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□ゼロニーイチヨン、完結編
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*プラス1

メイドさんの格好をした僕が案内されたのは、普段の勉強部屋よりも幅の広い廊下の、ずっと奥だった。
飴色の艶を帯びた扉を開けると、足元がふかふかの絨毯になる。
来賓用の特別エリアだろうか。
僕は来たことがなかったし、だからこそとても特別な場所なのかもしれなかった。

観音開きの大きな扉の前で、案内は終わった。
ここからは、僕、ひとりきりだ。

……失礼のないように。

そうだ、落ち着こう。
緊張して、がちがちになっていてはだめだ。
レンさんに迷惑がかからないように……って、また、僕は彼のことばかりを。
本当に、どうしようもない。

溜息をついて。
けれど顔を上げて、ノックを二回。

「……あの、っ、……今晩、呼ばれた、先導……です」

どう言ったらいいのか、よく、わからなくて。
結局そんな風に、冴えない名乗りを上げた。

ノックをしたら、勝手に入っていいと言われていたから、扉に力をかける。
重たそうに見えた木の扉は、思いの他すんなりと開いた。

「ぅわぁ……」

扉の向こうは夜だった。
天井の高い部屋だ。
突き当たりの全面が窓になっていて、はるか視野の果てまで続く都会の夜景が、反転した星空のように展開している。
照明が抑えられている所為で、室内の様子はちっとも目に入らなくって。
窓の向こう。
煌めく銀砂のような灯だけが、ただひたすらに美しかった。

何をしに来たのかも忘れて、少しの間、陶然と眺める。
東京の空は灰色で、真の闇には程遠いけれど、それでも、眩しいくらいに散りばめられた光の描き出す都市のかたちは浮き上がり、楽土じみて幻めく。

ここではない、どこか。
それが、今、目の前に広がっている。
そんな気がした。

……とけて、きえて、なくなってしまえたら、いいのに。

このあかりの中に。

見惚れながらも、僕は少しだけ、まだ、諦めきれないでいる。
こんなところまで来る前に、ちゃんと気がつけばよかったのに。
レンさん以外のひとは厭、って。
……そう、けれど、レンさんがいい、って、どんなに訴えたって聞いてくれなかったじゃないか。

……あ。
だめ、だ……。

少し、また、泣きたくなってしまった。

ぐい、って乱暴に眦を拭って、僕は室内に目を転じる。
窓の手前にソファセットが置いてあって、硝子テーブルを囲んでいた。
こちらに背を向けた長細いソファの背に、乱雑に脱いだ上着とタイが引っ掛けてある。
照明が窓からの街灯りだけだから、ソファと衣服との色味は、溶け合ってしまって判然としなかった。

姿は見えないけれど、……多分、 その向こうに寝ているか、崩れた姿勢で座っているかする人が、……今晩、僕を抱く相手だろう。

急に、また、緊張が襲った。
僕はチョコの入った小箱をぎゅって握りしめて、気を散らす。
レンさんに似合いそうな、なるだけ大人っぽいパッケージのを……選んで貰ったんだ、母と妹に。ひと箱にみっつしか入っていないちっちゃいチョコなのに、僕のお小遣いだと二カ月分以上だった。

黒い箱に、真っ赤なリボン。
包装は僕が決めた。
レンさんのことしか考えてなかった。
誰か、他の人にあげるだなんて。
……全然。

「……あの、……先導です、……お待たせしまして、申し訳ありません」

見えない相手に、声をかける。
向こう側に回った方がいいのかな……でも、許可も貰っていないのに、あんまり部屋の奥に入るのも……。

僕は所在無げに、ただ、立ち尽くした。
ソファの向こうで、身じろぎする気配がある。

僕を抱く誰か。
僕を……レンさんから決定的に遠ざける、誰か。

誰もいなければいいのに、って、少しだけ期待していた。
僕は……どこまでも、甘い。

「待ちかねたよ。随分とゆっくりだったね」

とろん、と。
気怠げな声が、ソファの向こうから聞こえる。

……え……!

鼓動が、煩いくらい急に加速した。

……どくん!
とく、とく、とく……。

頬が、これもまた急に、熱くなる。
だってとても聞きなれた声で。
だってとても馴染んだ調子で。

乱雑に解かれた癖のある深紅の髪は、それでも豪奢なたてがみのようだった。
顔に落ちかかる分を、指の間に梳いて。
煩わしげに掻き上げる仕草も、僕には見慣れたものだ。

髪を肩の後ろに払いながら起き上ったレンさんは、白いシャツの襟元を寛げて、随分と力の抜けた様子だった。
さっきまでのきっちりとした着こなしでは見えなかった、鎖骨や項のラインが凄く綺麗で……視線が吸い寄せられる。
なにからなにまで美しい、レンさん。
僕の理想のひと。

……ああ、もういっそ。
きらいに、なれたらいいのにな。
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