セピア色に滲む光に

□散る雨まとひて
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「見て直也、前の人の傘」

赤毛の友人に耳打ちされて、彼の視線を追う。
数m前方で揺れるビニール傘には、これでもかとばかりに桜の花びらが貼り付いていた。
しとしと降る雨に流されることなく、白っぽいビニールに春が咲く。

「春満喫を独り占めって感じよね〜」
「総和、羨ましいの?」
「真似したいかどうかは考え物だけど、風流っぽいじゃない?」
「…確かにね」

総和の言う“っぽい”が、妙にハマる気がして、笑ってしまう。
当人に聞こえてしまわないように、口を手で覆っていたら、目の前に横断歩道が迫っていた。
信号は赤だ。当然のように、噂の彼に追いついてしまう。

「…あら、秋ちゃん?」

弾んだ総和の声に、何故か胡散臭そうな顔で振り向いた『彼』は、目が合った瞬間、ぱっと破顔した。

「直也!元気?」
「うん、秋も元気そうだね」
「まーね」
「まぁ、このワンパクな傘で元気ないって言われても、説得力皆無よね〜」
「あ、こぼーずさん」
「総和よ、秋ちゃん。ちょっと会わなかっただけで、あっさり忘れちゃうのね」
「僕の記憶容量にも限界はあるもので」
「できれば優先順位を、もう少し上げてもらいたいところなんだけど」
「残念ながら、省エネ主義なんです」

秋の台詞に、ぴたり、と返すのを止めた総和が不意に、にっこり笑って傘を傾けた。
その先には花びらまみれの傘があって、ぼすっ、とビニール同士のぶつかる鈍い音が響く。

「うわぁ、そーわさんったら、野蛮〜」
「頭上に、こんなお花付けた子が、どうしてそう悪意を感じる物言いするのかしら」
「そんなギャップにやられるデショ?」

気取った言い方をしながら、総和の傘を押し返す。
素直に傘を戻した総和は、傾けている間に雨粒の掛かった頭を軽く払った。

「その傘の桜は、わざとなの?」
「あぁ、これ?」

若干小声になりながら聞くと、嬉しそうな笑みを浮かべた秋が、くるりと傘を回す。
内側からだと、花びらのピンクが濃くはっきり見えていた。

「花見の残り香に御座います」

いいだろ?と笑った秋が、歩き出した意味に気付くまで時間が掛かった。
あっさりと横断歩道を渡り切った秋は、少しだけ振り向くと、ひらひらと手を振ってくる。
何か言っていたのかもしれないけど、濡れた道路を走る車に、すべて掻き消されてしまった。

「あらやだ、信号変わっちゃったわね〜」
「大人しく待つしかないよ」
「秋ちゃんったら、白状なんだから」

ぼうっとしてしまったのは、総和も一緒だったようだ。
口では文句を言っていても、きちんと秋に手を振り返しているのが彼らしい。

「ところで直也、ちょっと聞いてもいいかしら?」

すぐ先の角を曲がった傘が、すっかり見えなくなってから、総和が呟く。

「桜の匂いって、どんなだったかしらね」
「…え?」
「桜餅は葉っぱよねぇ。あれはただ、葉っぱの匂いって感じだったと思うのだけど」
「花の匂い?」
「ワタシ全っ然ピンと来てないんだけど、直也は想像できてる?」
「……全っ然」

ふ、と2人同時に吹き出したのと同じタイミングで、信号が青に変わった。
グレイの空とビルを背景に、街路樹の桜はまだ辛うじて花を残している。


 ≪Fin.≫
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