短編

□不意打ちのキス
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「玄弥君。お姉さんと遊びまへん?」

くすくすと艶やかに笑い、肩で切り揃えた髪を揺らし、紅を引いた唇を持ち上げ女が笑う。
同年代の中ではがっしりした体格の玄弥の胸板を人差し指で撫で、上目遣いで覗き込まれた玄弥はバクバクと心臓が破裂しそうで、頭は女の色香でぐらぐらと沸騰しそうだった。

「あ、あのっ、ななしさん・・・!?」
「あらまぁ、他人行儀やねぇ。名無しさんでええよ?」

呼べるわけがない、玄弥は内心で叫ぶ。
ななし名無しさん。階級は柱に継ぐ甲で、風の呼吸の使い手であり、玄弥の兄、実弥の継子。
高い実力とたおやかな京言葉と物腰に反して、甘やかな悪戯っぽい仕草が男達の心をかき乱すことで有名な、玄弥の手には届かないような女。
いわゆる年上のお姉様というやつである。
そんな女が何故自分を茶屋に連れ込んで隣に座って、にこやかに笑っているのか。遊ぶ?何をして?
思春期真っ只中の玄弥の脳裏に浮かんだ色っぽい光景、しかしすぐにこの女は兄の部下、変なことをしたら殺される、と今にも崩れそうな理性を総動員させた。
ガチガチに緊張して固まってしまっている玄弥に対し、名無しさんは

「まぁ真っ赤んなって、可愛いらしおすなぁ」

と、ころころと笑っている。

「ななしさん・・・」
「名無しさん」
「え、いや、その・・・」
「次は返事せぇへんよ」
「名無しさん、さん・・・」
「はぁい♬」

すっ・・・と細められた目の温度が冷たく鋭くなり、本気だ、と玄弥は色香に戸惑ったそれとはまた違った緊張に見舞われた。
反対に玄弥に名を呼ばれた名無しさんは頬を紅潮させながら、はにかむように微笑んだ。

「ふふっ、やっぱええもんやねぇ可愛ええ子に下の名前呼んでもらうんは」
「そッスか・・・あの、ここに俺といること、兄ちゃん・・・風柱は知ってるんですか・・・?」
「んーん?知らんよ?継子やからて一々お師匠はんに言う必要もあらへんし。
それに逢瀬に行くんで今日は出かけますー言うてみ?そらもう、鬼も裸足で逃げだすよな怖いお顔で、腑抜けたこと抜かしてんじゃねぇ!って怒鳴られますわなぁ」

こわい、こわい、と口では言うものの、名無しさんは満面の笑みを浮かべている。
何故、兄はこの女性を継子にしたのだろう、実力主義だからにしてもおそらく相性はさほど良くなさそうなのに、と玄弥は思う。
というか、逢瀬、と言っただろうか今?

「男と女が二人きりで会うて、どちらかに恋情があればそれはもう逢瀬と言うてええんとちゃいます?」
「れ、れん・・・!?俺に・・・!?」
「前から玄弥くんのことええなぁ、可愛いらしなぁ、思てたんよ」

まずそこからしてわからなかった。
自分は呼吸も使えないし、階級も名無しさんに及ぶべくもない。
性根はどうあれ、風柱・不死川実弥の継子に選ばれた名無しさんの何が琴線に触れたというのか。

「んー・・・最初はなぁ、まぁ呼吸も使えへんのにようやるわ、ぐらいにしか思てへんだんやけどね。
手脚残っとる内に辞めてしまえばええのにて。
でも必死こいて食らいついてる君見てたらな?なんや無性に応援したなってしもたから」

思いもよらない言葉に、玄弥は名無しさんの顔を見つめた。
名無しさんはからかうような蠱惑的な笑みではなく、優しく見守る姉のような眼差しを玄弥に向けたあと背後に立ち、後ろから玄弥を抱き締めた。

「お姉さんは頑張ってはる子の味方やさかいね」
「っ・・・!ありがとうございます・・・」

見てくれている人がいた。それも、兄に一番近いであろう人に。それだけで玄弥は嬉しくて、思わず泣きそうになってしまったが、慌てて袖で拭った。

「あの俺、今日はもう帰ります」
「あらもう?でもそやね、お土産のおはぎも来たことやし」
「帰って鍛錬します。名無しさんさんありがとうございました!」
「待って、忘れもの」
「え?」

綺麗なお辞儀をして、走って帰ろうとしたところを呼び止められ、振り向いた玄弥の頬に名無しさんの唇が触れた。


不意打ちのキス
 

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