蒼穹
□ねぇ、笑って
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戦闘も何もない日だって、「事務」という形で仕事はどんどんと積もっていく。
そんな毎日。
「ねぇ総士」
これまた何時ものように、総士の後ろを付いていく乙姫は、兄を見上げて薄く笑った。
「…何だ?」
決して乙姫に振り向くことなく、総士は素直に言葉を返した。
もちろん、足が止まることもない。
それでも「らしい」と、乙姫は相変わらずの総士を内心で褒めてみる。
「そんな気難しい顔してて、疲れない?」
「そういう問題じゃない」
「そうかな?いつまでもそーんな顔してると、しわが消えなくなっちゃうぞ?」
そんな知識、どこから仕入れてきたのか、総士は軽く溜め息を吐いた。
「たまには表情崩さないと、ね!!」
一歩総士に近付き、乙姫は総士の服の裾を掴む。
「笑うのも良し。驚くのも良し。感情のない人形じゃないんだから、それくらいできるでしょ?」
「…乙姫」
何もない今の状況だというのに、笑え、とか驚け、とか言われても逆に困るだけだ。
そんなこと、総士じゃなくとも難しい。
総士は眉間の皺を刻みながら乙姫を一瞥した。
その乙姫はというと、いつもより楽しそうな---何が楽しいかはわからないが---笑顔を総士に向けたまま。
「こうやって頬を上に上げてみたらどう?辛うじて笑顔に見えるんじゃない?」
「それでそうしろと?そのメリットは…」
「あたしが総士の豊かな表情を見たいだけだから、これといったアレはないけど〜」
「………」
「ただ、いつも---とは言えないけど---一騎に見せてる笑顔、あたしも見てみたいなーとか思っただけ」
サラリと乙姫は総士に言って、思い切り微笑んでみせた。
総士は何か反論しようと口を開いたが、どうにかこらえ、深く長い溜め息を吐いた。
こんなことでいちいち怒ってなどいたら、これから先、いくら頑丈な命がいくつあっても足りない。
このカウンターパンチは、妹の得意分野なのだから。
「乙姫」
「ん?」
「………」
「どしたの、総士」
「いい加減にしてくれないか」
乙姫とは対照的な、皮肉げな笑みを総士は向ける。
「お前みたいに、何もないのに笑顔はつくれないからな」
素直に笑顔を表出しすることの出来る乙姫を反面恨めしく思いながら、それを覚らせないよう、普段通りに言う。
ここで引いてはいけないと、本能が忠告しているのだし。
「ふ〜ん……」
含み笑いをしながら、乙姫は総士を見上げたまま頷く。
「なーんかツマラナイなぁー」
乙姫の無邪気そうな声だけが、少し寂しげな地下の廊下に、温かく響いていた。
完
(たまには笑ってこっちを向いて)