短編

□心酔狐
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「もぅ、檎ちゃんしっかり歩いて!」


「ワシはまだじぇんじぇん酔っとらんってぇ〜」


「はいはい、それ酔っ払いの決まり文句ね」



ここは衆合地獄にある花街

男と女の欲がひしめき合い、一時の甘い幻を見る場所。



「珍しいね、檎ちゃんがこんなに酔うなんて」



酔っ払いの檎に肩を貸し、そう呟いた凛は妲己が元締めの妓楼で働く妖狐の遊女だ。
檎とは長い付き合いでお互いによく知った仲の腐れ縁である。



「たまには良いじゃろ〜♪」


「にしたって飲み過ぎ。今ならたんとぼったくれるわね」


「ははっ、そりゃあ怖い」



艶やかな女達が彩る花街は、桜の季節を迎えより一層華やかさを増して見える。
その華やかさに目をつけ、今年から新しく始めたこの試みを提案したのはもちろん妲己様。


桜の木の下へ広げた座敷では、女と酒と桜に酔った客が上機嫌のカモと成り果てる。
扱いやすくなった所で容易く普段より搾取出来るという訳だ。


ということで桜が散るまでの間、花割烹狐御前では出張花見み営業をすることとなった。



「ほら、座れる?」



客から見えないように紅白幕で区切られた裏方へ入り、檎を長椅子へ座らせる。
覗き込んだ顔はうっすら紅を差し、ぼんやりと普段より伏せた狐目がこちらを向いた。



「まったく...白澤様も困ったもんね、太鼓持ちにまで飲ませちゃって」


「白澤の旦那は酔うと振る舞い酒が酷いからのぉ」


「絡み酒もね」



やれやれとため息をつきながら檎の隣に座り、桜を仰ぎ見れば幕越しの宴の騒がしさが少し遠くに聞こえる気がした。
春とはいえ、まだ少しひんやりとした夜の空気は火照った体に心地良い。

ふわりと吹き抜ける風に、闇の中で雪のように咲いた花はヒラリヒラリと花びらを散らせる。
その光景は単に"美しい"と表現するには物足りなくて凛とした儚さと、幻のような怪しさで見るものを惑わすようだ。



「あぁ〜...いかんのぉ」


「ぁ、平気?お水持ってこようか」


「いんや、水はいらんけど...此処借りてい?」


「____えっ?」



ポフン



そう言うが早いか、檎はごく当たり前のように凛の膝を枕に寝転んだ。



「こらっ酔っ払い...私の膝は高いわよ」


「堅いこと言わんとサービスサービス♪」



寝転んだ拍子に頭から落ちた帽子を気にも止めない。
ニヘラっと憎めない笑顔を向けられては、無理やり頭を下ろすことも叶わなくなってしまう。


その笑顔は確信犯だと分かっているのに。



「はぁ...酔っ払い狐は質が悪いっ」


「何だかんだ言っても甘えさせてくれる凛は良い女じゃの」



檎はにんまりと口元を歪めると、スッと手を伸ばし凛の頬へ触れた。
そして今度はじゃれるように指をふわふわした狐耳へ移動し耳の輪郭を撫でる。



「もぅ...くすぐったい」



男に触れられることに抵抗はない、そういう仕事だもの。

だけど、どうしてだろう...
相手が檎ちゃんだから仕事の時のように切り替えられないのか、触れられた手にやけに意識が向いて落ち着かない。


降り積もる花は不規則な動きで舞い降りて、点々と2人の着物を桜色に染めていく。


檎ちゃんとなら、このまま着物が桜色に染まりきるまで....じゃれあうのも悪くないかもね


なんて思った私は桜に酔わされているのかしら_______?



「檎ちゃん...」



それとも



「なぁに?その目...さては私に惚れちゃった?」



私から一瞬も目を離さない

彼のせい______?



わざとらしく触れている檎の手に手を重ね、冗談半分で誘惑するように聞いてみた。


それなのに、その目は相変わらず揺らぎもしない。
まるで心ごと視線で縛り付けているかのように。



「今更何を言うとる」



揺らがない瞳のまま、口元だけが怪しく弧を描く。



「ワシはずっと凛に惚れとるよ?」



______音をたてて時が止まる



「____っ...あのね!そういういい加減な冗談言わないで。私は遊女よ?恋愛ごっこしたきゃお金で買えば「買わんよ。 いくら酔ってもそんなヘマはせん」



『買えばいい』と言い終えるより早くピシャリとそう言ってのけると、檎は素早く上体を起こして、軽く凛を引き寄せ耳元で囁いてみせた。



「ワシは思うんだがのぉ...本気で惚れた女は口説き落とすもんじゃろ?」



サラリと揺れた彼の髪から香る煙管の匂いと、その囁きの甘さときたらまるで毒のよう。
ジワジワと胸の奥から毒されて、熱くって苦しいったらない。



「檎ちゃん...悪酔いしすぎよ」


「凛も酔えばいいじゃろ」



クスリと笑う檎と、胸に籠った熱に耐える凛。


花見提灯の薄明かりに2人の影がゆっくり交わり、互いの深くまで溺れるような口づけはジワジワと理性を溶かしていく。


先に酔ていたのはどちらかなんて今となっては分からない_____



「...んっ、はぁ....」


「...良い具合に...酔えたようじゃの?」



捕食者的な彼の目は、桜より遊女よりずっと怪しく妖艶


落とした帽子には2人の戯れの分だけ花びらが降り積もっていた。













『檎ちゃん...もう、これ以上酔わせないでよ』


『まだまだ序の口じゃろう?』









2013.03.29
雪乃 雛
 

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