甘き香り、陽炎に似て

□鍵盤
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ぽん、ぽろん、ぽん♪

人差し指で、鍵盤を叩く。
その楽器は、思いのほか重くて、彼が弾くような音はなかなか出ない。

「どうした」
「わ、アイズくん、勝手に触っちゃってごめんね」
「構わない」

部屋に入ってきたアイズくんは、ピアノの前に立つ私を一瞥すると、静かに隣にやってきた。
椅子を引いて、当たり前のように座る。
触れるほどの距離に、離れるタイミングを逃した私は、思わず固まった。

「どうした」
「え、いや、どうもしないよっ」

声が少し上擦ってしまう。
彼は不思議そうな顔をしたけれど、何も言わずにピアノに向き直った。

「ねぇ、何か弾いてよ」
「リオは弾かないのか?」
「あたしは弾けないよぅ」

へへ、と苦笑すると、ふいにアイズくんの手が私の手に重ねられる。
ひやりとした綺麗な指先から、目が離せなくなった。

「弾けない、と言っていたら誰だって弾けるものではない」
「わ、え、ちょっ…」

そのままの状態で彼が、ぽんぽん、と鍵盤を叩く。
その音は、私が一人で弾いていたときとは比べ物にならない程、澄んだ高い音だった。

「…何か、妬けちゃう」
「何の話だ?」
「同じ楽器なのに、アイズくんが弾くと、全然違う音がするんだもん」

むぅ、と口を尖らせると、指を止めないまま、彼がふわり、と笑った。
銀の細い髪が揺れる。
柔らかそうな、その髪に触れそうになる度、鼓動が指から伝わりやしないかと、余計にどきどきした。
ヤキモチの対象だったピアノにも、今は少しだけ、感謝しよう。



『けんばん』


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