森と君と+呪いたち

□1.呪いたち
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ランは母を思い出し、それから、ふと窓際に飾った植木鉢を見つめた。果たして、再び目覚めたときに《その生き物》は、『自分』を思い出してくれるのだろうか。

「ラン!」

 物思いに耽って(ふけって)いたら、名前を呼ばれ、ひょい、と視界に何かが跳んできた。反射的に左手で、掴むと、それは干し肉だった。
かじかじと音を立てて一心に噛み砕くランは、子犬のように無邪気に見え、思わず、ランに干し肉を放ったレンズも、癒されてしまう。
「美味しい? ヌーナから、今から朝ご飯だってさ。」

「……たまには、干し肉以外も食べたいものだ」

クチャクチャと噛み砕いた肉を味わいながら、ランはそう言い、完食すると、舌なめずりをした。結構気に入っているらしい。

「しょうがないわ、生肉はただでさえ高いのよ」

ヌーナが寂しそうに言いながら、手にしたフライパンを持って、窓際の隅に置かれた、小さなコンロに火をつける。

「魚肉なら、取ってきてやってもいい」

パールがそう言い、窓から僅かに見える川を見つめた。ランは首を振り、呟く。「……りゅうたん、食えねーのかな」

レンズが、がたっと、部屋の中央に置かれたテーブルにぶつかりながら立ち、ダメっ! と叫んだ。


 □

『あさのとり』が鳴き始めて、日がすっかり出てきた頃。四人は朝食をとることにし、まず準備を始める。


 ヌーナが、手袋を付けた手で、すぐ足元の冷蔵庫から出した数個の卵をフライパンに割って、手際よく調味料を加えながら、フライパンの形に沿った、真ん丸の形の玉子焼きを作ると、本棚の横にある食器棚から出した大皿に乗せる。

レンズは厚いパンを人数分に薄く切り、チーズやハムを出してそれも小さく切り、人数分、別の皿に乗せている。ランがハムを掴もうとして、またダメ! と怒られていた。

パールは、陸の食事が珍しいのか、ぱちくりと瞬きをする。ヌーナは、大きな玉子焼きに切り目を入れながら、ふとパールの方を向いて「あなた」と言った。
「なんだ。名前はパールだ。だが、名前なんかどいつもこいつも、いちいち気にすることではないだろう」
「……いえ。裸なのね」
「そうだ」
「魔力で作られた光の幻……レンズがやったんだわ。視覚に頼る情報が主に多いような、たいていの人間なら、騙せるでしょうけれど。私、びっくりしちゃった。私から見たら、透け透けだもの」

「ヌーナ! ランは、パールといちゃついてたよ!」
人数分の皿を用意し終えたレンズが、報告する。ランは頭を抱えた。

「あなた……こんなに可愛いレンズにも、私はまあ仕方ないけど、全く無関心だと思ってたらまさか──」
ヌーナが納得したような目でランをみる。

「ち……っがう、からな! おれは、そんなんじゃない!」
わけもわからず動揺したまま、ランは言う。ほとんど叫ぶみたいに。レンズが不審そうに彼を見つめた。

「……いや、でもぉ。そんな全力で叫ぶこと無いじゃん?」
「うるせぇ!」

ランとレンズが再び争いを始める中、パールはきょとんと二人を見て、それからヌーナに聞いた。

「野菜は。ぼくは美しい姿のために、美しい野菜を食べることにしている」

「……海草、でいい?」

 あちこちの戸棚を漁って、見つけたわかめを見ながら、ヌーナは答えた。聞いたことがある。魚人族は、美しい身なりを常に守っていなければ、後に群れで異性となる同属と、結ばれることが出来ない。細かい点は不明だが、美しさが無ければ、生存競争の激しい魚人界で生き残れないのだ。


 そうして各々、席に着いて食べた朝食は、とても美味しいものだった。
しかし、ランは満たされない。干し肉だけでは『肉』が足りない。そういえば、三人で暮らすようになってから、ずいぶんと『狩り』をしていないのだ。

「出かける……」

 思い始めると、そればかり気になって、ランは、食事の後片付けを始めたヌーナとレンズを置いて、外に出ることにした。

「僕も行く」

パールが呟いて、付いてくる。先ほどレンズにからかわれたことを思うと不愉快だったので、ランはずんずん、とやけに勢いを付けて、彼を離すように走った。
「来んなよ……!」

土を蹴って跳ぶ。彼の右足は、左足よりも若干重くて、ついよろけそうになったが、飛距離について来られる者はそうはいない。
どんどん引き離して森の奥まで入ると、はあ、と息を吐いた。さすがに、疲れた。
 柔らかい日差しが、今日ばかりは腹立たしいし、ピヨピヨと頭上に聞こえるさえずりも、耳障りで刈り取ってむしゃむしゃ食べてしまいたい。彼は森林にいるウサギの肉が特に、好きだ。
なので木をしばらく抜けた先にある茂みを探すのが楽しいと思う。

 しかし、いつもの茂みまで来て、ふと、あいつはどうしたのか、と急に心配になってきた。まさか付いて来られるとは思っていなかったが、しかし、魚だ。陸歩きはただでさえ、不慣れにちがいない。
陸においてはおそらく、人間の強度を下回るだろう。
「まさか、くたばってるんじゃあ、ないだろうな……」
頬を冷や汗が伝う。
舌打ちをして、戻って来てみると、パールは、神殿を出てすぐの草むらで、大きな木の葉の朝露を飲んでいた。自分を追ってはいなかったのだ。

自意識過剰だったかと、恥ずかしくなるが、一方で、あんなことをされて、さらに誤解までされればそりゃあそうなるだろう、と言い訳する自分がいる。
「おや、猫。狩りはいいのか」
パールは首を傾げながら、葉っぱをしゃぶって吐き出す。虫は敵だ、と草を異様に痛め付けていて、複雑な気持ちになった。とにかく、虫がいたんだろう。
さらに鮮度が落ちたら大変だし、おそらく、魚人にはかなりの死活問題にちがいなかった。
……しかしだったらなぜ、神殿でなく、外の水を飲むのかと不思議だが。

「狩り、バレてたのか」

「ああ。あんな食事では満足出来まい。肉食の猫。ぼくも、フルーツが欲しいね。美しい肌が保てないのは恐怖なんだ」

「……そうかい。まあ、たしかに空腹だ。しかし、なぜ虫が嫌なのに、そんなところで朝露なんか集めているんだ?」

「こいつらは、毒をろ過するらしい。『作り物』を食べていないから、毒がない。虫だってだから寄ってくるんだ」

「……ふうん」

 なんだか納得できない部分もある説明だったが、ランは深く聞かないことにした。天然の物は呪いの毒がきかないのだろうか。

 人間に紛れて暮らす、人間に近い体の生き物は、何種かいるようだが、ほとんどが雑食で、人間が作った料理の何かに含まれた人工調味料なんかも、たしかに生活のなかで口にしていることは多い。

月と太陽によく当てた水を飲むことが、ヌーナの呪いの進行を遅らせているというのも、彼女にあったときに聞いていた話だが、関係があるのかもしれない。

 それに、そうなら、りゅうたんは本当に自分の体にいいものしか食べない竜なのだろう。
「しかしなぜ戻ってきた?」

いきなり、間近で聞かれて、ランは思わず『うわああああ』と声をあげ、後ずさった。びっくりした。
パールは無表情のまま彼を見下ろして「ふむ、爪が綺麗だな。狩りはまだしていない……」と分析する。

「ほっとけ!」

むっとして、再び森に歩きだしたランは、今度こそ付いて来られないようにと、木に飛び乗った。

「お前の呪いは、その耳なのか? それとも──右足?

 パールは、ぽつりと呟くと、神殿に戻り始める。だんだん強くなってきた日光も苦手だ。

「──よし、風呂だな……」

 確か水道水は、近くの茂みで、温泉がわりにと、昨日の夜に風呂桶いっぱいに汲み置きしておいた。一日置いた水でないと、カルキの影響が怖いのだ。
水浴びを期待して、とりあえず、まずは報告しておこうと家の中に入るパールは、そのときふと、目にした。

 本棚のすぐ下の床に、『大陸と、呪いの魔女』の描かれた絵本が落ちているのを。絵では、魚人族のものらしい鱗が、たくさん、魔女の服に縫い付けられていた。
 そしてそのための魚人を捕まえる際、鱗が目に入ってしまったことを怒り、一人の魔女が呪いをかけたという海域も、描かれている。
自分の故郷だ。

「ふむ。たしか、リライト エルなんとか……と言ったか。あの魔女は、載ってないようだな……」

本を拾い上げて埃を払う。
「呪い、か……あの『半分生きた植物の足』を見るに──この森も、呪われているのだろう。どこかに、呪いを解く手がかりがないものか」

海藻が食べられなくなるのは嫌だ。海が汚染されるのも、さらに耐えられない。どうにか、故郷を深く呪いが支配する前に、見つけ出したいと思った。



呪いたち-第1幕 完
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