書店

□雨に駆け出せ
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雨が降っていた。
真冬の冷たい雨が降っていた。

今日も、まばらな客のあいだに、ラブソングが流れる。
こんな日にライブハウスにいるのは、冷たい雨を避けるために、ただ立ち寄っただけの客だろう。
突然、ドアの辺りが騒がしくなる。
視線をやれば、忘年会がえりと思しき男たちの集団だった。
どうやら、ただのバーと間違えて入ってきたらしい。
店員に言われ、それぞれがドリンクを頼み席につく。席についたところで、再び大声で話し始めた。
とても、演奏を聞く雰囲気ではない。
中の一人が、ステージ上の彼らに気づいた。
「おう、兄ちゃんたち、ハワイアンやれ!」
「真冬にハワイアンはねぇだろ」
仲間の声に、けたたましい笑いが起きる。
「じゃあ、裕次郎だ、銀恋!銀恋!」
「知らねぇよ」
ぼそり、と高見沢が呟いた。
その男は立ち上がって女性客に近寄る。
「姉ちゃん、オレとデエットしようや」
そうとう酔っているのか、呂律が回らない。
女性が無視しているのにも気付かず、しきりに腕をとって立たせようとする。
「止めてください!いやがってるでしょ!」
彼女の友人らしい女性が声をあげた。
「姉ちゃんじゃねぇよ、こっちのお姉ちゃんを誘ってんの」
「お嬢さんはお呼びでないですよ〜」
調子にのった酔っ払いたちが彼女をからかう。

がしゃん、と大きな音がした。
ステージ上では、坂崎と桜井が頭を抱えている。
彼らが止めるのも聞かず、高見沢がステージを降りその男に殴り飛ばしたのだ。
「なんだ、テメェ!」
他の酔っ払いが加勢する。
怒鳴り声と、グラスが割れる音。
女性の叫び声。


「高見沢、大丈夫?」
「まぁ」
口の端をおさえながら高見沢が答える。
坂崎が店から貰ってきたタオルと氷で傷口を押さえた。
「口、切っちまったか」
「ああ」
「しゃべらないほうがいいよ」
桜井が煙草に火を付け、空に向かって煙を吐き出した。
「またハデにやったなぁ」
「だって」
「ま、見てる方は気持ちよかったけど?」
「坂崎!煽るな」
「桜井、俺も煙草」
「平気なの?」
「かまうか」
ふう、と煙を吐き出した空は真っ暗だ。
都会のネオンで星なんか見えない。…そもそも、ネオンなんか無くても、今日は見えないだろうけど。
「あそこ、もう出入り禁止かなぁ」
足元の小石を蹴って坂崎が呟いた。
「…仕方ないだろ」
「酔っ払いを放っとく店なんて、こっちから願い下げだ」
強がりを言ってみたところで、自分たちが演奏できる場を失ったことに変わりはない。
肩にしたギターが、ずしりと重くなった気がした。

ぽつり、と空から冷たい雫が落ちてくる。
「ああくそ」
たちまちそれは大粒な雨に変わった。
桜井と坂崎は雨宿りできそうな場所を探す。
「走るぞ!」
「えぇ!?」
高見沢の言葉に二人は目を丸くする。
「駅まで走っぞ!ビリは酒奢ること!」
言うが早いが、高見沢の脚は地面を蹴った。
「あ!高見沢ずるい!」
坂崎が後に続く。
「ちょっとまてよ!」
桜井が慌てて二人を追った。ベースにアンプを持つ桜井は、圧倒的に不利だ。
「お前ら、ちょっとまて!」
「ヤダよー!」
「俺、ビールだな!」
暗い路地に三人の声がこだまする。
桜井も、坂崎も、高見沢も、ただひたすらに走り続けた。
深い闇に吠えながら。
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