♪ dream

□監察の仕事(後)
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いつも通りの朝だった。
最近はこれまでよりはだいぶ暖かくなり、床から離れやすくなった。
冬の早朝のまだ薄暗い中、
今日も郵便配達のバイクの音が長屋の前で止まった。


「あれ、今日は珍しく郵便物がきてるな」


配達員が長屋の郵便受けに無造作に封筒を突っ込んでいくのが見えた。


「今なら…」


山崎は人目がないのを気にしながら、そろりと部屋から抜け出すと
まだ寝ているであろう名前の部屋の前を抜き足差し足で通った。


監察として、
名前が読む前に、山崎が内容を把握しておかなければならない。
封筒の差出人の名前は書いていなかった。


「差出人は分からないが、筆跡はあきらかに男…」


無骨で、無造作な筆跡だった。
もしかしたら、副長が言ったように、
名前ちゃんが毎朝願掛けをしているのは想いを寄せる男のためで、
この手紙はその男から来たものかもしれない。


「いや、待て待て…。落ち着け俺…」


山崎は一回大きく深呼吸をすると、鍋で湯を沸かし始めた。
手紙を開封したとバレずに開けたいときは、
湯気に当ててゆっくりはがすのだ。


失敗は許されない。
この手紙開封のときが、調査中、一番気を張り詰めるときだった。


「よし…」


山崎は無事に封筒を開けて、便箋を取り出す。
冬の薄水色の朝にふさわしい、真っ白な便箋だった。




***********************


「おい、山崎!何ぼおっとしてんだ」


山崎はぽかんとした表情をその声の方向へ向けた。
もう昼の太陽の光が南向きの窓の格子の隙間から燦々と降り注いでいた。


「何かあったのか?」


声の主は土方だった。
不審そうに眉を顰めて、山崎の肩を揺らす。


「…あ、あれ、副長?いらしてたんですか?」


どうやら、何かあったらしいと踏んだ土方は
山崎が手にしていた便箋に目を向けた。


「…お前、手に持ってるの何だ?」


「い、いえ、これは…」


「ほら、寄越せ」


土方はひったくるようにして掠めとると、便箋の内容を読み始めた。


「ええと、なになに…
久しくお会いできませんが、お元気でしょうか?
僕は名前さんを迎えに行けず、
毎日忸怩たる日々を過ごしていました。
先日名字家の会議があり、
いつまでも名前さんを江戸に置いておくわけには
いかないのではないかという話になりました。
僕はやっと名前さんを迎えに行けそうです。
○月×日、歌舞伎町レストランにお迎えにまいります。
覚えておりますでしょうか?
二年前に江戸を一望したレストランで二人の将来の話をしましたね。
また、あの店のあの席でお会いできるのを楽しみにしています。
その日を逃せば、いつまた上京できるか分かりません。
どうか、この好機を逃さないようお計らいください」


土方は終わりまで読んで、もう一度便箋を一瞥した。
攘夷浪士からの手紙ではないかと疑っていたが、
この文面は明らかに懸想した男からだと分かる。


「おそらく、名前ちゃんの親類の男でしょう」


山崎の声はかすかだが震えていた。


「しかも、将来の話をするような仲の男…」


「お前、もしかして…」


土方は苦虫を噛み潰した顔で、言いさした。


「――もしかしても何も、副長が言っていたように、男ですね。
 毎朝の願掛けも、この男のためだったみたいです。
 さすが副長、勘が冴えてる」


土方は、繕うようにペラペラとしゃべりだす山崎が余りにも不憫に見えた。
ふうと溜息をついて、ゆっくりと煙草に火をつける。


こりゃあ、山崎のやつ、惚れてるな。
そう思い、窓から見える名前の姿を見とめた。
ちょうど、花瓶のさした花の水を変えているところだった。
黄色い花。
あれは水仙だろうか、と土方は思う。

容姿が飛びぬけて美しい訳でもない。
至って普通だ。
きちんと会話したこともない、あの小娘のどこに
山崎を夢中にさせる魅力があるのだろうか。


「いやあ、俺。心配だったんですよね。
 いや、そりゃあ、監察としての立場はちゃんとわきまえてはいましたけど、
 こんな長屋に若い身空で一人暮らししてるなんて、
危なっかしいなぁって思ってたんですよ」


これまで、監察としての山崎からの報告書を
土方は何枚も読んできた。
が、殊に名字名前に関しての調査書ほど
詳細に書かれたものはなかった。
土方の書斎には、
名字名前の調査が始まってからというもの、
彼女の生い立ち、性格、長所、短所、一日の出来事を
蟻がはっているような細かい字で記された書類が
山のように積み重なっていき、
もはや足の踏み場もないほどだった。


名前ちゃんは良い嫁になると思いますよ、などと
ぶつぶつ独り言を言っている山崎に、
お前は名字名前の立派なストーカーだ、
もう無理してしゃべるなと肩を叩きたかった。


土方はためいきをつくように、煙草のけむりをはいた。
山崎は会話したこともない少女のすべてを知っていた。
来る○月×日に見合いをすることも知っている。
そして名字名前はそんな山崎の存在をまったく知らない。
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