短編その2

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空は曇天。
朝の登校時間には晴れていたはずの空が、いつの間にやらすっかり機嫌を悪くしていて今にも雨が降ってきそうだった。太陽の光りも鈍くさせる程分厚いのか辺りは暗く、午前中だというのに部屋を明るく照らす電気が大活躍している。

真冬ということもあって外はとても寒かった。
地面や車のフロントガラスには霜がおりて真っ白に凍っているし、吐き出した息は瞬時に目視できる。吹き抜ける風に身は震え、気温差が大きな場所を行き来すると携帯の画面が結露で曇ったりと良いことがあまりない。
授業中の寒さは集中力を欠けさせるし体調を悪くする原因となるため、教室に設置された暖房はフル稼働していた。ゴゥゴゥとエアコンよりも大きな音を立てて今も外の冷気に負けじと室内に暖かい空気を送り続けている。

「うへぇ、あったけ〜」

その送風口に手を当てるなり、順平は喜びに満ち溢れた。トイレに行くため廊下に出ただけなのにわずか数分間のうちに体温が奪われ冷えてしまった。
暖房機器の近くは結構な人気がある。教室内が暖められているとはいえ、しっかりと防寒対策をしていないと寒いもので休み時間になった途端にとこの場所を求めてやって来る生徒がいるがいるのはどこも同じだろう。
順平が運良く勝ち取れたのは、偶然だった。
本当にたまたま誰もいなかっただけだ。なので一目散に近づき、暖を取ることに成功した。それをとても喜ばしく思う。

「はぁ〜この温もり、勝者の特権ってやつだな」
「どれどれ」
「へっ?」
「お邪魔」
「ちょ、なんだなんだ!」

しかしその喜びもつかの間、両脇から次々と手が伸びてきて順平は肩身を狭くせざるおえなくなった。ぎゅうぎゅうと潰すような勢いに圧倒され、貴重な送風口があっという間に塞がってしまうが押し出されまいと必死に抵抗を見せる。

「待て待てお前ら、ここは俺が勝ち得た場所だぞ!」
「やだ順平くん、そんな冷たいこと言って」
「独り占めなんてズルいよ」
「みんなで暖を分け合おうぜ」
「言葉と行動が真逆なんだよ!」

左側で送風口に手を差し出す湊はともかく、右側に立つ純也には身を寄せ合おうという意志が全く感じられない。奪われてたまるか、とグイグイやってくる体を必死に押し退けると案外すぐに離れていって、ちょうど引き出されていた椅子に座るとわざとらしく大きなため息をついた。

「はぁ〜、順平くん、超冷たい」
「お前その、"順平くん"って呼び方気色悪いから今スグやめろ」
「なんでだよ。親しみを込めて言ったのに」
「なんつーかこう…鳥肌がやべぇ」
「失礼だな。」

順平は、純也とそれなりに長い付き合いがある。
生まれた頃から小学校低学年の頃まで一緒に過ごした湊には到底敵わないが、十年もの間離れて過ごしていた分、順平の方が記憶は鮮明だ。
高校生になってから一年、二年と同じクラスで、遊ぶ頻度は友近ほど多くはなかったが他愛ない話をする程度には仲がよく、物の貸し借りだってたまにする。その月日を経て順平は、純也がどういう人間なのかある程度理解をしていた。

まず、基本的にひとりを好む。

"親しみを込めて"とか、寝言は寝て言えと突っぱねてやりたいくらいだ。純也が誰かの名前を呼び捨てで呼ぶところを順平は見たことも聞いたこともない。幼馴染みであるはずの湊のこともなぜか「有里」と呼ぶし、親の瑞希どころか姉の美鶴のことですら"さん"付けで家族間特有の呼称を使わない。

ここは初等部から高等部まであるエスカレーター式の学園だ。年数としてはざっと数えて12年。今は高校2年の冬なので、10年と半年程度。
転校する者、してくる者。事情があって変わることもあるだろうが、それだけの年数を共に過ごす同級生がいて、ひとりくらい友人と呼べる存在がいてもおかしくないだろうに、純也にはそういった人物がひとりもいなかった。
さすがにそれはないだろうと、いつだったか順平は軽い気持ちで尋ねたことがある。見事に地雷を踏み抜いてしばらくの間顔を会わせづらくなったけど。

一度も外れることがない眼帯に、ひとつに纏められたド派手な赤い髪の毛(しかも黒のメッシュ入り)、親譲りの整った容姿や、幼少期から教え込まれてきた立ち振舞いは姉の美鶴に負けじと美しく、言葉遣いも崩れているように思えて意外にも丁寧だ。
おまけに実家は世界各地に活動を広げている桐条グループの総元締め。つまりボンボン。御曹司。
眼帯が少しだけ近寄りがたい印象を与えるが、それを除けば家柄も容姿も申し分ない。
しかし純也は過去の経験があって人を好まない。
そのため初対面の相手とはほとんど口を利こうともしないから、いざお近づきになろうと思ったところで話が続かず結果的に友だちが出来なかった。

まあ、いたところで話が合わないんですけど。

と最後には半笑いでそんなことを言うから、まあそうだろうなと順平も同意せざる終えなかった。だってこの男、趣味がない。普段何してるのかと聞けば勉強か習い事の2つだけ。他に無いのかと踏み込んでみれば「アルバイト。」の一言だ。
ゲームや漫画に触れたのは、順平と遊んだときがはじめてだという。同級生と遊ぶこと自体もはじめてだと聞いたときはコイツ本当に同じ時代に生まれた同じ人種なのかと疑ってしまったほどだ。それだけ純也の過ごした環境が、娯楽から切り離されたものだと思うと言葉が出てこない。

しかし最終的には、純也の放つ言葉や態度が原因なのだ。愛想もなにもない。外面はとびきり甘いが皮を剥がせばなにもない。
彼の生きてきた環境や境遇を考えれば納得するところもあるだろうが、普通の人間はそれを知らないから、なんなんだと向き合うことをやめてしまう。
順平だってもちろん知らなかった。高校生になって純也に出会った頃は影時間の存在も名前も聞いたことがなかったので、やたらと冷たい言葉や態度になんだコイツと不満を抱いたのは事実。しかし意外と強めの押しに弱いことが発覚すると、持ち前の明るさとお調子者な性格のおかげか他よりも親しい関係へと発展することに成功した。別に狙ったわけでもないが。よくあいつと仲良くできるな、と言われたりすると少しの優越感はあった。それでも近づきすぎると容赦なく噛みつかれるのだが。

だから「順平くん」なんて言われた時には耳がイカれたかと思った。もしくは中身が全くの別人になったのではないかと疑った。

程好い距離感を好む人間だ。近すぎず遠すぎず。広く浅く。
ある一定のラインを越えようとはしないし、越えさせもしない。
そんな男が、ちょっとした遊びのように自分を順平くんと呼ぶから明日は雹でも降るんじゃないかと、先の天気を心配してしまう。空は今にも雷を落としそうだけど。

「お前だって俺に"純也くん"って呼ばれたら似たような反応するだろ」
「は〜…伊織にそう呼ばれると腹が立つな」
「なんでだよ!?」
「馬鹿にされてる気がしてならないから」

伊織と呼ばれた瞬間、いつも通りを取り繕いながら安心をする。

「苗字」と「名前」が純也の中での境界線だ。
……おそらく。確信が持てないのは、どれだけ親しい仲になっても変化を伴わないからだろう。

強張った全身の筋肉を、呆れたふりしてため息をつくことで解していく。呼吸を忘れていたように、ため息にしては大量の二酸化炭素が肺から逃げていった。

「あ。」

時計を見上げた湊が小さな声をもらしたと同時に鐘が鳴り響く。
休み時間が終わってしまった。せっかく特等席を獲得できたのに全く堪能することが出来なかったと順平は肩を落とすが、湊はしっかりと暖を取れたらしく、暖まった手を純也の手にくっつけてそれを証明する。特に振り払いもしない。順平が相手だったら容赦なく払われているだろうに、幼馴染みということもあって純也は湊を突き放したりしなかった。それは少しつまらなくて、フイと目を背けて自分の席に戻る。
まあ、幼馴染みと友だちは関係性がちょっと違うだろうし、そういうことなんだろうな。と順平は自分に言い聞かせる。
だけど自分が一番親しい相手なんだろうなと思っていた分、ああもあっさりと気を許されている湊を見ると、少しだけ悔しいものがあった。


***


「純也、今日は暇なの?」

玄関口に向かおうとする足が、階段の中腹辺りで止まる。
振り返って階段上を見上げてみれば白いマフラーに口元を埋めて見下ろす湊の姿があって、純也は数秒思考したのち、暇だと答えた。
一段一段をしっかりと踏みしめながら下りてくるのを急かすことなくゆっくりと待つ。となりに並んだタイミングで止めていた足を動かすと、ありがとうと言われたから別にと素っ気なく返せば小さく笑う音が聞こえた。

「お前は暇なのか」
「暇じゃなきゃ声なんてかけないよ」
「そうかい」

言葉少なく、大した距離もない廊下を歩いて玄関に向かう。靴を履き変えて外に出ると、分厚い雲から真っ白い雪がポロポロと落ちて地面を白く染めていた。
扉を越える辺りから感じていた冷気が、四方八方から襲いかかってくる。あまりの寒さに湊はぶるりと身を震わせ、少し遅れてやってきた純也は空を見上げて息を吐いた。

「寒いと思ってたけど、雪か」
「昼休み終わった頃から降ってたよ」
「全然気づかなかった」
「寝てたからじゃん」
「あ、なんだよ。バレてたのか」
「あんな堂々と寝てて気づかない方がバカじゃない?」
「はは、それもそうか。まあ、傘はあるし、雪避けには困らないよ」

そう言って純也は柄物の傘を見せるように持ち上げる。パチンと留め具を外して広げると、わりと面積が広く男がふたり入るには充分だった。

「雪が降るって知ってたの?」
「天気予報で言ってた」
「そう。入っていい?」
「いや、いいって言うよりも前に入ってるじゃん?」
「ふふ。」

寒空の下、足並みを揃えて歩き出す。
傘の持ち手はあっさりと湊に奪われて、行き場をなくした手はポケットに突っ込んだ。
真っ白い地面に、ふたつの足跡が残されていく。まるで寄り添うように。仲の良い兄弟みたいに。

「ただいま。」

寮に帰ると、いつもは一番乗りで帰ってきている天田の姿が見当たらずコロマルだけが尻尾を大きく揺らしながら駆け寄ってきた。
他に帰宅を済ませている人はいないのか、それともさっさと部屋に戻ったのかラウンジに人の気配は感じられずテレビも沈黙を貫いている。

「なんかコロマル、いつにも増して元気だね」
「嬉しいことでもあったのか? …あぁ、雪が降ってるから興奮してるのか」
「そっか。じゃあ…よいしょっと。少しだけ外で遊ぶ?」

そう言ってコロマル専用の箱からオモチャを取り出すと、弾けるように耳と尻尾をピンと立てて全身で喜びを露にし、すかさず扉の前に歩いていくと行儀よくお座りをしながら早く行こうと急かすようにチラチラと視線を向けてくる。
その愛くるしい姿に、思わず顔を見合わせて笑ってしまった。

「遊んでる間に、パンケーキ作っとくから」
「うん。生クリームたっぷりね」
「湊。」
「なに?」
「風邪ひくなよ」
「……うん」

帰りのモノレールに揺られながら、湊がどうしてもパンケーキが食べたいと何度もぼやくから仕方がなくキッチンに立ってエプロンを身に付ける。
冷蔵庫の中に残っていた卵と牛乳も消費期限がギリギリだったから、廃棄するのがもったいないから作ってやるだけだ。決して湊に、自分が作ったパンケーキを食べたいと言われて浮かれているわけじゃない。そんな無意味な言い訳を自分の中で並べながら、手際よく作業を進めていく。

湊が大口で、自分が作ったパンケーキを頬張る姿を想像するだけで嬉しくなるとか、そんなこと。

「(…………好きな奴の胃袋を掴めるとか、これ以上にない幸せだよなぁ)」

実は、あるんだけど。
それは純也が湊に抱く、たったひとつの秘め事だ。
決して伝えはしない。気づかせもしない。
大好きな幼馴染みの傍にいられる幸せを噛み締めながら、それを壊さないように、純也はこれからも大事な幼馴染みを演じていく。

バケツから溢れるほどの、想いに蓋をして。




end
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