Novel

□失踪する涙
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待ってると言ったくせに、たった一時間弱が我慢できないなんて。
だって、今日は雨だから。
玄関の段差に座って外を眺めていると、菫の友達に声を掛けられた。

「お、蜷川ちゃ〜ん、なになに、菫待ち?大変だねぇ〜」

彼の名前は七原アキヒ。
通称アキちゃんと呼ばれている。
とても気さくで、菫の友達の中でも唯一話せる人物の一人だ。

暫らくくだらない話をして笑いあっていたが、七原くんの携帯が派手な音をたてて鳴った。

「うわぁ〜、兄貴からだわ。悪い、俺もう行くね〜」

よっこいせと言いながら立ち上がると、
僕の方を振り向いて蜷川ちゃんは笑ってるほうがいいよと言って帰って行った。

七原君の屈託のない笑顔に、なんだか胸の辺りがむず痒くて、
無性に嬉しい気分になった。
束の間、校門の所に見知った人が立っているのが見えた。

―― 母親だ ――

馬鹿みたいに体が震え出した。
思考を遮るみたいに、俯いて目を瞑る。
幻だったらいいのに…。
不意に顔を上げると母親と目が合った。

もう、終わった。

眼鏡をしなくなった僕の顔を見間違えるはずが無い。
母が走ってこっちに向かってきているにも関わらず酷くスローな光景。
足が竦んで動けない。

後、数メートル…。

ゆっくりと顔を上げれば、母は僕の目の前に迫っていた。
鈍い衝撃と共に、『泰行』と言いながら抱きつかれ、
金縛りにあったかのように、体が動かなくなった。

僕は、父じゃない。
何度も、否定したにも関わらず、僕の名前はいつになっても『泰行』。

きっと、母の中で僕の名前も、存在も殺してしまったのだろう。
たった、三文字なのに…。
その三文字は永遠に母の口から発せられることはないのだろう。
なんだか、僕が僕じゃないみたいで酷く辛い。





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