ばいばい、まいさい
□優しい瞳がまだだと言った
1ページ/1ページ
今が幸せだったと知っている。
後のことなんて考えもしないから。
ひだまりが此処で私と一緒に居たから。
"ひだまり"は私にとって本当に必要なの。
だってそれ以外のことは、私には何の意味もないものだから。
自分のクラスへ向かい、教室に入る。
おはようと声を掛けてきた人たちに同じように返す。
まず、自分の隣の席の友人が女子二人に遠慮気味に話し掛けられている様子が目に付いた。
他クラスの人だろうか。まぁ、そうだろう。
「おはよう、赤司」
「おはよう、みょうじ」
タイミングがいいね、みょうじは。
隣の席の赤司が、机に肘を付いたまま私の方を見やる。
赤司におずおずと話しかけていた二人の女子生徒のうちの1人は、同じ学年で、確か1組の学級委員をしている子だ。
同じくこのクラスで学級委員を務めている私と赤司に伝言があって伝えにきたらしい。
確かにナイスタイミングだった。
私が介入したことにより不安感が薄れたのか、その子は安堵した表情を浮かべる。
分からないでもないよ。
赤司と面と向かって喋る緊張感は、結構なものだからね。
今は慣れてしまって、何も感じないけど。
いや、寧ろ好ましい雰囲気だ。
「やっぱり緊張されちゃうね」
「何故だろうね」
多少の自覚はあるでしょう。
赤司の中学生とは思えない凛とした佇まいに、肩を竦める。
「みょうじは、そうでもないな」
私の方を見て、面白そうに微笑む。
赤司は表情の一つ一つが年不相応だと心底思う。
「またそんなこと言って。緊張してたの分かってたでしょ」
―始めて赤司と、正式に言葉を交わした時。
…同じ、学級委員になった時だ。
二人とも成績が上位にあったということが決め手だった。誰もなりたがらなかったから仕方ない。
彼が出す何とも言えない圧迫しそうなオーラに、随分緊張感を持って会話を続けていたものだ。
同じ"バスケ部"ということや、黒子という共通の知り合いがいたことで、関わり始めたころはそれでなんとか間が持ったという感じだった。
けれど、それは日を重ねるごとに楽しくなっていた。
「お前もよく言うよ。全くそんな風には見えなかった」
ほんとだって。
だって赤司、何もしないでも威圧感が出てんだもん。
関わってみたら、想像外に接しやすい奴だったけど。
ていうより、話の馬が合うというか。
でも、ほんとに。
今ではこんなに穏やかな目を私に向けているのに、あの時は何故あんなに圧迫されていたのか。
分からなくなる。
「修学旅行、もうすぐかぁ」
「早いな」
赤司はクラスの中では最も仲の良い…いや、話す人物だと思う。
「ね。学級委員、働かされるんだろうな」
私も赤司も、クラスメイトの輪の中に入っていく気がないのだ。
投げかけられた質問にはするべき返事をして、業務的な会話をするばかり。
「実際、そんなに仕事はないと思うよ」
その方が、楽だった。
「ん〜。ま、赤司と一緒なら大丈夫か」
赤司と、
ただ、彼らと一緒にいるのが楽で、楽しくて、好きだったからこうしてる。
今も、騒がしい教室の中で二人でぽつりぽつりと会話をする雰囲気が、好きだ。
優しい目を一切変えることなく会話する赤司に、ヘラと笑えば、 酷く懐かしい笑顔を赤司は浮かべた。
彼は、こんなに笑う人だったか。
「そういや修学旅行の後はバスケ部合宿だったっけ」
「ああ。頼んだぞ、みょうじ」
へばるなよ。
腕をつくなよ。
私には赤司の"頼む"の言葉が、そう聞こえた。
休む暇はないということだ。
私たちにとっても、合宿が決してお遊びじゃないってことくらい、
どんだけ想像を絶するハードな戦いかってことくらい、
今までで痛感してるって。
いや、でも一つだけ。
バス酔いが、心配だ。
修学旅行でもバス、
合宿でもバス。
バス、バス、バス。
バス三昧だなぁ。
「………」
合宿。
バス。
私の中に、そこまでかというくらいのどこから来るかも分からない、不安が募った。
不安。
いつかくる死に対して漠然とした大きな大きな不安を抱えるような、そんな気分。
何故?
バス酔いがそこまで不安なの?
まさか、違う。
なんだ、ろう。
なにかを、忘れている気がする。
「みょうじ」
思考を遮った赤司の声に、ハッとする。
「具合でも悪いのか?」と心配した面持ちで聞いてくる赤司に、自分はどんな顔をしていたのかと。
というか何で急に具合悪くなってんだ…。
「大丈夫」と答えると、彼は「そうか」と微笑む。
ん?さっきまで何考えてたんだっけ…。
ん〜。あ、
「私、今日こそ紫原に正しい箸の持ち方伝授するよ」
私の言葉に、たくさんの安堵を吐き出し、笑う。
「健闘を祈るよ」
赤司の目は、雰囲気は、ひどく、優しかった。
NEXT