森と君と+呪いたち

□1.呪いたち
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「外に出てくる……」

二人が話を始めると、それに興味の無いランは、鉢植えを定位置に置いて、それから地上への階段に繋がる木のドアを開けた。

それを見て、すぐにレンズが、あっ、私もと、気付いたようにヌーナの元を離れ、彼の後ろに続いていく。

「りゅうたんの鱗は、加工品になるから、高く売れるんだよね。落ちてないかなっ!」

ランは、付いてくんな、と不愉快そうにレンズを無言で威嚇する。レンズは慣れたもので、ランの結んでいるやや長めの髪を、かざした手から出る魔力で上下にふわふわ揺らして『しっぽ、しっぽ!』と、遊んでいる。


ヌーナは二人をちらっと見てから、黙って扉から見て正面の奥にある、本棚の方に向かって歩いていく。

 やがて赤い色の、ややカビが生えた、古い本を取りだした。背表紙には『大陸と呪いの魔女』と描いてある。表紙には、どこかにそびえているらしい、大陸の絵。

それは、レンズの出身地の大陸で、『毒の呪い』を、ヌーナにかけた魔女のいる大陸。
──そして、人食い植物の育っている大陸だった。


 地上に出たランは、森の神殿より少し先にある、聖なる泉へと向かった。

 すると、今日はりゅうたん、とレンズが呼んだ竜が、水を覗き込んだまま、じっとしている。こんなところにいるなんて、珍しい光景だった。いつもなら、さっさと巣に戻る筈なのに。

「お前、どうし──」

ランは事情を聞こうと、苔を踏みながら、竜の視線の先を追って歩いた。そして言葉を止める。魚が、泳いでいた。ぱしゃん、ぱしゃん、と音を立てて。この泉で泳ぐ魚は、今まで見たことがない。

 遠くの海からここに繋がっている川を、伝ってきたのだろうか。呆気にとられていると、魚はふっと、人の姿に変わった。

 白い肌。淡い水色がかったプラチナの髪は、背中くらいまでにゆるく波打っている。性別はわからない、気の強そうな男にも見えるし、優しげな女にも見える。虹色の瞳を持ち、美しい姿だ。

「──キミは、猫か」

ぱしゃん、と音を立てて水から上がってくると、その者は、ランに聞いた。ランは、どうしていいかわからないながらに、首を振る。
「だったら、狼か。なんでもいいけど、この僕を食べないでくれよ。あまりに美しい僕は──聞いて驚け、海から来た」

まためんどくさいのが来たな、とランは思った。だが言わず、代わりにひとつ頷いて言った。

「へえ、なんだってそんな遠くから?」

「故郷の海に、最近、毒が流れてくるんだ。その水は、この森からのものだと、燕たちからの噂で聞いた」
「毒っていうと?」

「今のところ、ぼくたちは大丈夫なんだが、森に近いあたりの水域の、海草なんかが、あまり育たなくなっていて、このままじゃ、美しい姿を保つためのサラダが食べられない」

「あんたが美しいのはわかったから、黙れ」
「わかってくれるのか! きみはなんと素晴らしい!」

その者は、濡れているし、ほとんど裸だった。美しく長い髪でもさすがに隠せない部分も多い。

その姿で、ランの腕をしっかり捕まえると、唇を、ランの口の中を吸うように合わせた。
ランは驚きで思わず爪が伸び、身体中の毛が逆立つ。
「……ひっ、な、にするっ!」

「おや。古しくゆかしい挨拶だが……? 驚いたか。 空気がなければ我々は死んでしまう。空気は大切なものだ。だから、自分の空気を送り込むということで、あなたに敬意を表しますという──」

「さっぱり意味がわかんねぇよ……」

「ふむ。その反応は、人間という生き物にそっくりだな。エサを口移しする親猿や、親鳥なら、このことでそのように照れないだろう──きみは、人間の社会に居たことがあるね?」

「そうだ」

「そうか。人間は好きか?」
「──もう忘れたよ。そんなこと。ずいぶん昔だ」

 ランが、そう言いながらふと、視線を感じて振り向くと、いつの間にかりゅうたんを追ってここに来ていたらしいレンズが、固まっていた。

「あ……わ……わ……ランが、ランが! 裸の魚人族と、抱き合ってた!」

「……違う。一方的だ」

「大変だっ!」

「違う……」

ランが必死に弁解するが、パニックな彼女には聞いてもらえない。りゅうたんは、それを見届けたかのように、バサバサと飛んでどこかに行く。魚人族と呼ばれた者だけが、きょとんとしていた。

「なあ、猫。この人は誰だい?」

輝く白の髪をふわりと揺らし、ランに問う。

「おれは、ランだ。猫じゃない」

「いいや、きみらの名前なんかに興味はない。ただ、見たところ、魔力がおありだから、敵なら敵と、すぐに聞きたいんだ。急げば逃げられるからね」

「……本人に聞け」

ランは、レンズをその者のところに引っ張って行き、目の前で会わせる。
レンズは興奮ではしゃいだ。

「……魚人族の人って、レー様、始めて見た! そういや師匠が言ってたもんな。魚人族は、綺麗な髪をしてて、鱗や瞳が高値で──」
「ひいっ!」

魚人族、と呼ばれた者が怯える。

「冗談冗談。私、レンズ。世界を見通すための呪文を作っているの。魔術師見習い、研究中だよ。だからお金が必要で──」

「やはり僕の敵か」

「いや、魚人族は、師匠がお世話になったって聞いてるから、我慢するよ。あなたの名前は?」
「パールだ」

「おお、パール!! それっぽい!」

「……魔術師見習い。少しおしとやかに喋れ」

うるさいのが苦手なのか、耳を押さえながらパールが言う。ランは、慣れていたので今さらなにも思わなかったが、パールにはあまり好ましくなかったらしい。
「……ラン、助けろ」

眉を寄せて、パールがランを見る。艶やかな髪が、ふわりと潮風を漂わせて揺れた。レンズは、よくわからないがパールを気に入ったらしく、体のあちこちをつついている。

「ねーねー、性別とかある? あるならどんなの!?」

「……僕は、クマノミと同じだ。変わるときには変わる」

「ふーん。今は?」

「……特には固定されていないが、そうだな──」

「クマノミってなに!?」
「──魚、だ……」

なんだか頭を抱えるパールを見ながら、ランは思わず笑って、言った。

「──たしか海にいる魚だな。おれも見たことはないが、本で読んだ。レンズはずっと部屋にこもって、薬を調合していたから、あまり興味がないのか」

「へぇ、海の魚なんだ」

レンズは、曖昧に頷くと、再びパールに近づく。
パールがほぼ裸なことを、再び思い出して、彼女はうーんと唸った。

「服着ない?」

「なぜだ」

「だって、陸に出るんでしょ。毒の調査に来たんなら、歩いてみたら? なにか、見つかるかも」

「なぜ、陸に出るために服を着るのだ?」

「裸じゃ、風邪をひくよ!」
「服を着るのはいやだ。この僕の、泳ぐための肌が、皮膚にしまわれた鱗が、傷付いたらどうする」

「あ、そっか。傷付いたら、売れないよね……」

レンズも思い直して、パールに服を着せるべくつかみかかろうとした手を戻す。それから、裸のパールを連れて、泉から離れようとする。この辺りはめったに人がいないと言っても、さすがに、ヒトガタの生き物は特に、地上に出るには衣服がないと怪しまれるだろう。
ランは、少し考えてから提案した。

「レンズ──幻術でいいから、なにか、服っぽいのを出してやれ」

「あ、そっか。師匠に教わったんだ」

レンズは、納得して、パールに指先を向ける。
光に包まれたパールの体は、やがて白い衣服に包まれる。

「……ほう。これが、人間どもを惑わす光か。なるほど。知性のある生き物を騙すには充分なエネルギーだ」

 真面目に分析しようとしているパールを引き、改めて二人は元いた家へ向かった。

 魚人族を見て、ヌーナは驚き、果実のように鮮やかな橙色の髪、のてっぺんにある緑のバンダナを、勢いよく揺らした。

「ぎ、魚人っ!?」

パールは、対抗するかのように輝く白髪を揺らし、そして跳び跳ねた。

「ああ驚いた、生き物を食べる珍しい人型植物──の家系の者に、似ているな。」
「あら。ご存知なの?」

ヌーナがおどけたように言う。彼は頷いて話した。

「昔、魔女の住む森で、見たぞ。若いときは、根付く場所を探して──人間のような形をしており、知性があるが、根付くと木になり、やがて森を作りあげるんだ。同じ血を持つ仲間が惹かれて、同じ場所に根付いていくらしい」

ランは、その話に思うところがあるのか、やや、耳を立てて聞いていた。気になる話が聞こえると、無意識に、頭に隠している獣の耳が立つのだ。
こちらの耳には聴覚は通っていないはずなのだが──しかし、いずれは、人間としての聴覚をなくしていき、代わりにこちらの耳が、声を、音を拾うようになるのでは、と予感している。

(母さん……)

ふと、母を思い出した。人間の母親が居た。彼は人間だった──はずなのに、実はそうではなかったことを知ったのは、10歳のときだ。

 それから、人間と隔離された感情と向き合わなければならなくなり、母にも、別れをろくに告げずに、森に居着いてしまった。

──彼は、もう元の生活に戻ることができない。人間の暮らしは、今の彼にはあまりに尊く、手にはいらない。
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