♪ dream

□2 お礼の気持ち
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山崎は震える紙片を片手に携帯電話の数字ボタン押した。

親指が発信ボタンを前にして震える。


「――くっそ」


ついに発信ボタンを押せず、電話を放り投げた。

文机に肘をつき、気持ちを落ち着かせる。

じっと壁を見つめ、胡坐のまま貧乏ゆすりをする。

そんな冴えない自分に嫌気がさして溜息をついて畳に横になる。

横になると携帯電話が視界にはいる。


「あー、もう」


携帯電話を手に取る。

そしてまた、
左手に名前の名と番号が書いてある紙を手にして、
右手でボタンを押すのである。

山崎が名前に電話をするという決心を固めてから
もう二時間もずっと同じことを繰り返していた。


「よし!」


手汗でべとべとした親指がついに発信ボタンを押した。


****************



すべては、今朝土方の部屋に呼ばれて、最近、仕事のミスが多いと説教されたことから始まった。


「すみません…。」


「すみませんで済めば、警察いらねーだろ?
 何で失敗が多いのか原因を考えろ!」


土方はそう言い放って、
フィルターぎりぎりまで吸った煙草を灰皿へ押し付けた。


原因…。
考えるまでもなかった。


隊服のポケットの中に忍ばせた、
名前が書いた連絡先が原因だった。


もう二度と会う機会もないだろうと思うと、
山崎は途端に切なくなって
せめて、彼女の筆跡だけでも近くに置いておきたい気持ちになったのだ。


「ったく、何で俺がいつもフォローばっかり しなくちゃいけねーんだ」


土方は忌々しそうにそう呟くと、
新しい煙草に火をつけて言った。


「名字名前はもう張り込み対象じゃねぇ。
 一応、単なる一般人だ。
 別にお前が咎められることなんて何もねぇ。
 お前の覚悟さえ出来ていれば、別にどうなろうがかまわねぇ」


「へ?」



はじめ、山崎は土方が何を言わんとしているか分からなかった。


「そのポケットに入れた紙切れを有効活用して、
早く仕事に身を入れられるようになれって言ってんだ」


「え?」


山崎は土方から、ふざけんな、二度は言わねぇと叱咤されて部屋を追い出された。


「もしかして…?」


廊下を歩きながら、しばらく考えて
やっと理解できたとき、山崎は思わず屯所中に響き渡る声で驚きの声をあげていた。




****************




「もしもし」


聞きなれた名前の声が山崎の鼓膜を震わせた。
山崎の呼吸が緊張のせいで一瞬だけ止まる。


「あ、あの、名字名前さんのお電話でしょうか」


「はい――あ、もしかして先日お財布を拾ってくださった方ですか?」


「え、ええ」


番号を教えてなかったのに
何でだろうと山崎は首をもたげた。


「声が、財布を拾ってくださった方だと思ってつい遮っちゃいました。
先日は本当にありがとうございました。」


「いえ、そんな」


「お名前は?」


「あ、ええと、山崎です」


「山崎さん…。」


山崎は自分の苗字がこんなに良い響きをしていたとは…と妙に感動した。


「ぜひお礼をさせてください。
 山崎さんのご住所を教えていただければそこに伺います」

 
山崎の住所。


もちろん真選組の屯所である。
名前の父親、その父の友人の仇である真選組に
勤めていることが知られるのは避けたかった。


「えーと、俺、いま、住所がなくて」


「……すみません、失礼なことを」


山崎は、一瞬のうち、自分が訳ありホームレスだと思われたよね?
絶対そうだよね?と煩悶した。


「では、お仕事をしていらっしゃれば、仕事場の方に」


「い、いえ、俺、仕事ないんで」


もう終わった…と、山崎は目をつぶる。

無職で家なし。

怪しすぎるだろう。
犯罪の匂いがするだろう。
そんな男と会おうなんて奴なんているのか、
山崎は自分の機転の利かなさを心底嘆いた。


「で、では、どこかで待ち合わせするのはいかがですか?」


結局、山崎は名前が来やすいように
名前の長屋と仕事場近くの駅を指定した。


「宿無し、仕事なしの怪しい男に、
わざわざお礼をしにきてくれるなんて…」


やさしい子だなという柔らかな思いと、
危なっかしいなという覚束ない気持ちが交差した。
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