♪ dream

□2 お礼の気持ち
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「名前ちゃん、
今日からしばらく一時間早く店に出てもらって、
一時間早くあがってもらうことはできるかな?」


名前が働いているパン屋の店主が、
店の奥から顔を出してそう告げた。


「はい、大丈夫ですよ」


サッカー台を布巾で拭いていた手を留めて応える。

店主の真意が読めなかったため、
名前が不思議そうな顔をしていたことに気づいた店主は


「いやね、最近ここらで露出狂が出るんだと。
ついさっきもテレビ局が取材に来てたよ」


と訳を告げた。


「物騒ですね。テレビ局まで来るとは…」


「もしかして、娘ちゃん映ってるかもね」


マスクの下に隠れて見えないが目じりが少し下がって、
店主が笑ったのが分かった。


「え、はずかしい。どうしよう」


名前が咄嗟に前髪をちょちょっと撫でつけると、
店主は野太い声で笑った。


店主は数年前まで雇っていた器量が良い看板娘を思い出した。

確かに道を歩けば若い男なら
声をかけずにはいられない容貌を持っていたが、
気立てとなるとてんでダメだった。


「何でも日が暮れてから出没するらしい。
さっき家内と話し合って、
うちの看板娘が変な目にあっちゃ大変だってぇことで
一時間早くあがってもらうことにした」


「店長も奥さんもいつも心配していただいて…。
本当にありがとうございます」


大通りから一歩入った閑静な住宅街の中にあるこの店の客は
ほとんど奥方である。

その器量良しの娘は男の扱いには長けていたが、
女性客と喧嘩をする始末。
代わりの子を…と思い、店員を募集していたとき、
渡りに船で名前ちゃんが来てくれたのだった。


深々と頭を下げる名前を見て、
船は船でもこの店の救護船だと思った。


「ほら、いまも真選組がそこらへんをうろうろしてるだろ。
何かあったら大声あげるんだよ」


店主はまるで娘に言い含めるように念を押した。


「…はい」


名前は、今もパン屋の外を
巡回していく「真選組」と書かれたパトカーを
複雑そうな顔で見つめた。
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