短編その2

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きっかけは久慈川さんの何気ない一言だった。

「有里くんってクールでかっこいいよね〜」

うっとりとした表情でそんなことを言うから、メロンソーダを啜る口がピタリと止まる。

「分かる。」

どこで買ってきたのか、牛串を齧る里中さんが同意の声を上げた。
隣に座る天城さんは静かに会話に耳を傾けていたけど里中さんと同じようにウンウンと頷く。

「うちにはいないタイプだよね」
「先輩もイケメンだけど、有里くんも結構顔いいよね。前髪が長くて目が隠れちゃってるけどそれもミステリアスな雰囲気を出してていい感じ!」
「あちら側のリーダーをやっているだけあって、統率力や観察力にも優れていますし…」
「もー直斗くんてば、いつもの癖出てるよ!」
「あ…すいません。探偵をやっているとそういうところばかり見てしまって」

つい、紙コップを握る手に力が入る。
ベコッと側面が少し凹んだけど音は雑音に紛れてかき消された。

確かに有里先輩はカッコいい。
知ってるよ。だって私の彼氏だもん。
とわざわざ公言しようなんて、思わないけどこういう話が女の人の口から出るとちょっとモヤモヤとした気持ちが生まれた。

先輩はどこへ行っても人目を集める。
その整った容姿とか、独特な色の髪とか、ミステリアスな雰囲気とか色々な要因が混ざって、特に女性の気を引くことが多かった。誰にでも優しくするから誤解をされることも珍しくなく、気づいたら恋人関係にあると思われていたことが何度もあってその度に頬に真っ赤な花を咲かせていた。
優しくてカッコいいから、みんな虜になってしまう。ちょっと笑っただけで黄色い声が上がる。
好かれたくて、周りの人たちが距離を縮めようと努力をする。

その人、私の彼氏だからダメだよ。

なんて言えない。
久慈川さんも天城さんも里中さんも白鐘さんもみんな可愛くて魅力的。だからどうしても自分が見劣りしているような気がして、声が出なかった。
スカートの裾をぎゅっと握る。
誘われたからって軽率に席を一緒にするんじゃなかった。後悔に襲われてメロンソーダの味も消えてしまう。

「純ちゃんはどう思ってるの?」
「えっ?」
「有里くんのこと!」
「どう…ですか」
「そうそう。やっぱり年上の先輩ってかっこよく見えちゃうよね?」

ずい、と可愛くて小さな顔が急接近するとそのキラキラとしたオーラに気圧されて上半身が少し仰け反った。重力にならって長い髪がだらんと落ちる。
久慈川さんみたいにフワフワじゃないし、天城さんみたいに綺麗なわけでもない。少し癖がつきやすい真っ赤な髪の毛は、所々が跳ねていて人目に晒しているのが唐突に恥ずかしくなった。

「ええと…カッコいいと思います」
「だよねっ」
「今進んでるところ…えっと、ごーこんきっさだっけ。なんか意味の分かんない質問で運命の相手がどうのこうのって言ってたけど、誰になるんだろうね?」
「さぁ」
「どうなるんでしょう。彼は最初の選択で性別は厭わないと答えていましたから…」
「うーん、そこは謎!」

久慈川さんたちと出会った、この異世界にある『ごーこんきっさ』という名前の迷宮では足を踏み入れてすぐにおかしな質問が投げかけられた。
美鶴さんや、彼女たちのリーダーの言葉もあって有里先輩が代表して答えることとなったのだけど最初から皆を驚かせる返答をするから揃ってざわついていた。運命の相手を決めるなんて、シャドウたちが巣食う迷宮のことだからちょっとしたお遊びのようなものだと思っている。
それに、口には出せないけど私は先輩の彼女で。
そんなの決める必要、ないのに。
モヤモヤとした、黒くて汚いものが生まれる。
楽しそうに先輩のことを話す彼女たちはなにも悪くないのに、勝手に妄想を膨らませていくからムッとしてしまう。

私は誰よりもあの人のことを知ってる。
なんでもないふりをしながら勝ち誇った気持ち…ではなく、拗ねたような、イラついたような、子どもじみた纏まらない感情に支配される。

「有里くんて彼女いるのかなぁ? 絶対にモテるよね」
「さあ…どうなんだろう」
「ねえねえ、純ちゃんは知ってたりする? 有里くんの恋愛事情!」
「え、ええと」
「久慈川さん、あまり詰め寄ると純さんも気圧されてしまいますよ」
「あっ、ごめんね?」
「いえ、」

至近距離まで迫っても久慈川さんの顔はとても可愛かった。目はパッチリしていて睫毛も長く、肌はつるつるで触り心地がとてもよさそう。今は休止しているけれどアイドルだという彼女は社交性にも長けていて自己紹介をされた時、伊織先輩もマジカワ。と照れ顔で呟いていた。ちょっと気持ち悪かったけど可愛いことには同意する。

やたらと有里先輩のことを気にしていた。
テーブルに両ひじを付きながら、想像を浮かべる姿だって可愛らしい。見かけも性格も可愛げのない私とは大違いだ。歴然とした差に自分の気持ちを主張する勇気が萎れていく。

でも、この気持ちも迷宮を進めばきっと晴れくれると思った。
今行われている運命の相手に関する質問。
その答えがきっと、私の胸の内に潜むモヤモヤとしたものを消してくれると、そう、信じたい。
なにを思って性別を厭わないと答えたのかは、怖くて聞けなかった。
先輩は戦いにおいて公私混同をしない人だ。
みんなを引っ張るリーダーとしていつも必死に考え動いてくれている。それを分かっているから咄嗟に言葉が出なかった。

何度も迷宮を潜っている。最深部に着くまであと少しだ。シャドウが作ったおかしなものだと理解をしていてもこちらとしては気まずく思うものがある。
無意識に先輩を避けていた。どれくらい言葉を交わしていないんだろう。都合上鳴上さんと共に過ごすことが多いから、顔を合わせることがあっても、タイミング悪く話すだけの時間はなくてすれ違うばかりだ。
でもちょうどよかった。こんな黒くて汚いものを抱えたまま、なんでもないふりをして先輩と話すなんて出来ないから。

「次の探索で最深部にたどり着けそうかな」
「うん。このペースならいけそうだよ」
「そっかー。有里くんの運命の相手も分かるってことだね」
「運命の相手よりも、番人を気にした方がいいのでは…」
「楽しみだねっ」
「……。そうですね」

全然、楽しみじゃないんですけど。



有里先輩の運命の相手が発表された。
祝福の言葉代わりだと言うように、スポットライトでその運命の人が照らされたと思えば足元の床が抜けて二人はいなくなってしまった。
その状況を説明できる私は、つまり選ばれずに残されてしまったということで。

「あいぼーっ!?」
「有里くんの運命の相手、まさかの鳴上くんなの??」

先輩と一緒に姿を消したのはあちら側のリーダーである鳴上さんだった。いつも一緒に行動をしている花村さんはその事実にひどく混乱し頭を抱える。
ザワザワと騒然とする部屋の中、突きつけられた現実に私もまた困惑する。
運命の人が自分ではなかった事実はもちろんショックだ。だけどガンと、頭を強く殴ってくるような衝撃は与えてきたのはそれじゃなくて。

「どうしよう…先輩、実は男好きだったのかな」
「いやどう考えても違うだろォ!!」

伊織先輩のツッコミが今日も冴える。
花村さんに負けず劣らず、ボケを拾ってくれる先輩の存在がこれほどありがたいと思える日が来るなんてちょっと複雑。

「いやいや…この結果はないわ」
《そうだよね…》

ひどく呆れた様子でゆかり先輩がため息をつく。
ベルベッドルームからナビをしてくれている山岸先輩の声はどこか悲しげだ。

「純さん、大丈夫ですか?」

少しボーッとしていると、アイギスが尋ねてくる。
心配の表情を浮かべた美鶴さんたちも来て、私はただ、平気だと答えて目を逸らす。

これで全てが決まるわけじゃない。
所詮は作り物で、私と先輩が恋人関係にあることはなにひとつとして変わらないから。
そうやって自分の心に言い聞かせる。ずきずきと胸が痛むけど、不思議と涙は出てこなかった。



フイと顔を背けたら、戸惑う空気が伝わってくる。

「純、」
「話しかけないでよ」

今度は別のざわめきがごーこんきっさ前の廊下一体を埋め尽くした。可愛げのない拒絶の言葉を突きつければ先輩はなにも言ってくれなくて、ぎゅっと拳を握る。爪が手のひらに食い込んで痛かったけれど、胸の痛みに比べたらなんでもない。
運命の人が瀬多さんであろうと、私ではない誰かであろうと事実は変わらない…だから大丈夫だと思っていたけど、いざ顔を合わせれば表現しがたいものがたくさん湧き出てきてなにも言えなかった。
これは怒りなのか、悲しみなのか、空しさなのか。

「……純、おいで」

人目があるのに躊躇いもなく先輩は私の手を掬う。
ガチガチに握り込んだ指を開いてというように優しく撫でるから、ゆっくりと緩めれば爪痕がくっきりと残る手のひらが見えて灰色の目がそっと伏せられた。
それから、傷に触れないようにやんわりと握ってどこかへ歩き出す。

「このあとはどうするんだ?」
「前に話した通りでいいよ。あとはよろしく、サブリーダー」
「……分かった」

手を握る力は、とても弱い。
振り払おうと思えば簡単に振り払えるし、私が歩くのをやめたら抜けてしまいそうなくらい些細なものだ。
文化祭の賑やかな空気が少しずつ遠くなっていく。
月光館学園よりも年季が入って古びた床は歩くたびにギシギシと鳴いていて、次第にその音が一番大きくなった。

校舎の端まで来ただろうか。先輩が止まれば私も止まる。文化祭が行われているとは思えないくらい静かなそこは音楽室の前。ここまで会話はひとつもなかった。私が、話しかけないでって言ったから。
気まずさに逃げ出したくなるけどこの熱を手放したくはなかった。かといって握り返す気にもなれず、曖昧でいると先輩がおもむろに振り返ると呆気なく失ってしまう。

あ、と無意識な声が出る。
落ちかけた手をすぐに先輩は掴んでするすると指先を絡めた。それから青い髪と赤い髪を混ぜるように額を合わせてくるから、心を見透かされそうで体が強張る。

「ごめんね、純」
「……それは何に対してのごめんなの?」
「色々だよ。一番は、純の優しさに甘えすぎたことかな」
「……私、優しくなんかない」

優しいのは、先輩の方だ。
勝手にイライラして冷たい態度を取ったのに私を扱う指先から言葉まで全てが壊れ物を扱うように丁寧で、よりいっそう、自分が醜く思えてならない。
俯こうにもくっついた額は接着剤でもつけたみたいに動かせない。絡まった手は、いつの間にか傷も治されてキツく握られている。優しさとは裏腹に小さな束縛を感じて、ガチガチになった心を溶かされているような気がして。

「……ねえ、なんで最初の質問、性別は関係ないって答えたの?」
「……いや、あれは…」
「鳴上さんが運命だったじゃん…」
「違うよ。あれはそういうつもりで答えたわけじゃないんだ」
「じゃあ、どうして?」
「……あの質問を投げかけられた時、考えたんだ。もしも純がさ」
「うん」
「女じゃなくて、男として生まれていたら、僕はどうしたんだろうって」
「おとこ…」

全く想像もしていない返答だった。
もしもの世界にしては飛びすぎだと思うけど、先輩にふざけた様子は見られない。

「考えたって仕方がないんだろうけどさ。でもきっと、男でも女でも、僕は君を好きになるよ」
「……何を根拠にそんなこと言ってるの…」
「なんだろうね。分からないけど、きっとそう」

ぎゅう、と強く抱き締められると涙が滲んだ。
黒くてモヤモヤしたものが、静かに消えていく。
そう言われて嬉しくないわけがない。
どんな愛の言葉よりも、プレゼントよりも、ずっとずっと心に届く。
ほんの少しの隙間も作りたくなくて大きな背中にすがる。あたたかくて、大好きな背中に愛しさが溢れる。

「一緒にいられなかった分、一緒にいよう」
「……いいの?」
「うん。そのために死に物狂いでやってきた」

ああ、もう、本当に。


「だから、ずっとそばにいてね。純」


大好きだよ、先輩。



end
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