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□An innocent smile. 44
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朝、やけに太陽の光が眩しい日だったと思う。目覚ましの音も聞こえれば無意識に遠くの壁に投げつけて壊す回数が最近減った。目潰しでもしてくるような強い日差しと耳に響くうるさい音に嫌気が差して、とりあえず音を潰しにかかったまではよかった。
ゴッ!!
「い"……」
無意識下でやっていることなので、俺がいつもどうやって目覚ましを壊しているのかは人伝いで聞いた憶測しか分からない。恐らく壁に投げつけて、その威力で機械は機能を停止しさらには壁を凹ませているのだろうと美鶴さんは言っていた。
多分、今日もそうしようとしていたんだと思う。だけど何故か顔面に強い衝撃が走り無意識から戻ってきた意識は痛みに悶えることになる。
「……ッてぇ」
耳障りな音は今も鳴り続けている。額を中心に走る痛みはすぐに引くわけもなく、とりあえず時計を止めようと落ちた目覚ましを探したらベッドのすぐそこの床にあった。当然それを拾おうと身を乗り出すわけで、片手を床に置いて支えながら取るのだけど。
ガクンッ
「、え」
ゴッ!!
「う"っ」
また額をぶつけて痛みが長引くはめになった。カーペットが敷いてあったからまだよかったものの地味に痛い。
体を支えるために置いたはずの手と腕に全く力が入らなかった。力が抜けて落ちた拍子で弾かれたらしい目覚ましは虫の息。すっかりと静まり返った部屋の中、上半身だけベッドから落ちている俺は自力で戻ることができずにいてずるずると下半身まで床に落下し起き上がろうとしたらそれすら出来ず布団と共に雑魚寝状態になった。
「………?」
寝惚けていたからなのかは分からないが、ようやく自分の体が熱く視界もクラクラしていることに気づいた。意識も朦朧としていて、これは久々に来た病魔だと感覚で分かる。昨日のダルさにまさかと思ったが、そのまさかだった。
前になったのはいつだったか。思い出せないくらいには前の話か、それとも忘れてしまったか。少なくとも今年は一度もなっていないので久しぶりには違いない。
でも、自力でも起き上がることが出来ないこの状況はいくらなんでも酷かった。
「……携帯、と」
とりあえず助けをと思ったらサイドテーブルにあるので手が届かない。何てことだ。詰んだ。
秋とはいえ気温は夏に比べて低い。体が熱いとはいえこのままは悪化するだけだと一緒に落ちた布団を亀のように引き寄せ被った。
誰か来てくれるだろうか。いつもみたいに叩き起こしに来てくれる人がいれば見つけてくれるのだけど。
「……………。」
ドアを見つめても開くわけもなく。俺よりも遅く起床したらしい先輩の無駄にデカい欠伸だけが遠退いていった。運良くアイギスが来たとしても説明がめんどくさい。荒垣さんが来てくれるのが一番いいのだけど。
それからどれくらい雑魚寝をしていたことか。暑いんだか寒いんだかも判別がつかなくなった頃にようやく扉をカリカリと引っ掻く音が聞こえてきた。恐らくはコロマルが何かを察知して来てくれたのだろうが今の俺にはそこまで冷静な判断力が残ってなくてぜぇぜぇと苦しい呼吸を繰り返すばかり。
もう誰でもいいから助けて。お願い。あまりの辛さにいつもの意地など剥がれ落ちて心の中で超必死に助けを求めた。
ドアノブが一度回ったけれど鍵がかかっているので開くことはなく。少し経って鍵穴に鍵を差し込み施錠される音が聞こえ、今日初めて会った誰か……頭が赤いから多分美鶴さんであろう人の驚き戸惑う声に申し訳なさと恥ずかしさを覚えながら精一杯口角をあげた。と思う。
「純也!?」
「……ひさびさにやらかしたぁ。えへへ」
「笑い事かっ! 荒垣! 明彦! どこにいる!」
「あつい……けど、さむいぃ……」
「どっちだ! なぜベッドから落ちて……いや、細かいことはいい。吐き気は? 意識は?」
「吐き気はないけど、あたまボーッとする……」
「いつもの熱だな」
「たぶん。タイミングさいあく」
「……とりあえず今は休め。死んでは元も子もない」
明日は満月。空気を読まない身体だと不満を溢すが出ると言ったところで許しが出るわけもなく舌打ちが出た。態度が悪いと怒られたが今は正す気にもならず美鶴さんの手を借りて上半身を起こしベッドに寄りかかってため息を吐けば熱を帯びていて嫌になる。
「立てるか」
「…………むり。うごけない」
「床に座っていては体が冷える。……よし」
「美鶴さん、さすがにキツいと思う」
「昔は倒れるたびにお前をベッドに運んだんだ。これくらいでき……くっ、う」
「うっ、ちょっと待って絞まるっ……」
昔ってどれくらい昔のことなのか。去年、一昨年も風邪をひいて熱を出したが大抵荒垣さんとか真田さん……時々瑞希さんが運んでくれていて、美鶴さんに運ばれた頃の記憶なんてもう朧気だ。それくらい小さい頃の話で、体の大きさも重さも違う。
プルプルと伝わってくる震えに不安を感じた。俺じゃなくて美鶴さんの方が倒れてしまうんじゃないかと恐くなる。
「っ……く、」
「美鶴さんほんとうに大丈夫だから。誰か来たらそっちにおねがいするからむりだけは」
「私には弟の介護すら出来ないのか……」
「なんのはなし。あと介護じゃなくて看病って言って俺まだ若いから」
あの美鶴さんがこんなことで落ち込むなんて、もしかして相当疲れているんじゃないかと思ったが全身を蝕む熱に打ち消されてしまう。
俺を運ぶことを諦めた美鶴さんはポケットから携帯を取り出すとどこかへ電話をかけ始めた。それをぼんやりと眺めていれば遠くから足音が聞こえてきて、誰か歩いているかと思いきやすぐに近くのドアが開いた。霞む視界の片隅に人の姿が映り込む。
「美鶴の怒鳴り声が聞こえたが、一体なんだ?」
「ああ、明彦。純也が熱を出した」
「何? やはり昨日顔が赤かったのはそのせいか」
「そのせいだったらしい…」
「随分と久しいじゃないか」
「ほめて」
「風邪を引いたんじゃ褒めようがないな。鍛練が足りてない証拠だ」
「脳筋といっしょにすんな」
「立てないのか」
「しゃべるのもつらい」
悪態をつける元気があるだけいいと笑われ、軽々と持ち上げられた。美鶴さんが一ミリも動かせなかった俺の体を、あっさりと。なんだか複雑。超複雑。てか汗くさい。
「荒垣はどうした」
「シンジなら出掛けているはずだ。もうそろそろ帰ってもいいと思うんだが」
「そうか」
「電話はしたのか?」
「ああ。休憩の合間に来てくれるそうだ」
「なら安心だな。先生が診てくれれば風邪もすぐに治るだろう」
もう二人の声を聞き分けられるだけの余力がない。熱くて、フワフワして、意識が遠退いていく。
明日は満月。そして……ああ、ダメだ。もう無理。
あっという間に全部がシャットアウトした。
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