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□La primavera
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春の女神が、やってきたかと思った。
「こんにちはー」
少し間延びした気軽な挨拶。
玄関を開けた瞬間に、初春のまだ冷たい外気と華やかな香りを連れて現れたみょうじなまえ。
腕いっぱいの梅の花は、まるで天女の羽衣。
「うー寒っ。お母さんからの頼まれ物、持ってきた」
「あぁ、聞いている」
「なんか梅の花たくさん貰ったんだって。尽八のとこ持ってけってさ」
なまえの腕から、芳しい花を付けた枝を受け取る自分は、まるで天女の羽衣を隠す人間の男。
「上がってくれ、母も間も無く帰ってくると思う。お前の母君に渡す物があるといって取りに出かけたのだ」
「そうなんだ。じゃ、お邪魔しまーす」
玄関に揃えられた小さな靴。
少し前までは自分のものと大きさも変わらず、同じように走り回ってくたびれたスニーカーだった。
女性用の華奢な靴に変わったのはいつの頃だっただろうか。
気づけば彼女の頭を見下ろす程に身長の差は開き、ふざけて叩きあっていた肩は薄く小さく、自分との違いを実感する。
あの頃はどんな力加減で叩いていたのか。
今はきっと、少し力を入れて掴むだけで痕を残す。
白い肩を掴む自分の手を想像する。
浮き上がる肩甲骨、真っ直ぐ下へ伸びる背骨。
細い腰を掴んで振り向かせると、臍の横には小さな傷跡があって。
その傷跡を辿って上へいく途中で…心臓がギクリと跳ねた。
…無意識に想像した。
そう。自分は知っている。
彼女の腹部にある小さな傷跡を。
ふざけて、怪我をしたというその跡。
絆創膏が剥がれても白く残った傷跡。
何度も見てきた。
けれどもう、一緒に駆け回った小さな少女ではない。
彼女は、第二次性徴を迎えた、女性。
そんな彼女の、普段は人目につかない小さな傷跡を、知っている。
呑気にコートを脱ぎながらなまえがこちらを見て呼びかける。
「尽八、あの漫画続き貸して」
「あぁ…あぁ、うむ、いいぞ。取りに行ってくるから待っていろ」
「何巻まで読んだか忘れちゃったよ。一緒に部屋行く」
脳裏を掠める、彼女の小さな傷跡。
家の中に、二人っきり。
目を閉じて、脳裏に浮かんだ映像を振り払う。
少し赤くなった頬を自覚して、できるだけ自然に声を出す。
「いかんよ、なまえ。男の部屋に、そう簡単に入るものではない」
梅の花は、俺の手の中。
羽衣を無くした彼女は、自分の側に。
羽衣は、花。
隠さずとも時がたてば自然に消える。
どこへも行けない。どこへも行かせない。
梅の花は春の訪れ。
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