森と君と+呪いたち
□1.呪いたち
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-第3幕- 夢
大きな大きな空の下、お腹一杯食べたくて、
畑に種を蒔きました。
「ただいまー」
ドアを開けると、家の中にも土のにおいがまきあがり、土ぼこりと砂埃が、足元から吹き荒れます。男は肩にかけている白いタオルの土を振り払いながら重たい身体をうごかしました。
「これじゃあ、いつに、沢山食べられるんだかなぁ」
少ないお金で買えるのは、安いピーター豆くらい。
それから、小さなウトイモくらい。
贅沢を言う気はありません。食事は出来るだけまだまだありがたいことなのですから。
男には夢があります。大きな砂漠の国に行くこと。そこでは、燃料や料理に使う油がたくさん取れるので、国民は世界中から頼りにされるし、何より、小さな田舎のまちよりずっと裕福そうでした。
えぇ、そうですね、正確には、砂漠のまちで大金持ちになって、お腹一杯ご飯を食べること、それに憧れています。
けれど夢は夢……そんな旅費があるなら、とっくに晩飯はステーキでしょう。
だからこうして、安い種を買っては、沢山まき、育てて、数日か数週間を待ちわびながら、帰宅するとわずかばかりの米を食べ、干からびそうな野菜を食べて一日を過ごすのです。
けれど男の身体は、お腹が大きく突き出ているし、しっかりしているようにも見えました。
こんな生活ですのでついつい、食べられるときに沢山食べる生活をしているうちに、身体も寒くないように脂肪を蓄える変化を始めているからでした。
涙目で、小さな机を見つめて俯くも、別に空腹が収まるわけでもないし、何より、疲れて眠ってしまい、明日のことまで考えられずにいるのです。
しかし「なんて生活だろう」と、嘆くことは、ありません。いいえ、正確には、前を向いて、世界を旅して、それがやがて資産に変わるという、大きな夢のために苦しい今があるはずなのですから。
いつものように、机の上に、古い地図を広げて、砂漠の国の辺りを指でそっとなぞりました。
「資源……資源さえあれば。裕福に暮らせるんだ」
想像してみると、広い世界を見渡せるような、冒険しているような素敵な気分になりませんか? 苦しい今も、いつか素敵な経験に変わるかもしれない。
例えば空が飛べたら、もっと世界の広さを実感出来たら、きっと何かが……
力なく床に倒れこんで、そっと目を閉じてみます。
男はこうやって静かにたそがれる一人の時間が好きでした。
小さいころからがみがみ怒鳴られていたお袋も、軍隊生活の話を得意げに披露していた二歳が離れた兄も、今ではみんないない……
お腹がすいてみんないらいらするので、いつもいつも怒鳴っていたのです。
叱ると怒鳴るは別のもので、大声だけ出されても、騒音にしか思わなくなっていました。
友人にも、おまえは怒られても何も聞いちゃいないねとよく呆れられます。けれど、他人に他人を批難する資格があるのでしょうか。どうしてわざわざ悪事について思いを馳せる意味があるのでしょうか。
落着きの無い男でしたが、怒鳴られる時間がなくなり引きこもってからは随分と陰鬱ながら落ち着くようになっていました。
「騒音が無いって、実にいい」
言葉にしてみると、なんだか逆に少し、実家のことを思いだします……
あんなに怒らなくていいのに。
周りはみんなにこにこ落ち着いてるけど、あれって、みんな怒鳴られたこととかないんだろうな。
「ああやめた、それより油の話だ」
汗っぽい身体をソープで洗い流そうかと何気なく小さなシャワーのついた一角に目をやりながら、想像します。昔きょうだいたちとやった、あの侵略ゲーム。
例えば自分が指揮をとり、砂漠の国に行く自分の兵隊……その場合、まずは近くから侵略して……いや待てよ、近くの近くから侵略して、いや、そもそも、そうだな、そしたら、隣の宗教国家と衝突しかねないし、いや待てよ、その国の……
頭の中でそれっぽい戦艦や軍隊を並べると、
これもこれでその男はわくわくしました。
空腹をいっとき忘れられるので、空想はすきなのです。
そのとき、そとで銃声と叫びが鳴り響きました。
「やられた! 漠がいるぞ!!」
漠?
「夢喰いだ、夢を食ってしまうんだよ」
銃声は家の外から何発も聞こえます。
そっと窓から顔を出しますが、被害は隣家の中らしく様子はいまいち確認できません。
(あんなに撃つなんて、威嚇か、それともよほど当たらないのか?)
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急に辺りに暗い暗雲が立ち込めました。
まさか、自分の夢も食べられてしまうのでしょうか……?
砂の国で資産王になる夢は重要です。
なぜならば自分だけでなく、ゆくゆくは、周りの民、この国までも豊かになる可能性を秘めているからです。
それを、その大事な夢をやすやすと明け渡すというのは彼の中の希望……
生きるための活力を摘み取るのと等しいものでした。
それを喰われてしまうと、ひもじい生活を直視することになります。
直視すると、明日も頑張ろうとは思えません。
「もう、もう、ひもじいのは嫌だ」
男の胸に熱い炎が宿ります。夢喰いとやらに捕まるわけにはいきません。外では相変わらず発砲する音が聞こえています。なかなか当たらないのか、なかなか死なないのか。
ききそうな武器を探して引き出しを漁りながら、男は思います。
「漠ってそもそも、体重があるのか?」
確か、最低でも体重ぶんくらいのエネルギーが無ければ、威力というものを発揮できないはずです。威力が発揮できるか分からないものは、いくら狙っても仕方がありません。
「コロッ……殺し、殺してやる……っ」
がたがた震えながらそれでも、重そうな弾を探していると、背後でドアがノックされます。
「っ、漠か」
しかし、数分待っても返事はありません。
ただ、ノックが繰り返されます。
どんどんどんどん!!
「なんだよ、今、忙しいんだ……用があるのか? 配達か? 先週ぎっくり腰になりかけてたんでな……あいたたた……すまんが自分で開けてくれるか」
ぎぃ、と重たい音でドアが押される。
しかしそこに、漠の姿も、人の姿も無く、不自然に揺れるドアだけが存在していたのでした……。
「な、なんだ?」
外に出てみるが、町内は騒がしいものの、さほど周囲に大きな変化はなさそうだった。
いつもの、背の低い建物がずらりと並んでいるだけのつまらない風景。
隣人がなにやら若い女に絡んでいたので、少しその喧騒に平和を感じ、安堵した。
「前から言いたかったんだけど、キモイから二度と関わってこないでくれるー? 変態」
「一旦漠は消えたが……油断禁物! 静かにしたほうがいいぞ。今この町は追い込まれた環境ってだけではない。ワンミス命取りになる、厳しい状態なんだ、なぁ、俺ならお前くらい守れる」
「うるさい!」
「ロラさん。なにしてるんです」
ロラさんはがたつく前歯を見せながら唾がかかりそうなほど近付いて来て、それから女の方をちらりと見て、あっちに行けと言う。
若い頃はなかなかの美男子で、姫と呼ばれたことすらあるらしい。
「んだぁ? お前こそ。うちのカコク海苔買うか?」
「要りません。それより漠でしょう、漠、さっき、派手に音がしてましたけど」
「あぁ、そうだよ、漠。漠だよ。夢喰い。夢を喰うってんだがどんな見た目かいまひとつわからん」
「前から思ってたんですけど、やっぱり、発音が違いますよね」
「そりゃお前、人間だからだ。見た目がわからないわけだよ。砂漠に出る夢喰いってんで、漠なんじゃないか」
「しかし、ここは、砂漠じゃありませんが」
「そうなんだが、なぁ。どうもその辺に建っている研究施設で飼われていた動物じゃないのかって言われているんだよ」
思わず戦慄する。
そんな、そこに行こうという夢がすでに喰われたも同然じゃないか。
「なるほど。漠、か」
男は肩を落としながら自分の家に戻る。
それから、何か重要なことを忘れている気がした。
「……人間? 動物?」
ふと、どこかの家の誰かがつけているテレビから、にぎやかな音声が聞こえて来る。
《なるほど、漠か》
え――?
《続いての映像は、振られて消沈するロラさん!》
なんだ、なん、だ。何が起きてるんだ?
《始めに、漠と勇ましく戦うロラさんの様子をご覧ください!》
銃声が聞こえる。
《『あ、あっちに行け!!』》
《『早く殺せ!!』『早く殺せ!!』》
《HAHAHAHAHAHAHAHAHAHA!!!
この番組はみんなの夢を提供する、幸せいっぱい、バクカンパニーの提供でお送りします!》
「漠……?」
《あなたの夢、ありませんか?
あなたの夢、売りませんか?》
「おにぎり! おにぎり!」
旅の基本は食料だ。
レンズは、昼に食べるお握り作りを張り切っていた。魔法使いではあるが魔法で用意するのはそれはそれで大変なことらしい。
説明するとややこしい理論になってしまうと聞き、ランは黙るほか無かった。
とりあえずは干し肉があればいいし、空腹なら、別の生き物を狩れば良い。
「りゅうたんの夢は結局よくわからなかったけど、漠には興味あるみたいだね」
「……それより気になることがあるが、なぜ、この国でお握りが食べられるんだ?」
調理場にしている部屋をうろつきながら、パールは首をかしげた。ヌーナはしれっと口にする。
「さぁ、米が、市場にたまにあるのよ。
故郷の味を思い出すから、鍋で炊いてたまに食べているの」
故郷。毒で滅んだ故郷。
ヌーナの顔が苦味走ったものになるが、すぐに笑顔に切り替わった。
「……こんな悪夢も、食べてもらえるかしらね」
悪夢だけなら沢山ある。
それはもう、漠でも食いきれないほどではないだろうかと、思うほどにある。
質量も重さもある。そんなものを抱えてもしょうがないという気もしなくはない。
自由になれるかもしれない。
そう思うのはヌーナだけではなかった。
植木鉢を抱きかかえたまま外に向かうと、ランはそれに話しかけていた。
「ほら、良い天気だ。漠に合ったら、これまでの悪夢をまとめて食わせてやろうと思うんだが、お前にもあるか?」
(もし、悪夢を食べてくれるんだとしたら、いまよりずっとずっと体が軽くなるかもしれない。漠には食料だから中身でうなされることも無いだろうし)
植木鉢は何も応えない。
静かに葉っぱを伸ばしているだけだ。
「…………、お前も……木に、いつか、なるんだよな」
木になる頃には、一人前として外に根付いていかねばならない。
「人食いの木」
パールの声がして、ランは慌てた。
「なんだ、付いてくるなよ」
「それを、植えるのか」
「……お前には、関係ない」
「ふむ。確かに、関係はないのだが。その木と、きみは、どういった関係なのかい?」
「友達だよ、ただの」
パールが何も言わないので、ランは焦った。
危ないから捨てろとか、そういう話かと思うと居てもたっても居られない気がする。
焦って、とりあえず掴みかかろうとしていると、パールはケラケラ笑い出した。
「いや、面白い、そうか、友人だったか。人食いの木が、根付く場所を求めて人の形をすることはあることくらい知っている」
「あいつは、人だ。人なんだ」
「まぁ、そうだな。魚人族も、人ではある。きみも、彼女たちもそうだな。というわけで」
植木鉢は何も言わないが、パールは礼儀的に挨拶をしてみた。
「初めまして。挨拶が遅れたね」
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