Works
□DC/男子・中二
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櫂が校舎裏の部室に着いた時、テツは独りで大型の書棚を動かし、埃の溜まった床を掃除していた。
大掃除か、そうだな冬休みも近い。休みになると塾の冬季講習が連日入る為、なかなか部に顔を出すこともできないだろう。
納得して、櫂は掃除用具入れのスチール扉に手をかけた。
「あとは」
訊く言葉は短い。
「窓を頼む」
応じる言葉もまた、短かった。
櫂とテツでは常に会話はこの程度だ。だからといって不仲なのではなく、毎日放課後になると連戦するファイトそのものが言葉よりも深い交流であるとも言えた。
レンは、とこれまた短く訊くと、日直だ、と短い答が返る。
「……手伝わなくていいのか?」
「流石に余所のクラスにまで手は出せんだろう」
「そうだな」
櫂は黙々と硝子を拭いてゆく。さして広い部室でもなく、てきぱきと内側を終えて雑巾を洗った。
あとは外、と、窓を開けたら、びうと耳元で風が鳴って、旧式のストーブで暖めた空気が、みんな吹き飛ばされてしまう気がする。
冬の匂いがした。
そういえば、校庭の桜もいつしか揃って葉を落とし、冬枯れの様相を呈している。
随分と時が経った。
出会った頃は、皆、子供だったな。
今は……。
テツを思い、レンを思って。
「ひとつ訊きたいことがある」
櫂は、大型の書棚に隠れて姿の見えないテツに、問いかけた。
「なんだ」
相変わらず、応答は短かった。
「……、」
櫂は、珍しく言い淀む。
逡巡に似た沈黙の後、口火を切った。
「……その、」
普段と違う櫂の言動に、テツは不審げな顔をスチール棚の陰から覗かせた。
「珍しいな。そんなに言いにくいことか」
「……いや、下らないことなんだが、」
「言ってみろ」
「ほんとうに下らないぞ」
視線が合うと、ふい、と逸らす。
テツは無言で、あくまでも櫂が言葉を続けるのを待つようだった。
櫂は、沈黙の長さに押し出されるように、ひくい声音で言う。
「お前はキスの仕方を知っているか」
二人の間に、北風が吹き抜けた。
びゅぉ、と大きく鳴ったから、聞き間違えたかもしれない。
テツはしげしげと、あらためて櫂の様子を観察する。
頬が紅いのは、冷たい風のせいではないのか。
「そんなの俺が教えてやるぜこうだぶちゅー、という展開を期待しているのか?」
前半を恐ろしいほど平坦な棒読みで繋ぐ。
テツも混乱しているようだ。
「……!……いや、そういう解釈もあるのか。すまん、違う」
「……謝らなくていい」
二人の間に流れる、微妙な気まずさをさらうように、ごおごおと風が吹く。
書棚の中から古びたプリントが飛び立つのを、テツは背伸びをして捕えた。
櫂は拭き終えた窓をぴしゃりと閉める。
空気の流れが途絶えた。
沈黙が、際立つ。
「言われたんだ、その、……やり方を知らないのか、と」
櫂は珍しく、躊躇いがちに言葉を切る。
視線を意味もなく泳がせて、床の継ぎ目を辿って、意を決したように顔を上げた。
「普通は知っているものなのか?俺はそういう動画なんかも見ないから、……遅れているのだろうか」
「いや、別にそうでもないのでは」
問う櫂の語調も、答えるテツの調子も、なんだかすんなりといかない。
噛みあっているのかいないのか、どこかずれた会話が続く。
そういえば、随分と長くつるんでいるのに、この種の話題は初めてだった。
もはや子供でもないのだ、と。
どちらからともなく、感慨の言葉が出た。
「そういうことは、俺よりレンに訊け」
「いや、レンは、……その、」
櫂はぎくしゃくと言い淀む。
それから、取ってつけたように言葉を足した。
「……こういう相談は余所に漏らして欲しくないとか、微妙な空気が読めないだろう」
「そんなもの、口外するなと頼めばいいだけだ」
「わかった。今度、訊いてみる。……レンは馬鹿に遅いな」
櫂の方から話題を変えたから、テツはこれでこの話は終りでよいのだと、見当をつけたのだろう。
墨汁でもひっくり返したりしていないといいな、と櫂の言葉に、思い当たることがあったのか、蒼くなって迎えに出て行く。
ひとりになった部室の中は、妙にがらんと広かった。