NOVEL4(その他オリジナル小説)

□清宵の魔王
1ページ/2ページ

 湖はとても綺麗な水を湛えていた。
 森の中のひっそりとした空気の中、水を求めて多くの森に住む動物達が、この湖を訪れる。思い思いに喉を潤し、時に軽く水浴びをし、再び森の奥の住処へと帰っていく。
 彼が湖に訪れた時、そこには兎や鹿がいた。彼の気配に逃げる様子など全くなく、兎などは、むしろ屈託無い無邪気な様子で彼の周りを飛び跳ねているのだ。
 彼は湖のほとりに膝をつき、手で水をすくい、飲み干す。すると兎も飲みたいと言葉無き言葉で、彼に訴える。くすりと彼は笑った。両手で水をすくい、兎の口元へ持っていってやると、こくりこくりと微量ながら飲む。
 そんな様子を微笑ましく見つめている彼の瞳は、この澄んだ湖の底のような深い深い蒼い色をしている。そして彼が何か動作をするたびに、さらり、さらりと揺れる髪はとても長く、月のない闇夜を閉じ込めたかのような、黒緑の色をしていた。
 彼は重さを感じさせない動作で、腰を下ろす。
 すると水を飲みに来ていた動物達が彼の元に集まり、体を休める体勢を取る。
 そこが安全で休まる場所であることを、動物達は本能的に知っているのだ。
 彼はこの湖に来ている時間が何よりも好きだった。
 ここには誰も来ない。
 力を求める“仲間”達も、力を拒絶し排除しようとする“敵”達も。
 ずっとここにいたい、とそう感じてしまうくらい、この時間が彼は大好きだった。
 だがあまり長い間ここにいることはできない。自分がここにいることで、この場所が知られてしまい、せっかくの動物たちの憩いの場所が穢されてしまう。“敵”は平気で綺麗な場所や、儚いものの命を踏みにじっていくから。
 彼は名残惜しいと思ったが、この湖を後にした。
 住処である大きな城に戻るのだ。
 今日も何組かが城を訪れ、彼を殺しに来るだろう。
 殺気立てて、血生臭いにおいをさせて。
 皆、勇者に英雄になりたくて。
 懸けられた破格の報酬がほしくて、生命を賭けて。




 ――何故なら彼は、『魔王』と呼ばれる存在だったからだ。

 


 彼は生まれながらにして王であった。
 強大な魔力をその身に宿し、どことも言えない深い森の奥で彼は産まれ堕ちた。父とも母とも分からない儚い存在に育てられた彼は、力を求める者達の城に“我らの王”として迎えられた。
 反発も当然あったが、彼のその身から溢れるかのような魔力の前に、ひれ伏すしかなかった。力が全ての彼らの世界では、彼は存在するだけで、王であったのだ。“王”として迎えた彼らにとって、彼は畏怖すべき存在であり、決して同志や仲間ではなかった。彼はその“力”故に孤独であった。
 ある日、彼の魔力に危機感を覚えた剣士や魔導士達が、城に攻め込んできた。
 彼は戦った。
 力の差は歴然としていた。剣士や魔導士達は彼に触れることすら叶わず、強大な魔力の前に力尽き、その姿を消された。
 その後何人もの“敵”が来たが、彼に適うものなどいなかった。
 いつしか彼は人々から『魔王』と呼ばれ、恐れられるようになった。
 そして今日も、勇者と呼ばれる者が仲間と共に城を訪れた。
 勇者は彼を当然のように『魔王』と呼び、彼を滅ぼそうと攻撃を仕掛けてきた。
 その殺気。
 禍々しいほどの殺気。
 勇者は本当に『魔王』を殺そうとしていた。
 彼は悠然と片手を前に上げ、手のひらを広げた。それだけでよかった。
 甚大な魔力の奔流が一瞬のうちに手のひらに集まったかと思うと、勇者に向かって放たれる。
 勇者とその仲間は抵抗する暇も、声を上げる暇もなく、その奔流の中へ消えていった。
 力の強さに肉体が耐え切れず、かき消されたのだ。
 やがて辺りしんとした静けさに見舞われた。
 ゆっくりとした動作で彼が手を下ろす。
 彼の、湖のように透き通った深蒼の瞳が、痛い表情を伴って、儚げに揺れた。
(……いつまで、続くのだろう)
 いつまで自分は彼らを殺し続けるのだろう。
(殺さなければ……殺される)
 そう、彼らは殺気を持って、彼を殺しに来ているのだ。
 彼は何故こんなことになってしまったのか、分からなかった。
(私は……ただここに在っただけ)
 ただここに在るというだけで、彼を排除しようとする者がどんなに多いことか。
 彼は自分の手を見つめる。
 それはきっと血塗れの手。
 自分の身を守るためとはいえ、彼はこの城へと来た者を全てこの手で殺したのだから。
(だから、私は……『魔王』だ)
 ぐっと握った手を胸に押し付ける。乞うように、願うように祈る。
 たったひとつの願いを内に秘めて
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ