★ dream

□(短編)恋の病
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剣術の練習も好きだけれど、弓の練習も好きだ。
弓をひいていると、雑念が消える。
射場に立つ前に、ぎゅっと袴の紐を引き締めて、
真っ白な足袋に素足を通しただけで、
背筋に一本の芯が貫いたようにしゃんとなる。



残りの矢はあと一本だ。
四本中、射た三本はすべて的にあたった。
射場の周りの雑木林にいるセミの大合唱が、わたしの体を包んでいる。
うるさくて耳が痛いくらいだ。
けれど、大丈夫。
こんな騒音に埋もれていても、
弓と矢を持って射場に立てば、一瞬にして世界は静寂の世界に包まれる。
耳が痛み出すくらいの静寂の中で、きりきりと的だけに集中する。



わたしは、的を見据えながら、ゆっくりと弓と矢を頭上まで上げた。
この瞬間が好きだ。
体中の毛穴が全開になるような、
あの遠く離れた小さな的にすべての神経がつながっているような沈静。
それでいて、体の中心は血が沸騰するくらいの高揚している。
冷たい湖の底にいるのに、肉体の中では火が燃え盛っているようだ。



わたしはその感覚を頭の片隅で楽しみながら、弓を引き絞った。
矢をつがいだ部分がギギッっというかすかな音をたてた。
弓を握った左手と弓を押さえる右手が、そのまま的を狙うように、
一直線に並ぶ。



すぐには、矢を放たない。
十分に右手と左手の筋肉が伸びきって、
自然と矢が離れていくのに任せるのだ。


その間、たった十秒弱。
他の人からしたら単なる十秒弱だけれど、
わたしの中でこみ上げた何かが、
矢を充たしていくのを待つ時間だった。



――――?
――――また



   脳裏にふとよく見知った人のおもかげが掠めていく。
   胸がちくりと痛んで、瞬間、息が出来なくなる。
   これで何回目だろう。



一本の矢が夏の青空を切っていった。
いま、矢先をのせた左手がすこしぶれた。
たぶん、外れる。



カンッ!



予想通りだった。
矢はちょうど的の端をかすって、土に刺さった。
集中力が切れて、耳をつんざくばかりの蝉の声が聞こえだした。
汗が額から首筋をつたっていく感触が気持ち悪かった。
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