短編その2
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ケーキが食べたいね。
湊の何気ない一言で、二人の休日の予定は自然と埋まっていた。
「(男二人でカフェって)」
日曜の昼過ぎ。近場のカフェではなくどうせなら少し足を伸ばそうという湊の意見が採用され、学生はまず足を運ばないような大人びた雰囲気のカフェに来ていた。
シックな雰囲気を漂わせる、木造の建物の扉にはOPENと営業中であることを教える小さな可愛らしい看板が下がっている。扉の少し手前には黒板にチョークで描いたらしい、おすすめメニューの文字と絵が。女性が足を運びたくなるような凝ったおもてなしに純也は嫌な予感がしていた。
だけど今さらやめようなんて言えるはずがない。隣に立つ湊が目を輝かせてそのメニューをじっと見ているのだから。
ここに行きたいと言ったのも湊だった。今日はもうマイペースな彼の用事に付き合っているようなもので、純也もケーキが嫌いなわけでもなかったし暇だし何より普段忙しくしている湊の一日を自分が占領できると考えたら拒否する理由なんてどこにも見当たらなかった。
任せる。その一言で、ここのカフェに来たわけだが。
ケーキの種類も豊富で、さらにはサンドイッチやホットドッグなどお腹を満たすには十分なメニューが揃っている。何より、味がうまいのだそう。
カフェなど美鶴の付き合いで行く程度だったので味などそこまで気にしたことはなかった。食欲がほとんどなかった頃だったせいでケーキなどに興味は湧かず、むしろ落ち着いた空間でぼんやりと過ごす時間の方が好きだった。
「ここのタルト、美味しいんだよ」
「…来たことあるんですか?」
「もう十年近く前の話。あまりの美味しさに感動した記憶がある」
「へえ…」
「雰囲気もいいし。落ち着くよ」
「それは楽しみですね」
ドアを開ければカランカランと控えめなベルの音が店内に響く。
楽しみですねとは言ったものの、外から見えた中の景色に純也はちょっと抵抗を感じていた。
カフェというものは、女性が入り浸るイメージを持っていた。美鶴と共に入ったときも店内にいたのはほとんどが女性ばかりで、男がいても向かい側や隣に知人なのかどういう関係なのかは分からないが必ず女性がいた。
男二人、というのは一度も見たことがなかったのだ。だからこの先に見えるであろう景色を見るのが恐かった。
そんな気持ちも知らず湊は出迎えてくれた店員の案内を受けて、店員の後ろをついていく。「おいで。」と気恥ずかしくなるような笑みを浮かべながら言われて大人しく、もう腹をくくって足を踏み出した。レジやキッチンホールの方にいる店員の目にどんな感情がこもっているのかは知らないが少し痛く感じる。
席は入り口に近い壁際だった。端なんて都合のいいことがあるわけもなく、両脇は既に女性客が座っていてその間のテーブル席に着くのがとてつもなく勇気が必要だった。湊はすんなりと腰を下ろして上着まで脱いだけど。
「?」
「どうしたの? …早くおいで」
「(だからその言い方…っ)」
歯軋りしたくなるのを必死に耐える。まるで彼女にかけるような、優しい声と言葉に居たたまれなくなる。片側のテーブル席の女性が、自分が言われたわけでもないのにパッと口に手を当てて向かい側に座る友だちと思わしき女性と小声できゃっきゃと盛り上がっているのを見て脱力する。店員も少し頬を赤らめていて、今すぐここから立ち去りたいという衝動を圧し殺した。
湊の言葉はひどく蠱惑だ。その声に優しさとか愛しさとか、たくさんの感情が込められているせいで心を揺さぶられる。それはすべて純也だけに向けられた想いであって、他の誰に対する言葉でもない。
分かっているからこそ、恥ずかしくてたまらない。
平然としたふりをして無言で向かい側の席につくとメニュー表を置かれて、一礼して下がった店員とはまた別の店員がお冷やを持ってくる。コースターが置かれたと思えばその上にコップが置かれ、また下がっていった。
「…俺で遊んでるでしょう」
「うん?」
「……で? どれ食べるんですか」
「まずは腹ごしらえから」
何の話か分からないとでも言うように首を傾げて、これ以上食ってかかれば湊の思う壺だと別の話へ無理矢理切り替える。置かれたメニューを開き、最初に見えたのはケーキなどスイーツが載っているページだったが湊は少し遅い昼食を摂りたいと前のページを遡った。そんなに数も多くないから1、2回捲ったらすぐにランチメニューが出てくる。
スパゲッティやハンバーグ、湊が言っていたサンドイッチなどもある。ひとくくりにしてしまえば数は少ないがトッピングや味などの種類を見ると豊富だった。好き嫌いがそれなりにある純也は無難にスパゲッティとハンバーグで悩んだ。このあとにデザートがあるならあまり重くないものがいいと、イラストのない文字列だけのメニューを上から順に見ていく。
湊はと言えば純也が見ているのを邪魔しないようにしながら、次のページを途中まで開き真面目な顔をして品定めをしていた。
そんな何気ない顔ですら、顔が整っているせいで綺麗だと思ってしまった自分に腹が立ち八つ当たりでメニューを覗き込んでいるその顔にビニールで保護された紙を強めに当てる。
音は無く、髪の毛が少し乱れる程度。だけどメニュー越しに見えたその目は据わっていた。
「何すんの」
「別に」
「…構ってほしいの?」
「ここで構えとか、俺はそこまで強欲じゃないんですけど」
「知り合いいないよ? 多分」
「そういう問題じゃない」
「…ああ、早く決めろって?」
「いや。ゆっくりでいい」
「決まった?」
「これでいいかなって」
「和風キノコスパゲッティね。…キノコ食べられたんだ?」
「普通にいけますよ」
「たらこもいいな」
「これ食べてご飯ものも食べるの?」
「お腹を満たしたいの」
「食後も食べるのに…」
「僕の胃の限度、知ってるでしょ?」
「そうだけどさあ…」
湊が普段からどれほどの量の食物を摂取しているのか一緒に食事に行く機会の多い純也はよく知っていた。はがくれではラーメンを軽く五人前は食べるし、ワックでは大食いが大好きなハンバーガーをタワーのように積み重ねたペタワックを軽々と完食するブラックホール並みの胃袋。限度と言えどそれは湊がここで食べるのをやめる、というところで本当は限度など知らない。限度まで食べているところを見たことがないのだ。考えただけで恐ろしいが、あいにく湊は高校生。金銭的な面で限界があるためすべてを食費に費やすことはできない。
金銭的な限度を取り除いたその時。彼の目の前にどれだけの皿が積み重ねられるのか…それは湊本人ですら分からない未知の領域だった。
「ん。とりあえず決まった」
「飲み物は?」
「うーん…炭酸系」
「ライチとかキイチゴとかあるけど」
「メロンソーダ」
「ふっつう」
「無難なもの。コーヒーは苦いからやだしお茶は渋いからやだし」
「はいはい」
もう湊が相当な甘党であることを分かり切っている純也は軽く流していく。冷めた反応に不満を感じた湊はメニューを強めに閉じて風を巻き起こし無防備な前髪をふわりと浮かせた。
子どもじみた悪戯。逆に構ってほしいのは湊の方だったらしく、ここが人前であることを踏まえて控えめにアプローチをした。
ふ、と小さく笑うと純也は氷で冷え切った水で喉を潤す。近くを通りかかった店員を呼び止め、それぞれ食べたい物を注文し料理が出来上がるまで再び時間が出来る。
男が二人、しかも学生が店内にいるのは少しばかり目立つようでちらちらと視線が向けられる。頼んだ飲み物だけが先に運ばれて、気を紛らわすように飲み込んだ。
「それ、木苺?」
「木苺。ほんのり酸っぱいけど、飲みやすい」
「ちょうだい」
「どうぞ」
変わりに、と渡されたメロンソーダを何となく受け取る。ファミレスでも飲める普通の炭酸ジュースではあったが純也自身がファミレスに行っても飲まないためコップに入ったストローを咥えて吸い上げた。メロンには程遠い味なのに、人はこれをメロンソーダと呼ぶ。
木苺の炭酸ジュースをこくりと喉をならして飲む湊を見て、ふと気づく。気づいてしまった。
これ、間接キスってやつじゃないかと思ったら体温が一気に上昇した。己を侵食する熱に気づかれないよう両手で顔を覆う。湊は気づいていないのかはたまた分かってやっているのか。平然とコップの中に入っている木苺を一つ口に入れて咀嚼した。
「…どうしたの」
「別に」
「飲みすぎた?」
「違う。何でもない」
「? …今さら気にしてどうするの?」
「ッぐ、」
「(…かぁわいい)」
いつまでも初々しい反応を見せてくれる純也にこっそりと笑う。もう付き合い初めてそれなりな時間が経つ上に間接キスよりももっと上のことをたくさんしているというのに、気付かれないよう必死に隠していることを指摘すれば顔をリンゴのように真っ赤に染めて動揺をする。
他の誰にもさせることができない。湊にしか出来ない、純也の照れた顔。今ここが公共の場であることを少しだけ残念に思えた。人目さえなければ今すぐその愛しい体を抱き締めてやれたのに。
「っの…性悪!」
「君にだけ」
「うるさいうるさいっ、このタラシ!」
「減らず口はこれかな?」
「うぐ、ッ、あ"っま!」
「砂糖菓子」
「ただの角砂糖ッ!」
「吐きたくなるほど甘いでしょ?」
「吐いていい…?」
「食べ物は粗末にしない」
「アンタが無理矢理砂糖のかたまり突っ込んできたんだろ!」
「はい、木苺のジュース。おいしいよ」
「俺のじゃん…!」
「甘い方がいいなら、はい。あーん」
「ッッ…ぃいっ…いらねええ!!」
ニコリ。誰もが見惚れる笑みを浮かべて砂糖菓子…ではなくコーヒーなどに入れるための角砂糖を摘まんで差し出してきた湊に羞恥と我慢の限界が来た純也は顔をさらに赤くして半泣きになりながら席を立ちトイレに駆け込んでしまった。
少し騒ぎすぎたようで、周りに座るカップルや友だち同士で来ている客がこちらを窺っている。
タイミングがいいのか悪いのか、出来立ての料理を運んできた店員が心配そうな表情を浮かべてやって来た。
「あの…お連れさまが今トイレに駆け込みましたけど…大丈夫ですか?」
「そのうち戻ってくるから大丈夫です。はい」
「はあ…あ、ハンバーグのお客さまは…」
「僕です。スパゲッティは向かい側に置いておいてください」
「かしこまりました」
純也の口に収めるつもりだった角砂糖を自分の口へと放り込む。糖分の塊。甘くて甘くて、吐きそうなくらい甘ったるい味を堪能しながら少しずつ歯で噛み砕いていく。
トイレに逃げ込んだ恋人が出てくるまでそう時間はかからないだろう。彼の行動パターンをほとんど知り尽くしている湊は呑気に携帯を取り出し、カメラモードを起動してカシャリとシャッターを切った。
20180302