★ dream

□マメシバ(後)
1ページ/7ページ


近藤さんとわたし、
二人、星屑の中にいる


足に鈍い痛みを感じ、
名前が目を覚ますと
名前の目と鼻の先に近藤の顔があった。

そして、
その彫りの深い鼻筋の向こうに
まるでバケツをひっくり返したような
星屑の海が広がっていた。


あれ?
いつも見ている夢よりも
近藤さんがやけにリアルだ。


いつも夢の中で会っていた近藤さんよりも
ヒゲが濃いような気がする。
こんなに汗臭かったっけ?

名前は首をかしげた。


「近藤……さん……?」


「おお、気が付いたか
 いま、診療所に向かってるところだからな」


近藤はゆったりと笑った。


これは夢じゃない!
名前はそう思って、
自分が置かれた状況を必死に把握しようと
記憶の糸をたどりはじめた。


たしか、
「すまいる」を出たところで
チンピラのヘッドに喧嘩を吹っかけられたはずだった。


そして、
わたしの背後から輪の中に入ってきた近藤さんを
守ろうとして、チンピラの攻撃を受けたのだった。


そのあとが、よく思い出せない。


けれど、今の状況は把握できた。
名前は近藤に両手で抱え上げられ、
川の土手の道を歩いているようだ。
憧れの近藤に抱きかかえられた
名前の体が緊張でこわばる。


「あ、あの……申し訳ありません、
近藤さんにこんな……」


「いいってことよ」


そういって近藤は名前に
にかっと微笑んだ。
名前はうれしくなって
大きく息を吸い込んだ。
草いきれが鼻先をくすぐる。
ちらちらと川辺に蛍の光が見えた。


「蛍……
 江戸にも武州みたいな川があるんだ」


近藤は
「武州」という懐かしい言葉の響きにぴくりと反応した。


「お前、武州から出てきたのか?」


「……近藤さん、
もしかしてわたしのこと覚えていないんですか」


近藤は
名前の顔色がみるみる変わっていくのが分かったのか
焦って弁解をはじめた。


「あ、あ、えーと、思い出した。
 八百屋のお絹ちゃん?」


「違います!」


「あ、じゃあ、よく着物の裾めくりしてた
お松さんの妹のお竹ちゃん?」


「違います」


「あー、わかった!
 じゃあ、行きつけの飯屋の店主の孫娘のお留ちゃん?」


「違います……」


必死になって叫ぶ近藤の唾を顔中に受けて
うつむきながら思う。


近藤さん、わたしのことを覚えてないのか。
考えてみれば、そうだよね。
だって、わたしと近藤さんがまともに話をしたのは
たったの一回しかなかったのだから。


十数年間、
必死に剣の腕を磨いてきた。
近藤さんの言葉を胸に、
道場での鍛錬を耐え続けてきた。


だから、
近藤さんも覚えていてくれているものだと
勘違いしていた。


たった一日、いや半日にも満たない時間しか
過ごしたことのない幼子を十数年も覚えている方が
可笑しいのかもしれない。


考えてみたら当たり前のことだった。


「近藤さん、いいんです」


いつだって、
わたしは考えが足りなかった。
母親にもいつもそう言われていた。
「あんたは、なんでそう考えが足りないのか」と。


でも、バカはバカなりに、
ずっとずっと突っ走ってきた。
近藤さんの言葉を胸にここまで来て、
近藤さんに会えた。


そうでなければ、
ちゃんと考えていたら、きっと
あの山に囲まれた日野で今頃
毎日農作業と機織とお針に明け暮れ、
父親に勧められるままに嫁いでいたはずだった。


だから、いい。
覚えていてくれなくてもいい。
バカでもいい。


「いいんです。
 こうして会えたんだから」


名前は自分を抱きかかえてくれている近藤の胸に
頬を摺り寄せた。
大きくて、厚い胸板。


「いっ、いや、あの、その……でも、
 やっぱり、俺のことを覚えていてくれてるのに
 俺が覚えてないんじゃ、ちょっと失礼かなぁって…」


近藤はもごもごと口の中でつぶやくようにいった。
名前は近藤の胸に耳を押し付け、
その低い声の中に浸るように、目を細めて聞いた。


蛍の光がぼんやりと光っては消え、光っては消えた。
川のせせらぎ。
夜空を見上げれば、満天の星屑。


あのときと一緒だと名前は思った。
こうやって、
薄暗い川辺を歩いた。
蛍の光がふわふわと光って、
空を見上げると、流れ星がいくつも流れていた。


わたしの村の光が遠くに見えて
その狭い、長い一本道を
ぽつりぽつりと話しながら帰った。


あのときは
わたしは背中に負われていたが
いまは
両手で抱きかかえられている。


それだけが違う。


「思い出してくださるでしょうか、
近藤さん――」


そういって、名前は
自分の幼き日のことを近藤に語り出した。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ