短編
□下手くそなキス
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「おい名無しさん」
「はい?」
針仕事をしている時、不意に夫の蛍さんに名前を呼ばれて振り向けば胸ぐらを掴まれた。
いつもひょっとこのお面に隠れて見えない、意外と端正なつくりの顔が勢いよく迫ってきて、がつん!と前歯に衝撃と激痛が走った。
「〜っ!!」
「いってぇっ!」
しかもそっちも痛がっているし。
私の前歯、折れたのではないかしら?と涙目になって確かめる。よかったある。この歳で歯抜けだなんて冗談じゃない。
この人がとんでもない癇癪持ちで、とてもとても面倒な性格であることを承知で結婚したけれど、さすがに文句を言おうと蛍さんの頭を一発叩くと目を剥いて怒鳴り返してきた。
「何しやがる!?」
「こっちの台詞です!針仕事中にちょっかい出すだけじゃ飽き足らず頭突きしてくるとかなんなんですか!?歯が折れるかと思いましたよ!?」
「馬鹿かてめぇ!女房に頭突きする馬鹿がこの世にどこにいやがる!」
「いるでしょう!私の前に!」
「してねぇ!」
可笑しい人だとは思っていたけれど
たった今自分がやったことさえ忘れるなんて、やだ私の夫ついに・・・?と不安と憐憫の眼差しで見ていると、その目をやめろ、とさらに怒り狂う。
「あのね蛍さん、私はあなたの妻ですから多少のことは大目に見ますが」
「見てねぇだろ!太鼓か何かみてぇにばかすか殴りやがって!」
「話の腰を折るんじゃありません。大目にみてそうなのだと自覚してください。
話を戻しますけど、大目に見ますが他所に人に同じようにするんじゃありません」
「するわけねぇだろ気色わるい」
はた、と会話が噛み合っていないことに気付く。
「蛍さん私に頭突きしたんじゃなかったら何しようとしたんです」
「お前が言ったんだろうが。口を吸えだの吸わねぇだの」
「・・・あれ口吸いだったんですか?」
「何が良いんだこんなもん。いてぇだけじゃねぇか・・・」
蛍さんはぶつくさ呟き、またお面を被って拗ねて向こうを向いてしまった。
この人は見ての通りこうなので、床でもあんまり口を吸ってくれません。それが寂しい、してほしい、とねだっても、うるせぇ、って向こうを向いてしまうのです。
照れ臭いだけなのだとはわかっていますが、それでもやっぱり寂しいものは寂しいなぁ、と思っていたのですがどうやらこの人なりに気にはしていてくれたよう。
とてもめんどくさい人だけれど、こういうところがあるから三行半書けないんですよねぇ・・・。
蛍さんの正面にまわって、お面を少し上にずらして私の方からしてみました。
「あんなに勢いよくやらなくていいんですよ。こうやってちょっと触れるぐらいで十分なんですよ」
「そうかよ」
蛍さんはお面を直して立ち上がり、また仕事場に戻って行きました。
ええでも、私には耳が真っ赤になっているのが見えていました。
やだ、もう私の夫可愛い。