短編その2

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ドアを叩く音がしてる…ような、気がする。

呼び出されるように、引きずられるように暗闇の中を漂っていた意識が現実へと帰ってくる。
半分寝たままの目で天井を見上げると寝る前には消したはずの明かりが部屋の中を照らしていて、なぜだろうと疑問に思うがすぐに朝が来てしまったのだと気づいてしまって憂鬱な気持ちに突き落とされた。

ああ、朝だ。

嫌いな朝が来た。

「おはようございます」

布団を隔て、ベッドから畳三枚分ほど離れた先にある扉の向こうから抑揚のない声がかけられる。
返事をするのも億劫で、寝たふりを決め込もうかと身体を丸めるとそれを感知したのか、まるで借金取りのようにドンッとドアを叩く音の迫力が増した。

「起床予定時刻を過ぎました」

目覚まし時計にあらかじめプログラムされている音声のような、だけどそれよりもずっと聞きなれた声だ。
起きなきゃいけないのは理解している。
だけど朝を嫌うこの身体はそれを頑なに拒絶していて日の光を一切取り入れようとしない。

ドアを叩く音が止んだ。あまりにも起きてこないから呆れてその気も失せたかと、静寂とぬくもりに包まれる心地よさに浸りながら今一度眠りに就こうとする。

しかし、耳だけは起きてきた。
まるで常に危険と隣り合わせのサバンナの中で、いつでも耳を澄ませて迫り来る獣に警戒している草食動物のように。

ガチャッ。

と。この平和な朝に不似合いな機械音に脳が一瞬にして命令を書き換え、今すぐ起きろと足先の神経にまで指示を出してきた。
弾けるように布団を蹴飛ばし起き上がる。
頭から冷や水をぶっかけられたような急激な冷え。
血の気が引くとはこの事だ。

「装填!!」
「新学期早々にぶちかまそうとすんなッ!!」

お得意のピッキングはどこへ行ったのか。
扉を銃撃でぶち抜こうとするアイギスに、寮に響き渡るんじゃないかと思えるような、大きな声で目覚めたことを知らせた。


***


入学シーズンはいつだって葉桜が咲き誇る。
鮮やかなピンク色の花びらは卒業式に満開を迎え、入学式の頃にはほとんどが散って今度は地面を染め上げている。

ここ最近は雨が降らなかったから、人の動きで起きる風だったり、春一番の吹き抜けだったりとさまざまな理由で花びらが宙を舞い上がってすぐに落ちていく。泥だらけの足に踏みつけられたり道端の雑草に紛れたりと行き先は様々だが、それを見るたび花が散ってしまった、春は終わりだと告げられているような気がした。

「お、来たな新入生!」
「………おはようございます」
「なんだなんだ、朝からそんなに暗いと輝く高校生活の出鼻を挫かれるぜ?」
「はぁ」

今日はじめて足を踏み入れる高等部の玄関先で、待ってましたと言わんばかりに伊織順平が俺を出迎えた。
片手で足りる程度の数しかない階段の一番上で腰に手を当てふんぞり返る先輩に気の抜けた返事をすると、呆れたようにため息をつかれる。

「お前よぉ、ちったあ嬉しそうな顔しろよなー」
「…朝っぱらそんな元気ないから」
「ったく、せっかく高校デビューしたってのにそんなシケた面してたらモテ期を逃しちまうぞ?」
「いや大体が初等科から一緒だし」
「あーそっか。このガッコー、エスカレーター式だからそうなっちまうのか………残念だったな、少年」
「うっぜ。」

朝からこのノリ、普通に疲れるわ。
今に始まったことでもないし慣れっこなはずなのに、新学期が始まったせいで感じるウザさ百倍だ。ため息混じりに階段を上って隣に並ぶ。

高等部の校舎に入るのは3月5日以来だ。その前は風花先輩を助けるため夜に警備の目を盗んで忍び込んだ時。
こうして人目を気にせず、堂々と立つのははじめてかもしれない。どちらも状況が状況で落ち着かなかったし校舎をゆっくりと眺める暇もなかった。

オリエンテーションで来た気もするがあまり記憶に無い。あの時も確かアイギスに叩き起こされて叱ったような、バタバタしていたような。

「へへ、なんか変な感じだな。これから一年、同じ校舎にお前がいると思うとさ」
「そうですね」
「まっ、困ったことがあったらなんでも頼れよ。俺っちが先輩として助けてやっからさ」
「じゃ勉強教えて下さい」
「………いや、それはちょっと…」
「順平さんの成績では、教えるのはかなり困難かと」
「うぉあ!? アイギスぅ!?」
「おはようございます、順平さん」

意地悪のつもりでさっそく頼ってみたら、いつの間にか姿を消していたアイギスがひょっこりと現れた。
音も気配もなく背後に立ったアイギスに先輩の体は大きく跳ね上がり階段から落ちかけ、トレードマークといえるキャップが風の力も借りて一番下まで落ちていく。

「お前は忍者か!?」
「残念ながら私の機体が重すぎて忍者のように動くのは不可能かと」
「誰がマジレスしろって言ったよぉ!」
「事実です」
「んなこと言われなくても分かってるわ!」

楽しそうに会話をする二人を放って、拾うために階段を一段一段踏み外さないよう確認しながら下りていく。
雨が降っていなくてよかった。濡れていたら泥がついたりして大変だ。先輩は今日一日坊主頭で授業を受けなくてはならない。
変な心配をしながら、帽子のつばに指先を引っ掻けた。

「あ。」

しかし、持ち上げようとした瞬間別の手がそれを拐っていく。
誰だろう。帽子が落ちた地面に向けていた目線を上げると、パシパシと適当に汚れを払い落とす、気だるげな目と視線が交わった。

それと同時に、灰色の瞳が優しく細められる。

「おはよ。」

昨日も聞いた声のはずなのに、なぜだかくすぐったい。朝に言葉を交わすことは、同じ寮に住んでいるからそんなに珍しいことじゃない。
同じベッドで寝て、同じベッドで起きておはようと言う日もあったのにどうしてこんなにも、変にムズムズするのか。

やわらかな声に凝り固まった顔の筋肉も緩んでしまいそうで気恥ずかしさに負けて視線を逸らすと分かっていたように苦笑され、踵を返して階段を上るとすぐさま隣に並んできた。

「学校で会うと変な感じがするね」
「まぁ…今までは違う校舎だったし」
「一緒にいる時間が増えたってことだ」
「はぁ…寮でも一緒じゃん」
「長くて損はしないよ?」
「いや、そういう話じゃ…うん」

じぃっと見つめてくる灰色の目に反論する気も失せてしまう。
言いたいことは分かる。同じ校舎にいるということは会える時間も増えるということだ。校舎が違かった去年とは違うので会いに行こうと思えば会えてしまう。昼休みだって嫌だと言っても一緒に食べることになるだろう。
校舎が違うと何かとすれ違うことが多く、渡した合鍵を使って部屋に押し掛けてくることも珍しくなかった。帰ったら部屋にいた、なんてこともある。
これ以上時間を共有して、それに慣れてしまったらどうしてくれるというのか。

「また、昼休みね」

それだけ言い残すと順平先輩に帽子を渡して、中に入っていった。

昼休み。うん、昼休み…。

言葉は圧倒的に足りないけど、意図は伝わるので頬が緩む。
ついでに口元もだらしなくなってしまいそうで見られないよう手をやったが、その言葉の意味を知る順平先輩には今日もお熱いねと茶化されてしまった。
うるさいなという些細な反抗も軽くあしらわれて、熱を払うように中身が空っぽのカバンを無防備な背中に叩きつけてやれば「アウチ!」と古すぎる悲鳴を上げて前のめりに、転けそうになりながら玄関へと入っていった。

「アチアチ、ですね」
「アイギス…お前も叩かれたいのか」
「私の体はその程度の威力で損傷を受けないので問題ありません」
「………。行こう」
「はい」

思うことは多々あるが、スルーをすることが今一番の、最善の選択だ。

「それではまた。対面式でお会いしましょう」

嫌な言葉に胃が痛む。
背筋をピンと伸ばして教室に向かうアイギスの後ろ姿を少しだけ見送って、渋々重い足を動かすが教室に入りたくない気持ちが強すぎて後ろから来る人たちに次から次へと追い抜かれた。

そう、これから対面式。
数日前に執り行われた入学式を経て俺は高校一年生となった。
国家斉唱から始まり無駄に長いと定評のある校長の言葉、その半分以下の来賓の言葉、新入生代表挨拶など一般的な流れに半分寝ながら出席をし、そのあとは教材の購入などをして終了。

そして今日、入学式のときに休みでいなかった在校生と新入生が顔合わせをする「対面式」がある。
体育館に全校生徒を敷き詰めて、よろしくするだけの挨拶だ。それならやらなくてもいいじゃないか。そうは思っても伝統を重んじるこの学園がやらないわけがない。

ため息混じりに開け放たれた教室の出入り口を過ぎて自席に荷物を置く。入学式が終わってもやらなきゃいけないことは盛りだくさんだ。
新しい生活に対して抱くソワソワだとか、ドキドキだとか、そんな気持ちがあちこちから伝わってきて落ち着かない。校舎が変わっただけでも精神的な影響が少なからずあるようで室内はずっと騒がしかった。

早く昼休みになんねえかなぁ。

溢れたため息は、雑踏の中に紛れた。





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