□An innocent smile. 46
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気づいたらどこか密室の空間にいた。
影時間ではない、だけど現実的でもない不思議な場所だった。


「……ここ、は」


一度見回せば把握できてしまうほど狭い空間。自室…よりも小さい。正方形ではなく、やたらと細長い場所に置いてあるのは長い椅子と小さなテーブル。あとは酒とグラス。見るからに高そうだ。立ち上がれるかと言われれば、中腰じゃないと頭をぶつける。

革張りの椅子も、壁も、室内の装飾はすべて青で統一されていた。

室内。というよりも、この圧迫感はまるで車のよう。恐らく窓であろう場所にかけられた青いカーテンの外はどうなっているのか。

風邪で動かすのも苦しかった身体は驚くほど軽く、意識もハッキリしていた。荒垣はどうなったのか……そもそもここはどこなのか、椅子に手をかけカーテンに手を伸ばした。


「開けても何もねえよ」


触れた布は桐条の屋敷にあるような手触りのいい物だった。隙間から覗いてみようと身を乗り出そうとした時背後から伸びてきた何かが視界を遮った。開けるのを止める声は、数時間前に聞いたばかりのもので一瞬身を強張らせてしまう。

顔を覆ってしまうほど大きな温もりは人の手だ。すぐに退けて、振り返ればそこにいたのは。


「……荒垣さん!」

「……はぁ。嬉しそうな顔するな、お前は」

「……そんな顔してた?」

「無意識か。まあ、悪くねえ」

「?」


いつものコートと帽子に身を包んで…いない。あの事故が起きてから厚着をしていた荒垣が、時期相応な格好でいつの間にか隣に座っている。表情も心なしか柔らかい。
少し前のことなど忘れてしまったように会えたことを喜ぶ純也を荒垣はしょうがねえなと苦笑し乗り出している体を引き寄せた。されるがまま背中から荒垣の膝に倒れ込むと天井を見上げることになり、青い天井と荒垣の顔で視界が埋まる。


「固い。」

「うるせえよ。男の膝に期待なんざすんな」

「柔らかかったら逆に引くかも」

「あ?」

「荒垣さんはここがどこだか分かんの?」

「……知らねえ」

「知らないんだ。車の中っぽいけど…停まってるよな。運転手いる?」

「俺ら以外誰もいねえよ。大人しくしとけ」

「何で俺たち、ここにいるの?」

「………。」

「……このままどこかに連れて行かれるの?」

「……さぁな」


運転席が見える小窓を開けるがそこは無人。カーテンを開けようとすればやっぱり止められて、扉すら見当たらない車内から降りることも叶わずつまらないと椅子に腰を下ろす。

静寂が流れる車内。ぶらぶらと揺らした足が足元の座席に当たってどすどすと音を鳴らすが荒垣は止めることなく、腕を組んで何か考え込んでいる。真剣な横顔にいつもなら邪魔をすまいと距離を置くかそっとしておくかするが、退屈な純也は白い指先で無防備な頬をつついてみた。

黒い瞳がゆっくりと横目を向く。怒りはないが、どこか呆れが混じっている。


「……小学生のガキか」

「暇。」

「こんな狭いところじゃろくな遊びも出来ねえよ」

「何か楽しい話してよ」

「んな話あるわけねえだろ……」

「眠くなっちゃうから」

「いつもは問答無用で寝るだろうが」

「だって、寝たくない」

「デカくなれねえぞ」

「……そもそもここは何? 風邪引いて熱出してたのに何も苦しくない。絶対に現実世界とは違う」

「だから知らねえって言っただろ。俺も気づいたらここにいたんだ」

「……その前はどこにいたの」

「………。」

「俺は溜まり場どころかムーンライトブリッジに行くことすら出来なかった」

「……お前、あの体で動いたのか」

「天田も作戦には来られないって湊さんが言ってたんだ。……つまりそういうこと?」

「………。」

「……、今ここにいる荒垣さんは…どっち…?」


絞り出した声は酷く震えていた。
すぐには返ってこない答えを待つ時間が恐くて堪らなかった。少しでも震えを止めようと服を掴んだが、手に滲んだ汗で少し湿る。

荒垣がどうなったのか確認することも出来ないまま意識を手放した。真田が向かったと美鶴は言っていたが、間に合ったかどうかは不確かだ。


「俺の中のお前は、いつも泣き虫だ」

「それは答えじゃない」

「純也」


荒垣の大きな体が純也の体を抱き寄せた。華奢で、力を入れたら折れてしまいそうなほど細い体を閉じ込める。

ひんやりとした冷たさに、涙が溢れた。


「……俺はもうお前を守ってやれねえ」

「っ……、ッッ、」

「でもお前を助けてくれるやつはたくさんいる。お節介な奴らがな」

「荒垣、さ……」

「忘れんなよ。一人じゃねえ」

「俺は、」

「……忘れないでくれよ。俺のこと」

「ッ……!」


荒垣から聞いた、はじめてのお願いだった。
何も求めなかった。逆に手放していった荒垣が、切に願うのだ。

冷えきった体が少しだけ震えている。少しでも体温が分け与えられたらとしがみつくと苦笑され、もっと強い力で抱き締められる。


「……れないよ…忘れられるかよッ…!」

「………。」

「俺がずっと、荒垣さんのこと覚えてるからッ……守るからッ……!」

「……あぁ」

「……と…もっと、生きてッ……!」

「……純也…お前、ほんとによ……」

「大好きだ、よ……荒垣さん、ずっと、俺の大事なッッ、」

「……ああ。俺もだ」

「ッ……あ、!」

「生きろよ。……絶対に負けんな。何があっても生き抜け。お前は、強いんだからな」

「ッうん…、」


共にいられる時間も終わりらしい。
瞼が重く、全身から力が抜けていき体が透ける。

透けているのは武骨な自分の手ではなく、しがみついている純也の方だ。その事実に荒垣は安堵する。

どうやら彼は、自分と同じ道を来たわけではないようだ。戻る場所がある。


「……もっと、生きられたらよかった」

「!! 待っ―――」

「……じゃあな、純也」


これが最期だ。小さな額に触れたかどうかはいまいちよく分からなかったが、思わず笑ってしまいそうな顔をしていたからあっちは感触があったのかもしれない。湊にバレたらタダじゃおかないだろう。嫉妬深い後輩の姿を思い浮かべ、笑う。

残った俺は、どこへ行くというのか。一人になった途端に脱力してしまって広々とした椅子に横たわった。続くように意識が朦朧としていき、ゆっくりと目を閉じる。

車は相変わらず停まったまま。時計もないこの場所では時間の経過も確認できず―――そもそも死んだ人間には関係のない話か。


「……………。」


眠るように意識が遠退く。今度こそこの世界からさようならかと、荒垣は静かに身を委ねた。






(眠るように。)

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