日常の末端

□HOMEBOY
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「くれはちゃん!」
 小学校の二年生の教室全体に声が響く。くれはと呼ばれた女の子は、厚い本から顔を上げて声の主を探す。


 呉葉が見つけ出せずにいるのをいいことに、声の主は呉葉の席の後ろに忍び寄り、いきなり手のひらで視界を塞ぐ。

「ひでみ。どうしたの?」
 呉葉は冷静に、自分の目の前を暗くしている秀美に問いかけた。
「おにごっこ」
「は?」
 背中からぼそっと吐き出された単語に、呉葉は眉を寄せた。
「先生がさ。天気のいい日はお外で遊びましょう、って」
 呉葉の視界を解放し、正面に回ってきて、目をきらきらと輝かせながら秀美は続けた。
「もう、ゆうたもみんなも待ってる。行こう!」


 秀美は呉葉の手をつかんだ。
「ちょっと待って。今本読んでるの」
 秀美は手を振り払われたが、そんなことは気にしなかった。

 呉葉は大体いつも一人で本を読んでいる。友達がいないわけではないが、極端に少なかった。かといって嫌われているわけでもない、いわゆる空気のような存在だった。

 秀美は呉葉を空気として扱わない唯一の存在であって、秀美がそうあるのは呉葉の家がすぐ隣にあって、ゼロ歳から一緒に居たせいかもしれない。そして、呉葉は秀美と一緒にいるときだけ、クラスメイトにとって空気以上の存在となった。

「はい。あと五秒ね!」
 ぶぅ、と頬を膨らませて秀美が言う。呉葉はそれを見ると、もう、めんどくさいなぁ。と呟いて、本にしおりを挟んでたたむ。
「ほら、行くよ!」
「ちょ、ちょっと……」

 秀美は呉葉の腕を取って走り出した。
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