♪ dream

□監察の仕事(後)
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土方が張り込み先を訪れたのは
山崎が窓の隙間から名前が玄関先で花を生けているのを見ながら、
牛乳をゴクゴクと喉を鳴らして飲んでいたときだった。


そろそろ土方が訪れる頃だろうと思っていたが、
名前が長屋の女性たちと談笑しながら花を飾りつける姿に
つい見入ってしまっていて、土方の気配にまったく気がつかなかった。
そのため、土方の重低音で「おい!」と声をかけられたとき、
山崎は驚いてアンパンを取り落しそうになった。


「ふ、副長!!おつかれさまです!」


「おう、山崎。何にやにやしてんだ?
何か面白れぇことでもあんのか?」


「い、いえ、えーと思い出し笑いです。」


「ふうん…。
で、名字の娘と脱獄した攘夷浪士との接触は?」


山崎は口に残っていたアンパンを押し流すように
牛乳を飲み干した。


「え、ええと」


名前たちがわいわいと箒をかけている平和的な雰囲気から一転して、
“脱獄”やら“攘夷浪士”やら物々しい、血生臭い言葉が
一挙に山崎の頭に流れ込んできた。
あまりの落差に眩暈を感じ、山崎の口からはかろうじて


「そういった様子はありません」


と言うだけで精一杯だった。


「そうか」


土方は煙草を取り出してくわえた。


「調査書も読んだぞ。
昼間はアルバイト、
夜は父親の残した研究を清書している、か。
いまどき殊勝な娘だな」


薄暗い部屋に、煙草の先の赤い光がぼんやりと浮かんだ。
煙草のけむりが徐々に充満していくこの部屋が
外から聞えてくる名前たちの笑い声にはまったく調和せず、
山崎は違和感を覚えるばかりだった。


「…しかし、ちと細かすぎねぇか?」


「え?」


「まあ、一日の行動はいい。
だがなぁ、あの娘の食べ物の好みなんて情報いらねえ。」


「え、そうですか?」


「いらねえよ!それに好きなテレビ番組って何だよ。
そんなのまったく捜査の役に立たねぇじゃねえか!」


土方から怒声を浴びせられた山崎は
「わわ、すみません」と反射的に頭を下げた。


「ま、気をつけろぃ。
それと調査書には、
名前は毎朝神社に参詣すると報告されているが、
こりゃ一体なんだ?」


「ああ、それは、今はもう廃れつつありますが、
ばあさん世代には主人や息子が出稼ぎに出ている間、
無病息災を願って、毎朝神社に参詣するという風習があるんです。
名前ちゃんもそれに倣っているんでしょうかね」


「…そりゃあ、また」


山崎はこれまで無表情だった土方の表情が
少し変わったことに気付いた。
山崎は土方がこうした人情味溢れる話には弱いということを知っていた。
身寄りのない少女が働きながらも、
夜なべをしながら父の残した研究をまとめている。
これだけでも副長の涙腺を刺激するというのに、
無病息災を願って、願掛けもしているのだ。
同情するのは必然だった。


「まあ、でも、父親は死んじまったし、
家族とも絶縁状態。
一体、誰の無病息災を願ってるんだか…」



その疑問は山崎も感じていた。


一体、誰のために、無病息災を願っているのだろうか?
確かに土方の言うように、
一緒に上京して父は死に、たしか実家とは絶縁状態のはずだった。
家族は手紙一つ寄越さない。
家族のために願掛けしているのではない気がする。


あまりにも不思議だったので、
隣の老夫婦や井戸端にいた夫人たちにも聞いてみたが、
その手掛かりは一向につかめそうにもなかった。


「ああー、もしかして、男か?」


土方のこの言葉を聞いた瞬間、
山崎の胸の中にドス黒い油が流れ込んできた。


ありえることだった。
祖母世代の女性たちは遠く離れた旦那か息子のために祈っていたのだ。
名前もまた
遠く離れた恋人のために参詣していると考えた方が自然だろう。


からっぽになった牛乳パックが
ぎゅっと握り締められて歪みはじめる。


土方はその様子を見て
フィルターぎりぎりまで吸った煙草の火を消しながら


「おい、山崎」


と腹の底から出したような低い声で山崎を呼んだ。


「は、はい?」


山崎は長年の感でひやりとしたものを感じて返答する。


「お前の仕事は、
名字の娘と攘夷派が接触しているかどうかを見張る仕事だ。
変な肩入れはするんじゃねえ。
それに神社が攘夷派との連絡を取り合う場になっていることも考えられる」


「!」


山崎ははっとして俯いた。


「おい、山崎。
お前の仕事は何だ?言ってみろ」


「……監察です」


「それが分かっていればいい。じゃあな」


土方はそういって、部屋を後にした。


名前が攘夷浪士と接触するかもしれないこと、
最初から分かっていたつもりだったが、
毎日があまりにも平和に過ぎていくものだから
名前があまりに穏やかに笑うものだから
忘れてしまっていたのだ。


山崎は胸に鉛のような重苦しさを感じて、
その重たさから逃れるようにゴロンと床に寝転がった。


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