121話〜

□第百二十七話
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【SIDE 中野 梓】

街路樹に留まってる蝉が今日もミーンミーンって鳴いてる。
夏休みだからかもしれないけど、いつもより車が通る頻度が高い。
その排気ガスと日本の夏特有の湿気を含んだ熱気が私達を包む。

歩きながら手をおでこに当てて少し首を上に動かせば、真上に近付きつつある太陽が燦々と輝いてた。


(今日も暑いなぁ)


そんなことを思いながら私の隣を歩くサク先輩を覗き見てみる。

暑そう。

頭を下げて、眼を細めて、口を横一文字に結んで、ダラダラと歩くサク先輩は本当に暑そう。

最初は私の歩調に合わせてくれてるのかなぁって思ってたけど何てことはなく、ただこの暑さに参ってるだけだった。

表情はいつもと同じでぶすっとしてるけど、僅かに疲労の色が見える。


「大丈夫ですか?」


って声を掛けたら、サク先輩は『…そんな風に見えたら眼科に行ってこい……』とボソリ。

こんな反応をしてる分は大丈夫だなって小さく頷き、私達は目的地の公園を目指して足を動かし続けた。

卒業旅行の計画が立った翌日の十四日土曜日。

今日も唯先輩から呼び出しメールが届いた。
詳しい内容は書かれてなくて【公園に集合!】という簡潔なメールに疑問が湧いたけど、とりあえず私は自宅を出た。

しばらく歩いているとサク先輩と偶然遭遇して、訊けば当然サク先輩にも唯先輩からのメールが届いたみたい。


「でもサク先輩が素直に応じるなんて珍しいですね」

「…少しは失言をオブラートに包む方法を知らねェのか……」

「あ! す、すみません!」

「…こんな猛暑で炎天下の中、わざわざ呼び出されてホイホイ行くわけねェだろ……」

「でも、今歩いてますよ?」

「…俺が了承のメールを返信しなかったら、一分毎に平沢と田井中から同じ内容のメールを寄越しやがる。ノイローゼになりかける程の頻度だ……」

「じゃあ結局……」

「…察しろ……』



苦手な夏に参って、唯先輩と律先輩にも参って、かなり疲れてるようで口を開くのも億劫そうなサク先輩が少しだけ可哀相だと思いながら私は前を向いた。

そして視界の端には大森書店が映り、何となく昨日の事を思い返してみる。


〓〓〓〓〓〓〓〓〓


『『梓ちゃん』』


振り返った憂には小説のような、和先輩には二冊の雑誌が、それぞれの本が手にあった。

私はちょっと珍しい組み合わせだなぁって思いつつ、唯先輩は和先輩の幼馴染みなんだから必然的に憂もそうなんだから別に違和感ないかって同時に納得していた。


『梓ちゃんは何してたの?』

憂が尋ねる。

『軽音部で卒業旅行に行くって話が出てて、その下調べみたいな』


当然、唯先輩から旅行の件を聞かされていたようで、憂は『そうなんだ』っと言って特に気にする素振りを見せずに手に持つ本に一度視線を落とした。


『憂と和先輩は?』

『ちょっと調べものがあってここに来たら憂がいたのよ』

『調べものですか?』

『私も生徒会のみんなと旅行に行こうって話が出てるの。今日はその行き先検討みたいなものなの』

『あ、同じですね』


ホントに同じ。

軽音部のそれは勿論、私も行き先検討のためにここに来たんだもん。


『軽音部はどこへ行くの?』

『えっと、一応海外っていうことになってます』

『へぇ〜、いいわね海外』


本当にそう思ってくれてるみたいで、眼を線にして和先輩が笑った。


『生徒会はどこに行くんですか?』

『京都に行こうかなって』


和先輩が手にある二冊の雑誌の表紙を私に見せるように胸に抱える。
その表紙には京都の有名な観光地の写真が写ってて、和先輩が持っていた本は京都の旅行マガジンだったみたい。


『修学旅行で行きたくても時間の都合で行けなかった所が随分あって、また行きたいなって』

『そうなんですか』

『ねぇ、梓ちゃん』


すると、視線を本に落としてた憂が私にその視線を向ける。


『行き先はまだ決まってないんだよね?』

『うん、みんな行きたい場所がバラバラで』

『そうなの?』


和先輩がコテンっと首を傾げる。対する私は少し苦笑いで『はい』と答える。


『私はアメリカで、澪先輩はイギリスで、律先輩はハワイ、サク先輩はスペイン、ムギ先輩は楽しかったらどこでもいいって』

『そうなんだ。でも、ホントにいいわね海外って』

『和先輩はどこか行きたい国があるんですか?』

『国っていうか、行ってみたい場所はあるわ。モヘンジョダロとかアンコールワットとかマチュピュチュとか』


モヘンジョダロとアンコールワットは分かるけど、一つだけ分からない……ていうか思い出せない場所があった。
だから私は訊いてみようと口を開いた。


『マツピチュ?』

『ううん、マチュピュチュ』

『マチュピツ』


うっ……! 言えない……!

ほっぺたが熱を帯びていくのが分かる。恥ずかしい!


『クスッ、慣れないと言いづらいよね』


そんな私の心情を察したのか、和先輩が小さく笑って気を遣ってくれた。
でも、それが私の羞恥心を掻き立てて益々ほっぺたが熱を増していっちゃう……


『梓ちゃん。お姉ちゃんはどこに行きたいって言ってた?』


すると、憂がそう尋ねてきた。
私はその質問に答えるために一度小さく頭を振って、何とかほっぺたの赤味を失くす。


『唯先輩は美味しい食べ物があったらどこでもいいみたいだよ』

『唯らしいわね』


和先輩は少し呆れたようで、何ともいえない表情でそう言った後に『あれ?』と何かに気付いたように私に向き直った。


『咲也も乗り気なの?』


普段のサク先輩の人となりを知っている和先輩からしたら、よっぽどその事が珍しいみたいで、少し驚いてる。


『はい。律先輩が無理矢理押し進めた感は否めないですけど……』


でも、なんにも文句らしい文句を言ってこないってことは、サク先輩も結構乗り気なのかも。
逸早くバーガーショップから出ていったし、熱心にスペインの旅行パンフを見てたし。


『まぁ、理由はどうあれ、咲也が旅行に乗り気なのは梓ちゃんからしても嬉しいんじゃない?』

『はい、そうですね』


うん。確かにそうだ。

何かと理屈を捏ねるサク先輩が今回はすんなり参加してくれた。

それは私からしたらやっぱり嬉しいし、きっと唯先輩達も同じ筈。


(唯先輩……かぁ……)

『それでね、梓ちゃん』


唯先輩とサク先輩についての悩みの種がまた主張を始める。
そんな時に憂が持っていた本を私に見せるように胸の前に抱えたから、一旦この思考を断ち切って憂に向き直る。


『私、お姉ちゃんや梓ちゃん達が旅行に行って無事に帰って来れるか心配なの……』


憂は本当に心配しているみたいに、眉を八の字に下げて表情を曇らせている。
それは、唯先輩が大好きな憂だから、逆に過敏になって大袈裟になり過ぎてるんじゃないかって思って『大丈夫だよ』って声を飲み込む程。


『だから、これ』


憂が差し出した本を受け取って表紙とタイトルを見てみる。


『護身術?』


そこには女性が男性の腕を取って、よく分からない関節を締めあげてる技をしているイラストと口に出したタイトルが。


『海外って何があるか分からないから』

(大袈裟なんじゃ……)


行き先によっては治安が悪い所はあるかもだけど、そんな所には行かないと思うし……


『ちょっと大袈裟かもしれないけど何があるか分からないから。備え有れば患い無しって言うしね』


少しだけ思考が顔に出てしまってたみたいで、和先輩が微笑みを私に向けた。


『お姉ちゃん達に何かあったら大変だから』


憂の表情は至って真剣で、否定的な言葉が出せない。


『う、うん、そうだね』


だから私は頷くしかなかった。


『咲也さんが一緒だから安心だけど、万が一に備えて』

『憂ってサク先輩のこと信頼してるんだね』

『うん! 咲也さんっていつも落ち着いて大人っぽい人だから。それに……』


そこで一度言葉を切った憂は視線を私から天井付近に移して、再び口を開いた。


『お姉ちゃんがいつも言ってるから、咲也さんは頼りになってカッコいいって』


瞬間、ドキッと心臓が跳ねた。


『い、いつも言ってるの?』

思わず声が上擦る。

『うん! 咲也さんのことになるとお姉ちゃん本当に嬉しそうなんだよ』

『嬉しそう……』


サク先輩がいないところで嬉しそうにしている唯先輩。
それってやっぱり、『そう』なんじゃ……


(でも……)


そうだと決め付けるのは早いのかも。
唯先輩がどういう意図があって私に抱き付くのか分からないけど、もしかしたらサク先輩に対する唯先輩のそれは私のと同じなのかもしれないし。


(やっぱり、本人次第だよね)


なんて、思ってみたりしたんだけと……


〓〓〓〓〓〓〓〓〓


「サッくん大丈夫?」

「……」

「あれ? サッくん?」

「……」

「た、大変だよムギちゃん! サッくんが動かないよー!」

「落ち着いて唯ちゃん! とりあえず飲み物を……!」

「…うるせェっつうの……」

「サッくん! 良かったぁ〜」

「…暑苦しいから離れろ……」


木陰になっているベンチに横になってた身体を起き上がらせたサク先輩に抱き付こうとしている唯先輩を目撃したら、やっぱり『そう』なんじゃないかって思っちゃったり……

あれから程なくして私とサク先輩は公園に到着して、先に来てるだろう唯先輩達を探そうとしたら、すぐに見つけることが出来た。

先輩達は昨日憂が買った護身術の本を片手にそれを実践しているところでかなり目立っていた。

幸いこんな暑さの中で公園に用事があるのは遊んでいる小さな子供ぐらいで、殆ど人はいない。

でも、かなり目立ってる……


『…何やってんだアイツら……』

『多分護身術だと思いますけど……』

『あぁ?』

『昨日憂が私達が無事に帰って来れるようにって買ってました』

『…必要かソレ……』


そう言ってため息を吐き出したサク先輩は公園内にある自動販売機の横に設置されてるベンチに向かっていった。

ということはサク先輩は先輩達が実践している護身術には参加しないんだろうと汲み取った私は、サク先輩の背中を見届けて、先輩達に近付いた。


『あれ? 梓一人?』

『てっきりサクと一緒だと思ってたんだけどな』

『いえ、一緒に来ましたよ。でもサク先輩は興味がないみたいで、あそこで休んでます』

『あ、ホントだぁ。お〜いっ! サッく〜んっ!』

『咲也君、気付かないね?』

『いや、あれば無視してるな。せっかく私と唯が協力して呼び出したのに』

『それがかえって逆効果になっているみたいですよ』


とりあえず憂の好意を無駄にしないように私はあんまり乗り気じゃないけど、先輩達と一緒に護身術の勉強に参加。


『じゃあ次は、ムギちゃんとあずにゃんで。後ろから抱き付かれた場合ね』

『いひひ〜、金よこせ〜』

『いやムギ、演技はいらないだろ』

『臨場感ある方がいいかな〜って』
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