10/12の日記

00:08
攻殻機動隊SSS
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ニコ生でやってますね。
見てます。

バトーと素子の関係、大好きです。
渋いおっさんが女性に恋い焦がれている話ほど
心惹かれるものはないです。


おっさんがゴツく、
ぶっきらぼうであればあるほど素敵です。
恋している女性は、天真爛漫で男勝りな女性であれば
なお良いと思います。

バトーなんて、少佐が好きすぎて崇拝しちゃうレベルですよ。

昔読んだ花岡さん訳の「赤毛のアン」に
ギルバートはアンのことが好きすぎて、
アンが歩いた地面さえ崇拝している、みたいな表現があったかと思うのですが、そんな感じです。

2ndでは、久瀬←素子←バトーなところもツボでした。


以下、
ネタバレがあるので注意お願いします。
それと、すごい適当なこと言ってますw



二回ほどしか見ていないので、
内容はよく把握出来ていないのですが、
傀儡廻しは「集団的深層無意識」と言われていたと思うのですが、
ユングの「集合的無意識」と音が似ているなーと思い面白く思ってます。

手元に適当な資料がないので、ウィキペディアを見ながら適当に書いてますが、

「ユングは個人のコンプレックスより更に深い無意識の領域に、
個人を越えた、集団や民族、人類の心に
普遍的に存在すると考えられる先天的な元型の作用力動を見出した。

元型の作用と、その結果として個人の夢や空想に現れるある種の典型的なイメージは、
様々な時代や民族の神話にも共通して存在し、
このため、元型や元型が存在すると仮定される領域は、
民族や人類に共通する古態的(アルカイク)な無意識と考えられ、
この故に、ユングはこの無意識領域を「集合的無意識」と名づけた。」

とかあります。

最後に素子は傀儡廻に
いままで出会ってきた面子を見るわけですが、
あれは素子が認知できる範囲のイメージであって、
本当は、傀儡廻とは、ネットのなかで生まれた「先天的な元型の作用力動」
つまり、新たな時代や民族の新しい神話であったのではないかなーとか思ったり、思わなかったり。


そういう時代のイデオロギー的な何かが完成する鍵は
少佐と有線することにあった。
新しい神話に、傀儡廻は英雄的な人物を必要としていたのではないでしょうか。
少佐や久瀬のような。

久世は2ndで上部構造に移行したみたいですが、
傀儡廻の英雄には当てはまらなかったんでしょうか。

一番最後に久世の顔が現れているように、
きっと素子に次いで英雄的人物に近かったような気がします。

きっと久瀬は清貧すぎたんですかねw
ストイックすぎたというか。
むしろマッチョすぎるというか。

2ndは三島の小説がキー概念になっていましたが
久瀬は三島と同じですね。
あんなに美しい小説を書きながらも、
漱石や志賀のような正統派になれない…みたいな。


…なんて、すごい適当すぎること書いてみました。
全部、フィーリングで書いてる妄想ですw

では、そろそろ妄想はやめて
攻殻見ながらバトーさんを愛おしく思いつつ寝ます。

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