121話〜
□第百三十話
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【SIDE 秋山 澪】
「モンブラ〜ン♪ モンブラ〜ン♪」
掃除当番が終わった私達は部室に向かう階段を上がっていた。
先頭を行く唯はよっぽど今日のティータイムが楽しみなようで、両腕をブラブラと交互に動かしてスキップをしている。
見上げたその後ろ姿は、オモチャを与えられた子供みたいだ……って、今日の朝、唯が子供っぽいって咲也が言ってたっけ。
その次に律とムギが続く。二人は雑談を交わしているみたいで、たまに会話が聞こえる。
「なぁ、ムギって四歳の頃からピアノ習ってたんだよな?」
「うん。父の勧めで」
「梓はギター始めたのって確か小四って言ってたな」
「うん。ご両親がジャズバンドだから、その影響でって言ってたね」
「サクはあのミュージシャンのギタリストに憧れて、小三からって言ってたな」
「うん」
「んで、唯は高校からで、私と澪は中二から」
「どうしたのりっちゃん? 難しい顔して」
「ん〜……いや! 何でもない!」
「でも……」
「何でもないって! それよりさ、今度始まるドラマ面白そうなんだよな〜! 何かフリーターが家を買うんだって!」
律が何を思ってそんな事を口にしたのか私には分からない。それはムギもそうみたいで推察するみたいに律を見ている。
でも、律の横顔からは何も読み取ることは出来なかったんだと思う。
だって律の話すドラマに次第に興味を示し始めたから。
まぁ、ムギの性格を考えたらドラマの方に誘惑の天秤が傾いたんだろうな。
(咲也だったら不干渉かな?)
観察力と洞察力が鋭い咲也なら、もしかしたら律の言葉の真意に気付くかもしれない。でも、例え気付いたとしても敢えて言わないのかもしれない。
自分や軽音部に関する事柄ならまだしも、仮に律の言葉が全くの無関係だったら、きっと咲也は何も言わないし関わろうともしない。
それに、今ここには咲也はいない。つまり律の言葉を知らないから、どの道、咲也には無関係。
まぁ、私かムギ、それか律本人から咲也の耳に入ったら別だけど。
「あれ〜? サッくんとあずにゃんいないよ?」
「二人でどこか行ってるんじゃないかな? ほら、咲也君と梓ちゃんの鞄があるし」
「あのキーホルダーは正に梓の鞄だな。しっかしサクはキーホルダーどこに付けてんだ? まさか家にあるなんて事はないよな?」
「はいは〜い! それなら私知ってる! 鞄の中のポケットに入れてるって言ってたよ〜!」
「へぇ〜、って、何で知ってるんだよ?」
「この前一緒に帰ってた時、あずにゃんと訊いたんだよ」
部室の扉を開けた律達がいつものように話す声が聞こえる。
私はまだ、部室には入らず何となく踊り場から外を眺める。
桜高生が足早に校門に向かっていた。多分、その殆どは三年生なんだろうな。
受験のためにみんな必死なんだ。みんな頑張るんだ。目標に向かって必死なんだ。夢を叶えるために頑張るんだ。
「私も頑張らなきゃな」
決意を声にすると、不思議と身が引き締まるように感じて、私は受験生だって改めて心に刻んだ。
「でも、たまの息抜きにエリザベスを弾いてもいいかな? なんちゃってな」
クスリと小さく笑って階段を上がる。そして遅れて中に入れば、律と唯がムギにお茶をねだってる。
おいおい、今日から受験勉強するんだろ? 始めからそんなんでどうするんだよ。
ムギもムギで、嬉しそうにティータイムの準備しちゃダメだろ。
全く! 受験生って事忘れてるんじゃないだろうな?
「澪ちゃんは何がいい?」
「私はコーヒーで。せっかくムギが持ってきたんだし」
あぁ……流されてしまった……
し、仕方ないじゃないか! もう習慣みたいなものなんだし! 身体が勝手に反応しちゃうんだ!
「はぁ……」
言い訳を心で叫んでも意味がない。だから私は咲也みたいなため息をついた。
鞄を長イスに置いて、とりあえずいつもの席に向かう。
「え……?」
そしてテーブルの上にあった物を視界に入れた途端に私は瞬時に眼を見開いた。
どうして? 何で? っと。
「あぁーーーっ!!」
掃除をしている時に感じた嫌な予感が的中してしまって、ここにあってはイケないそれに、私はヒドく驚いて、つい大声を出して叫んでしまった。
(何で!? どうして!? 隠してたのに!? 咲也に頼んで一番奥に押し込んでもらったのに!?)
頭の中は目の前にあるクッキーの缶が何故テーブルの上にあるのか? という疑問で持ち切りになる。
だから私は既に忘れてしまっていた。
律の意味深な言葉を。
律の真意が見えない声を。
律の悩んでいるような表情を。
それは数年後になって後悔するんだって、この時の私は知る由もなかったんだ。
あの時、何で忘れてしまったんだって。
何で咲也に言わなかったんだって。
数年後の未来に……
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【SIDE 桐島 咲也】
階段昇る最中だった。
不意に中野が口を開いたのは。
「サク先輩の言う通りでした……」
「…黒歴史」
「はい……」
共にため息をついた。
そして中野の感想は『新歓前に流さなくて正解です。ていうか流しちゃダメだと思います』とのこと。
実に的を射た感想に再度俺と田井中のファインプレーを内心で称賛していると秋山の悲愴感満載の悲鳴が部室から漏れてきた。
『どうした澪!?』
『み、見ろ……コレ……!』
『クッキーの缶? 澪ちゃん、コレがどうかしたの?』
『こ、この中には……』
『コラッ! 唯っ! お前全部食べただろっ!』
『わ、私食べてないよっ!』
やはり防音効果が低下しているようで、田井中の驚愕した後に平沢に叱咤する声や、琴吹の疑問を含んだ声や、平沢の必死に否定する声や、秋山の震える声のハーモニーがダダ漏れだ。
「もしかしてコレが無くなったのが見つかったんでしょうか?」
中野が手に持つDVDケースに視線を向ける。
窓から差し込む光が僅かにケースに反射し、中野の表情を映す。
その表情は、心なしかバツが悪そうなものだった。
「…十中八九そうだろうな」
黒歴史が封印されてあった缶は、テーブルの上に放置したまま。と、なれば、必然的に発見されてしまうのは必至だ。
「コレって澪先輩が隠してたんですよね?」
「…一応本人はそのつもりらしいけどな」
ただ単に棚の奥に押し込んでいただけで、俺からしてみたら隠しているとは思えない。隠蔽したいのであれば自宅に持ち帰ればいいものを。
まぁ、これも秋山の抜けているところなんだから仕方ないんだろうが。
「何か澪先輩に悪い事しちゃった気がします……」
「…気に病む必要ねェと思うけどな。お前が見つけて顧問に唆された時点で秋山の運のツキだったんだろうよ」
言って、扉を開ける。
その後を中野も若干の気まずさをそのままに俺の背に続く。
そして、俺達の入室を感知した四人は一斉に振り返る。と、同時に一目散に駆け寄って来たのはいたく慌てている秋山だった。
「さ、咲也! 大変なんだ! か、隠してたのに! クッキーの缶が! 封印してたのに! 中身が無くなってる!」
「…とりあえず落ち着け」
我を見失ったように俺の前でアタフタと両手を動かし、矢継ぎ早の口撃を繰り出してきたが、宥めるようにそう言えば『う、うん……』と深呼吸を始める秋山。
「み、澪先輩!」
すると、機を見計らっていたのか突発的に中野が声を張り上げる。
見れば手にあるDVDケースを秋山に差し出している。
「あ、梓っ! そ、それ……!」
ほんの一時しか騒ぐ心を沈静出来なかった秋山は、震える指で封印されし黒歴史を差す。
「ごめんなさい! 観ちゃいました……」
深々と頭を下げる中野。
「物置部屋を掃除してたら偶然見つけて……。サク先輩と先生が気になるんなら観てみろって……」
「おい」
何をさり気なく俺も悪人に仕立てあげやがってんだ。
唆したのは顧問であり、決して俺ではない。その事を念頭に置けよ。
「あ! 思い出した! この中にあったのって去年撮った軽音部勧誘ビデオか!」
「確か、澪ちゃんが観せたくないってこのクッキーの缶に入れてたのよね〜♪」
「懐かしいね〜、あのクッキーの味♪」
「そっちじゃねェだろ……」
田井中と琴吹は、中野の持つDVDと秋山の慌てふためく態度に合点がついたらしいが、平沢はやはりズレていた。
「本当にごめんなさい……」
そこまで謝罪しなくともいいと思うが、根が真面目な性格故に、そこはケジメをつけたいのかもしれない。
「梓……」
そんな中野に秋山が呟き、一呼吸置いて中野の肩に手を置き口を開く。
「そこまで謝られたら逆に私が困っちゃうよ」
「でも……」
「確かにこれは余り観られたくないけど、普通、缶の中にあったら誰だって気になっちゃうよな。それに梓に言わなかった私にも落ち度はあるよ」
「いえ! 澪先輩は……!」
顔を上げた中野。その頭に秋山が肩に置いていた手を乗せたことにより、中野は二の句を告ぐ事が出来なくなる。
「じゃあ、お互いの不可抗力だったって事にしないか? それなら梓も納得だろ?」
微笑んで告げた秋山に、中野はしばし瞳をしばたたかせ茫然としていたが、直ぐに笑顔になり、
「は、はい!」
と、実に清々しい程の声で頷いた。
因みに、俺からしてみれば『なんだこれは?』だ。
黒歴史観賞は秋山にとっては傷を抉るようなものなんだろうが、それをここまでの事態に発展させる必要があったのだろうか。
どうやら、難儀な性格と根が真面目な性格のコラボレーションは、青春ドラマを彷彿とさせてしまうワンシーンを生み出してしまうようだ。
「うん、じゃあ今から練習しようか」
「勉強するんじゃないんですか?」
「あ、そうだったな」
「もう、澪先輩らしくないですよ〜」
「ごめんごめん」
『あははは』と何がおかしいのか二人は笑う。
何やら親密度が上がったらしい。それは周囲に星がキラキラと輝く程。
「ぽ〜……」
「ちょっ! ムギ!? 帰ってこーいっ!」
そんな秋山と中野に、琴吹が恍惚感満載なうっとりとした顔つきでスキル発動。田井中が肩を揺らすが随分遠くに旅立っているようで、中々帰還してこない。
「ほい、サッくん」
「サッくん言うな」
とりあえずは一件落着したので、鞄から古文のノートを取り出そうとすれば、平沢が俺のヘアピンを差し出してきた。
「ありがとうね〜。サッくんパワー注入したから返品するよ!」
高尚にドヤ顔をする平沢。どうやらピンと返品で上手い事を言った表れのようだ。
つうか、俺が朝言ってしまった事をただ自分の手柄にしただけだ。
「…二点」
「な、何点満点中ですかい?」
「…百点満点中」
「ガーンッ!」
受け取り、前髪を装着しながら採点結果を告げれば、よほど自信があったのか膝から崩れ落ちる平沢。
「「あははは」」
「ぽ〜……」
「ムーギーっ!」
「ブヒブヒ……」