Dream・ファントムPain2

□ファントムPain 吐露
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航海室

使い古された海図や手配書、天気図やコンパスがあちこちに置かれているこの部屋がサラは好きだった。

古い紙の匂いや、吊るされたランタンが波の揺れに合わせてキィキィ鳴るのが心地いい。

そんなランタンが一際大きく鳴いたのと同時にキラーは小さく手を叩いた。

「よし、今日は此処までにしよう。」

しかし、キラーのそんな声にサラはうつ向いた。

「…すみません。キラーさんに時間を割いて貰ってるのに…」

「気にするな、そんな日もある。」

キラーが慰めるのも無理は無い。
今日は1度も能力を発動させる事が出来なかった。

それは多分、サラ自身、心ここにあらずだったからだ。



「…………キラーさん。」

「…ん?」

海図にペンを走らせながら返事をするキラーにサラは続けた。

「私は、…役に立てないんでしょうか?……………必要なんでしょうか?」

小さな事に左右されて、自分の事すらままならない。
キラーやキッドは勿論、自分より後に来た『ダリア』だって、どんな時でも自分の仕事を全うしている。

役立たずは自分だけ。

……マニキュアすらまともに塗れない。


「……俺は、」

ペンを置いてキラーはサラをしっかり見つめる。

「俺は、サラが役立たずとは1度も思ったことは無い。それに足手まといだと思った事も。」


「…………。」


眉をハの字にして、膝の上で小さな手をきつく握りしめる彼女。

彼女はその歌声で、その存在で。

自分達を、そしてキッドを変えている事に気が付いていないのか。
でも、そんな彼女が愛しいと、必要だとどんなに言葉を尽くしてもきっと彼女は理解出来ないだろう。

彼女が居なかった頃のキッドを、サラは2度と知ることが出来ないのだから。



「……たが、俺が言っても納得は出来ないだろう?お前は、聞くべき相手が誰なのか分かっている筈だ。」

そう諭すような穏やかな声に、サラは漸く顔を上げた。

同時に部屋の外がバタバタと騒がしくなりキラーが立ち上がった。

「島に着いた様だな。この島のログは短い。物資の補給が終わるまで、キッドが面倒を起こさないよう見張っていてくれないか?」

全て見透かされているようなその言葉にサラは小さく頷いた。






甲板で忙しなく動くクルー達を見下ろしながら、サラは洗い立てのシーツを取り込んだ。キッドと出掛けるなら尚更、自分に与えられた仕事はきちんと済ませておきたかった。

それぞれの部屋に丁寧に畳んだシーツや服を置いて歩く。最後はキッドの部屋だ。

勇気を持ってキッドと話そう、そう決心して踏み出す。少し開いたままの扉に手を掛けた。

………?

何時もならきちんと閉じられている筈の扉にサラは一瞬戸惑う。キッドはああ見えて几帳面だ。自室の扉が中途半端に開いていた時など1度も無い。もしかしてもう先に出掛けてしまったのかと部屋の中の気配を探る。

『ガタン』

音が聞こえてサラは室内を覗き込んだ。


「…ねぇ、そんなに私が気になるんだったらずっと傍に置いておけばいいんじゃない?」

そこにはキッドだけでは無く、『ダリア』も居た。

立ったまま、壁を背に凭〈もた〉れた格好のキッドにダリアは妖艶な微笑みを浮かべてその靭〈しな〉やかな胸板に指を滑らせた。

余りの光景にサラはその場に突っ立ったままだ。

ダリアの紅い唇がキッドのそれと重なった。

サラはシーツを放り出して逃げ出した。



決定的だった。
萎え始めた心が急速に枯れていくのを感じていた。

自分の居場所など、もう何処にも無い。







吐息が熱く、お互いの口から漏れ出る。

キッドが形勢を逆転して今度はダリアを壁に押し付ける。

恍惚とした表情で女はそれを受け入れてキッドの身体に自分を添わせる。

「…ん、」

口腔を自分勝手に弄ぶキッドに翻弄されながら肌を擦り合わせれば、快楽に立ち上がり始めた胸の先が小さな刺激に震えた。

偉そうで、自分以外を認めない様な男。
ただただ、乱暴な情事しかしなさそうなこの男の思ったより上手い舌使いにダリアはうっとりと酔いしれていた。

「………っ、ハァ…」

高まった興奮を発散させようと、キッドの下肢に手を伸ばした。

「…………どういうつもり?」

「あ?」

不敵な男の笑みをダリアはキッと睨み付けた。

そう、指を伸ばした先の男は、少しも兆〈きざ〉していなかった。

瞬間ダリアは身体を離され乱暴に壁に打ち付けられた。

「何するの!?」

怒鳴った先の男はそんな彼女を鼻で嗤って見せた。

「はっ!テメェが相手じゃ勃ちもしねぇな。」

「はぁ!?」

濡れた唇を嫌そうに拭いながら、そう嘲笑うキッドにダリアも食って掛かる。

「ぐっ、……っ!」

しかしその声はキッドに喉首を掴まれて消された。

「…オレを舐めるなよ?テメェがオレなんざ興味が無ぇ事は判ってる。…お前の狙いは初めからアイツだったろうが?」

ギリギリと首を締められてもダリアは声も洩らさずキッドを睨んでいる。

「別にテメェが何を知ってようが、何をしようが構わねぇ。」

そこまで言ってキッドは急に手を離した。
気管に一気に空気が流れ込みダリアは咳をしながらその場に尻餅をつく。

そんな彼女に合わせてしゃがみこんだキッドが、咳き込むダリアを無理やり上向かせる。

「だが、これだけは覚えとけ。今後アイツに何かあったら、オレは真っ先にお前を殺す。…例えばアイツが石ころに躓〈つまづ〉いて怪我でもしたら…お前を殺す。雨に打たれて風邪でも引いたら…お前を殺す。」

「なっ!?そんな無茶苦茶っ……!!」

だけどどんな無茶でも、目を見れば分かる。

キッドは本気だ。

どれ程理不尽な理由でも、キッドはダリアを殺すだろう。

「ま、そんな事にならない様にせいぜいアイツを大事にしてやるこったな。」

立ち上がり、呆然と自分を見上げるダリアにキッドは《その時が愉しみで仕様がない》、そんな笑みを向けた。









そこかしこに散らばった枝や、大木から伸びた根がキッドの焦る足を引っ張った。

生い茂った木々の所為で昼でも暗いその場所はひんやりとしている。

自室の扉を開けてすぐ、床に放り出されたシーツをキッドは見つけた。もしかしたら、と嫌な予感に突き動かされて此処まで走ってきた。

遠くでは、自分の船に物資を積み込むクルー達の声が聞こえている。

足元の湿気た落ち葉を踏みながらキッドがキョロキョロと辺りを見回せば、少し先の木々の向こうに探していた人物を見つけてまた走り出す。


「テメェっ!1人でほっつき歩くとはどういう了見だっ!?」

近づき背後から思わず怒鳴りつけたのは、さっき見られたであろうやり取りが後ろめたかったからなのか。

「………おい、何とか」

言え、と言おうとした言葉はサラに遮られた。

「…もう、船には戻りません。」

背を向けたままのその声は酷く冷ややかに聴こえた。

「……あぁ〜…さっきの《あれ》は、…だな…」

何でオレが言い訳なんぞ、と思いはしたが仕方がない。ここは下手に出るかと紅い頭を掻きむしる。

「良いんです。オカシラさんはしたい様にすれば…」

「はぁ!?」

したい様にすれば、とはどの口が言うのか?サラが現れて以来、自分らしく無い事ばかりの連続だった。
なのにそれをお前が言うか、とキッドは思った。

「ふざけんなよ、バカ女!」


『バカ女』

キッドは自分の事をいつもそう揶揄するが、1度だって嫌な気分になったことは無かった。

でも今は違う。

名前で呼ばれないことがこんなにも哀しい。

「ふざけてません!だって私はっ、…ろくに役に立たないでしょう?料理も裁縫も…皆さんの手当ても私には出来ないです!それにっ、……ダリアさんが居れば、オカシラさんだって…」

そこまで言ったサラの肩をキッドが力任せに引っ掴んだ。

「…オレが、何だって?」

聞いたことも無い、低く昏〈くら〉い声にサラの痛い程掴まれた肩がビクついた。

「オ…カシラさ、ん」

「テメェ、マジでふざけんなよ。役に立つだか立たねぇだか、いつ誰が言ったよ!?」

「それは、」

「テメェが何時までも《レイ》とか言う野郎を想いやがるから、オレは!」

『レイ』
彼女の口から幾度も零れたその男の名前を、キッドがどれ程忌まわしく思っていたか。
その名を聞いた途端、サラの顔色がサッと変わった。


「何で…レイの事をオカシラさんが…?」

「寝言でも、うわ言でも、しょっちゅう呼んでたろうが。」

「………だ、だとしてもオカシラさんには関係ありません!」

「ふざけんなっ!役に立たなかろうが、抱けなかろうがっ、傍に置いておきたいからムカつくんだ!オレをここまで無様にさせやがるくせに、『関係無い』だと!?」

キッドが怒りも顕に怒鳴り付けた時、サラの思考がフリーズした。

そのまま視線だけでも、人を殺せそうな極悪な顔。

でも言われた言葉は…

「…そ、それっ…て…も、もしかして…」




……………………オカシラさんは……


      私の事……………    
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