★ dream

□アザミ(前)
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屯所の庭には真っ白な日差しが降り注いでいた。
日光自体は反射しないが、その光を受けた地面や緑が眩しかった。
沖田は、汗が滲み出ていくまま正座して、
隊士たちががやがやと部屋を退出していくのを聞いていた。


その声が消えた頃、近藤は沖田に向かって厳かに告げた。


「一番隊の中で腕の立つお前が適任だ。
総悟、頼まれてくれるな?」


土方は真剣な表情でそれを見守っている。
彼のその険しい表情を踏まえた上で、
わざとその神経を逆撫でするように言った。


「いやぁ、近藤さん、すいやせん。
俺、忙しいんで無理でさァ」


ちっと舌打ちをした土方とは正反対に
近藤は苦笑して言った。


「そういうと思っていたんだ。
だがな、総悟。
お前と名前は年が近い。
 名前が気負わなくていいと思って、
ぜひ頼まれてほしいんだよ」


――名前?
近藤さんが呼び捨てにする程の仲の女なのだろうか?
沖田は思わず眉を顰めた。


「近藤さん、こいつにゃあ、やっぱ無理だ」


沖田が口を開く前に、
土方の声が座敷に広がった。


副長の感情的な声調とは裏腹に
近藤はおだやかに嗜めた。


「トシ、お前はまたそういうことを言う。
 総悟はちゃんとやるときはやる男だ」


沖田は、胸の中にむずむずしたものを感じ、
それを抑えるために、膝の上に握り締めた拳を強く握った。


「こいつが苗字の面倒を
ちゃんと見られるはずがねぇ。
調教とかSMプレイなんてしちまったら、
とっつぁんに何て申し開きをすればいいか分からねぇ。
剣の腕は下がるが、
山崎あたりに面倒見させておけば間違いねぇ。
その分、俺もときどきは稽古をつけるから――」


「いや、名前は小さな頃から気骨のある娘だ。
 総悟の稽古にもちゃんとついていけるはずだ。
…トシ、総悟。
よく、となりの村のいじめられっこの坊主に剣を教えたって
話しをしただろう?
小さかったから今まで坊主だとばかり思っていたが、
それは間違いで、実は女の子で、
しかも、それが名前だったんだよ」


「…あの坊主が?
苗字名前?」


土方はくわえ煙草を落としそうになるくらい、
あんぐりと口を開ける。


「ああ、あの後、俺たちの道場で修業して
警視庁に入れる年齢になったからって、
俺を追いかけて、江戸まで出てきたらしい。
…泣ける話じゃねぇか」


義理や人情にほだされやすい土方は、
心を打たれたようで、すっと表情が真剣になった。


「そうなると、
ますます、総悟には任せられ――」


「俺は知らねェ」


沖田の声は土方の言葉を遮った。


「俺は、そんな話聞いたことねェ」


近藤はすぐさま、ハッとした顔をして、
そのまま土方と気まずそうに顔を見合わせた。


近藤さんが名前で呼ぶ程の娘の話を
土方は知っていて、俺は知らない。
沖田はきりきりと奥歯をかみ締めた。


「その女の話、
土方さんにはよく話してるんですかィ?」


近藤さんは良くも悪くもすぐ顔に出る人だ。
沖田はそう思って、慌てふためく近藤を凝視していた。


近藤はその視線から、あえて目を逸らして
ゆっくりと立ち上がった。
そして、縁側の方へのっそりと歩みを進めると、
腕を組んで、庭に咲くアザミの花に視線を向けた。


「――そうだな、総悟には話したことはなかったな。
 まぁ、そんな細かいことはどうでもいい。
その娘の稽古をつけてはくれないか?」


沖田は言い知れぬ疎外感を感じて、
その気持ちを敢えて押さえつけるように深呼吸した。
ここで自分の感情をぶちまけてしまうのは屈辱的だと感じたのだ。


「俺はこう見えても一番隊隊長。
 忙しいのは近藤さんだってご存じのはずでェ」


土方はその沖田のすかした態度にこめかみの血管を浮かび上がらせて、
口をはさんだ。


「おい、総悟。おめぇは大体一日寝てるだろうが!」


「そんなはずねェ。
土方さん、マヨの食い過ぎで頭イカレちまったんじゃねぇですかィ?」


「このやろ…!」


「まあまあ、トシ落着け。
総悟、どうだ?」


近藤は腰を浮かせて沖田に掴みかかろうとしている土方をなだめてから、
あらためて沖田に向き直って含みを持たせるように、ゆっくりと告げた。
沖田はこの命令が近藤の信頼の形であるのは十分承知していた。
いつもの沖田なら飄々と「仕方ねェな」と諾するはずだった。


なんで、近藤さんと土方の野郎だけが、
苗字名前って女を知ってんだよ?
そこでつっかえてしまって、うまく飲み込めない。


「う〜ん……。お前がそんなに嫌なら――」


いつもよりも真剣な近藤の様子に沖田はたじろいだ。


そこまで、その女はとっつぁんに目をかけられているのだろうか?
それとも、そんなにその女が大事なのだろうか?

どちらにしても嫌とは言えないことは理解できた。
……引き受ければいいんだろ。


そして、名前っていう女を
キリキリと締め上げるように稽古をして、
音をあげたらすぐに山崎に託して、
自分は隣で寝ていればいい。
とりあえず、引きうければいいんだろ。
そう逡巡した沖田は口を開いた。


「分かりやした。引きうけまさァ」


「よく言ってくれた。
お前なら、きっと名前の力になってくれるはずだ」


近藤は嬉しそうに沖田のもとへやってくると、
わしわしと小さな頭を撫で付けた。


土方は苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、
「まったく仕様がねぇなぁ」と溜息をつく。


沖田は、照れくささとわだかまりとが一挙に押し寄せてくるのをに感じ、
ぷいっと顔を逸らした。


真夏の太陽の真っ白な光に照らされた夏アザミが
カラカラの地面に咲いていた。
日照りが続いているせいか、少し萎れかけていた。
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