♪ dream

□4 二つの秘密(前)
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パン屋の朝は早い。
名前はいつも通り、
店主夫妻と開店準備を手伝っていた。
店前には桜並木広がり、ちらほらと花が咲き始めていた。
明後日にはきっと満開になるだろう。


「ふぁ〜、眠い…寒い…もう帰りてぇ」

「ちょっと銀さん、
寝てないでちゃんとストーカー探ししてくださいよ」

いくら春とはいえ、早朝は着流し一枚では寒かった。

「パンの焼ける匂い、いい匂いある」

店の前を掃き清めている名前は、
パン屋の前の路地裏で和気あいあいと
自分を張り込みをしている三人の姿を見つけ
笑みをのぞかせた。





昼の忙しい時間帯が過ぎて、午後二時。
うららかな日差しが当たりを包んいた。

特にやるべき仕事はない。
レジにサッカー台の前に座り、店番をするだけである。
名前は店の外に見える桜の枝々が
風でふよふよと揺れているのをただ見ていた。

…というのは、建前だ。
人を待っているのだ。
客がまばらになる今の時間帯か、または
夕方の帰宅ラッシュが終わる夕方頃に現れる人がいる。

桜を見ているのではない。
その人がいつ現れるか、じっと店の外を見ていたのだ。
この気持ちを何と表せばいいのか、
名前にはまだ分からなかった。


「やあ」

待ち焦がれた人の声だった。

「こんにちは、山崎さん」

「こんにちは。熱心に何を見てたの?」

山崎は名前が見ていた方向に首を回し、
不思議そうに見渡した。

「外の、桜を見てました」

「ああ、そっか。もうすぐ咲きそうだもんね」

こういうとりとめのない会話が毎日一回は交わされる。
たとえば、彼が店に来れば
桜の花が咲きそうだ、
昨日の帰りにあそこの交差点で事故があった、
明日は雨になるらしいよ
こういう会話ばかりだった。
もっと、山崎さんのことが知りたい。
名前は最近とみにそう思う。

ときどき、名前の勤務が終わった後、
二人で一緒に帰ることがあった。
そんなときは、山崎も少しは自分のことを話してくれた。

仕事のことや今住んでいるところなどを聞くと
うまくごまかされて、結局分からずじまいになったが
好きな食べ物、嫌いな食べ物、
好きな音楽、嫌いな天気、
好きな色、嫌いな匂い、
少しずつ些細なことを聞ければ
名前にとっては十分だった。

「今日は仕事何時に終わるの?」

山崎は手に持ったパンと小銭を名前に手渡した。

「六時までです」

名前の仕事が何時に終わるか、
それは一種の枕言葉だった。
この後に続く言葉を
名前はもう知っている。
この言葉を告げる彼は
いつでも少し頬を赤らめて、
目を細めて微笑している。

「じゃあ、今日星を見に行こうか」

この言葉を待っていた名前は
早まる呼吸をつとめて整えて返事をしようとした。

「見に行きま――」


「おいおい、見せつけてくれんじゃねえか」

名前は驚いてその声の聞こえてきた方向を見る。


「銀時さん!」
「あれ、万事屋のダンナ?なんでここに?」


山崎と名前の声が重なった。

銀時は小倉クリームパンをむしゃむしゃと食べている。
さきほど名前の休憩中に差し入れをしたパンだった。

「俺たち、名前ちゃんの依頼で
名前ちゃんを護衛中なの」

「え?何かあったの?」

山崎は面食らったように名前に尋ねた。
二人が知り合いだということをたった今知った名前は
銀時にこの件の話を事前に口止めすることなど考え付かなかった。
自然と表情が暗くなる。

「いえ、大したことでは…」

知られたくないことがある。
山崎だけには知られたくないことがあるのだ。
急な展開の速さに目の前が真っ暗になった。

そんな名前には気づかずに、
これで面倒な張り込みをしなくて済むという、
ほっとした表情で銀時は言った。

「あ、そうだ。お前ならすぐ助けられんだろ。
なんせお前、しんせ――むぐっ――」

「わわっ、ちょっと、ダンナ待って!」

山崎はあわてて銀時の口をふさぐ。
自分と二人きりでいるときは見せない山崎の焦燥振りに
名前は驚いて目を見張る。

「しんせ――何ですか?」

「しんせ、えっと、しんせ…
…新生児のように元気がいいから、
娘ちゃんを十二分に助けることができる
って言おうとしたんですよね。ね、ダンナ」

そう山崎は銀時に問うたが、
当の本人は口を押えられたままである。

「むぐ?」

銀時は張りつめた異様な雰囲気に首をかしげる。

「それは、すごく頼もしいです」

「よかったら、相談に乗るよ」

「ありがとうございます。
でも銀時さんが解決してくださるみたいなので、
あまり心配しないでください」

「そう?」

山崎は少し不満そうな顔で応えた。

「じゃあ、あんパン一個追加で。
あと、パックの牛乳も」

パンを受け取り、会計を済ますと
山崎は「じゃあね」と言って店を出て行ってしまった。
名前はその後ろ姿を見送る。
星を見に行くことはできなさそうだ…。
小さく溜息をついて、またレジの前に座って店番を始めた。

「なになに?あいつと出来てんの?」

銀時はわざわざ名前の前に立ちはだかり、
粘っこい視線を送ってきた。

「出来てません!」

「出来てんだろ、あんなに見つめちゃって」

山崎と一緒に帰れない原因を作った男がにやにやしながら、
まるで中学生のように延々と茶化してくる。



「なぁ、名前ちゃん」

「出来てませんよ」

「まぁ、聞けよ。
なぁ、名前ちゃん、
謎めいた女にゃ男は弱いが、
いざってときに頼ってもらえないのも悲しいもんだぜ」



名前はいたたまれなくなって
銀時の手に残っていた小倉クリームパンを
ぎゅっと銀時の口の中に押し込めた。
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