない何かだと、如実に伝える。

「僕は酷く臆病になっていたよ」

うたうように、高くひくく、少年の声音は変化する。

「強さに縋らないと、他になにもない気がしていた」

視線を落とした少年は、ひどくさみしそうに見えた。
何かを、全てを諦めてしまったように見えた。

風が一陣、吹いて。
吹き抜けて。
肩にかかる少年の髪を舞い上げる。
寂しげな目元を隠して、口元の微かな笑みを隠して。

「強さを失えば、他の総ても喪う気がしていた」

アイチは手を伸ばす。
酷く不安定なかれを、捕まえておかなければならない、そんな気がした。

ふたりの間に風が巻く。

指先は。
あと、ほんの少し、届かない。

「僕も、……それは僕だって同じです。
多分、誰もが間違うんだ。
大勢の人が、間違ってきたことなんだ。
間違っても、また、やり直せばいいんだ」

アイチは言葉を続けた。

きちんと伝えないと。
今、きちんと伝えないと。

音もなく風が吹く。
静かな声が、その狭間を縫うようにして、耳に届いた。

「きみは強いね。僕はきみの強さをずるいと思ったよ。
……とても、羨ましかったんだ。あんまりにも羨ましすぎて、認めることが出来なかった。
PSYクオリアは孤絶のちから。僕が寂しいのは、僕が独りきりなのは、誰よりもつよい、この力の所為だと思おうとしていた。なのに、きみは力を否定してなお強く、そして仲間に囲まれてわかり合えて」

俯いた少年の。
目元の翳りの奥で。
夕刻の月のように紅い眸が、ゆわゆわと光る。

「……違います!それは、違います。順序が逆なんです。
歪んだ僕に背を向けない皆が居てくれたから、櫂くんが僕を連れ戻してくれたから、僕は力を否定できたんです」

アイチの伸ばした手が、少年の爪の先に、触れる。
けれど。
逆巻く風の曲線に乗るみたいに、するりとかれは身をかわした。

「だからそれがきみの強さだ。……僕だって、結局いつだって、独りなどではなかったのにね。周りには沢山の人が居て、僕を見て僕を支えて僕を許していた。気付こうとしなかっただけだ。孤独に酔って、自分だけを特別に不幸だと信じて、皆を傷つけた。それは背負うべき僕の罪だ」

「……だから、やり直せばいいんです!僕だって、みんなにごめんなさいって言うのは、とても勇気が要ったけど、……でも、ちゃんと謝ればみんな許してくれて、だから!」

此処は、まるで空の底だ。
蒼い蒼い蒼い、空虚の涯だ。
広くて遠くて漠とした、永遠に似た何処か。

アイチは大きな声を上げて。
それでも、目の前に居るはずの少年に、届いていない気がした。

「ごめんね、」

少年は、酷くあかるい笑みを浮かべた。

「待って!!」

風が吹く。
渦巻くみたいに、吹き付けて、吹き抜ける。
顔の正面から強風をまともに受けて、アイチは思わず目を閉じた。

「ありがとう」

短く、声がする。

……目を開けた。

目の前に居るのは、端麗な美貌の青年だった。
癖のある紅の髪が、風に舞いあがって弧を描く。
漆黒の長衣が、不吉な翳のように広がった。

今まで一度も見たことのない、穏やかな表情で。
真っ赤な眸が、流れ出た血のようだ。

「僕はね、アイチくん。PSYクオリアの力に溺れすぎたよ。心の奥深くまで根を張った力を失って、生き延びることは……多分出来ない」

風が。
二人の、間を抜ける。

風が。
二人の間を、隔てる。

「レンさん!」

酷く静かだ。
此処は、あまりにも静かで。

あまりにも寂しい。

静寂を振り払うみたいに、アイチは叫んだ。

「きみは間に合ってよかった。僕は、」

対するレンは、どこまでも穏やかで。
不吉なほど、うつくしかった。

湖面にさざめく波紋のような声が、一度、途切れる。
ふ、と、軽く微笑むと。

レンは、真っ直ぐにアイチと視線を合わせた。

「……きみが来てくれてよかった」

逆巻く風の向こうから、確かな声音で、言う。

「待……っ!だめです、行かないで、レンさん!」

アイチは叫んで。
叫んで。
けれどその声を、風が、吹き消した。

あおいあおい、空が見える。

アイチは、ぐるりと視野が引っ繰り返るのを感じた。
強すぎる風に、押し流されたのかもしれない。
閉じた瞼の端に、涙が引っかかって零れた。

伸ばした指は、どこにも届かなかった。
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