Works

□色硝子一等星
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(レンアイ前提レン櫂)



夕刻。
放課後。

櫂が、マンションの玄関扉を潜る。

「ただいま、」

短く言うのは、最近の習慣だった。
独り暮らしを始める前も、叔父叔母はこの時間には家にいなかったから、無言で帰宅する毎日だったのだけれど。

二か月ほど前から、再々、家に顔を出す友人がいて。
ねだられて、せがまれて、乞われて。
ついに相鍵を手渡したら、毎日のように先に上がり込んでいるもので、声をかけるのが常態化している。

「……何をしているんだ」

その、友人。
雀ヶ森レンは、上がり框に長身を預け、靴も脱がずにだらりと伸びていた。

マンションの常で、北を向いた玄関先は、この時間になれば陽も当たらない。
ひんやりと冷たいフローリングに頬をぺったりとつけたまま、レンは寝入っているようだった。

かなり着崩してはいるが、漆黒のブレザーは、彼の通う高校のもので。
鞄も隣に放り出してあるところを見れば、朝からここで寝ているというわけでもないだろう。

靴を脱ぎながら声をかけると、むにゃむにゃと寝起きじみた声をたてる。
寝返りをひとつ打てば、癖のある深紅の髪が、漆黒の背に流れた。

「ぁ、……櫂―、おかえり……、」

転がったままの姿勢で、レンは半目を開けて櫂を見上げる。
目が合えば、薄い唇に笑みのかたちが刻まれた。

「こんな所で寝るな」

「どこで寝たって、僕の好きにさせてよ」

「風邪をひく」

「……心配してくれるんだ。櫂は優しいね。櫂に優しくされる為だけに、きっと僕はここに転がっていたんだよ」

身を起こせば、長い髪が。
額に。
目元に。
頬に。
波打って落ちかかる。

レンは気怠げに溜息をつきながら、ざっくりと髪を掻き上げて、傍らに立つ櫂の両脚に抱きついた。

「馬鹿なことをしていないで、行くぞ。靴くらい脱げ」

その手を振り払いはしないけれど、動作を止めることもしないで。
櫂は脱力したレンをぶら下げたまま、下駄箱の上に鞄を置いて、スリッパを引っ掛ける。

「櫂が冷たい。けれど、僕はきみのことが大好きだよ」

「いいから上がれ。話なら奥で聞く」

「櫂は僕のあしらいが随分と上手くなったけど、本当ならここで髪を撫でたりすると百点です」

「お前は猫か」

呆れ顔の櫂は、それでもぐだぐだと纏わりついて来るレンの髪を、軽く撫でて。

「にゃぁ」

レンは実に嬉しそうに、目を細めた。
櫂の後ろについて、というよりは、櫂の背中を抱くようにして短い廊下を進む。

ワンルームマンションのリビング兼寝室は、いかにも男子独り暮らしの風情に満ちた殺風景で。
真四角の部屋の中に、そもそも色数が極端に少なかった。
突き当たりの掃き出し窓にかかったカーテンだけが、初夏を思わせるブルー、あとは白い壁に黒いソファとガラステーブル、造りつけのクローゼットも扉が白で、モノトーンを基調に揃えたと言えば聞こえはいいけれど、無頓着の結果とレンは見ている。

片付いている、というよりは、物そのものが少ない。
壁にかかった私服と、テーブルの上にカードの束がいくつか。
家具に収納しきれていないのは、僅かにそれだけだ。

窓からの光だけで、部屋の中は充分に明るい。
残照の暖色が照らす中で、レンはソファの上に倒れ込むと、座った櫂の腰を抱いて、膝の上に頭を乗せた。

「離せ」

「……やだよ、」

「珈琲を淹れて来る」

「僕は要らないけれど、櫂は飲みたい?」

「俺は別に」

「なら、このまま櫂とくっついていたい」

「駄目だ」

「好きだよ」

「レン。……参っているのなら、珈琲と甘いものでも摂取して落ち着いた方がいい」

「……櫂に触れているのが、一番落ち着くよ」

レンは手を伸ばして、櫂の頬へと触れた。
指先が導くように、視線も自然とそちらに向いて。

揺れる、深紅と。
静かな緑翠が。

互いに絡んで。
見つめ合う。

「きれいだ」

短く言って、身を起こした。
並ぶ高さで、また。
ひた、と、視線を固定して。

目を閉じることもなく、レンは櫂の肩に手を置く。
体重をかけるようにして、柔らかなソファの上に押し倒した。

あくまでも、目を合わせたまま。
櫂の湖水に似た眸の奥に、深淵を探すかのように。

そのまま。
衒いのひとつも覗わせぬまま。

唇を、落す。

……触れる。

短い、キス。

「……止せ、」

櫂は、その先を拒むかのように、手の甲で唇を覆った。

「どうして?」

指を絡めるようにして、レンがその手をどける。
微かに力が入るのを、封じて。
頭の上に、左右をひとまとめに押さえつけた。
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