キリリク小説

□★悪戯
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それは突然の出来事だった。

朝方、いつものように妖狐ともう一人の居候である黒天狗と共に温かな朝食を食し、食後の茶…とも呼べぬ薄緑色の湯を口へ運んでいた折に不意に鳴り響いた甲高い電話のベル。妖狐が両手を添えていた湯飲みを円卓の上に置きぱたぱたと畳を踏んで小走りに廊下へ出て行く様を、主である勘太郎は茶を啜りながら黙ってその背中を見送っていた。
電話の相手は源家当主の腰巾着、と勘太郎は把握している渡辺末吉延その人だった。それは本当に唐突な伝達事項で、今宵当主が直々に貴殿の家を訪れたいというものだった。繋がったままの電話片手に声を張り上げそれを伝える妖狐の声に、あからさまに眉根を寄せ眉間に皺を幾本も刻み不機嫌を露にする黒天狗。反面勘太郎は結んだ唇から暫し唸り声をあげ思案を巡らせた後、「構わないよ」、そう一言告げ返した。

そうこうしてその日の宵。
早めの夕食を済ませそれらを手慣れた様子で片付け終えた妖狐は休む間もなく支度を整えて給仕のバイトへと赴き、それと入れ替わるようにして一ノ宮家を訪れた源家の当主を勘太郎は玄関先まで出迎え、「手土産は?」という笑顔を孕んだ第一声を発した。勘太郎の第一声に源の当主は薄笑みを浮かべ、右手に携えた包みを勘太郎へと差し出す。勘太郎はそれに笑みを深くしてから漸く「いらっしゃい」という台詞を口にし、背後で険しい表情を刻みつけたままの黒天狗の背を押して客人である青年をやっと家の奥へと招き入れた。

黒天狗にとっては招かれざる客である彼が手土産として持ってきたのは、庶民ではおいそれと手が出せぬような細かな細工が施された高級和菓子の数々。包みを解き円卓の上で中身を広げると途端に桃や黄色といった鮮やかな彩が勘太郎達を出迎え、その華やかな姿で二人の目を楽しませた。
勘太郎が早速その菓子を食そうといそいそと席を立ち上がろうとした瞬間。青年は白い着物から伸びる華奢な勘太郎の手首を掴んでそれを引き留め、強引に腕を引いて畳へと引き戻してしまう。バランスを崩し畳の上に尻餅をついた勘太郎の姿を青年は口端を緩めて眺め、間髪置かずに尻をついた勘太郎の膝へと頭を乗せてごろりと横たわる。その拍子抜けさせられる行為に唖然とする勘太郎。一方の黒天狗はそんな光景を前にどっかりと畳に腰を据えておくことなど出来ずに勢い良くその場から立ち上がり、怒りを全面に押し出し勘太郎の膝の上で寛ぐ青年を蹴飛ばそうと片足を宙に浮かせた。
しかし…

「蹴っちゃダメ!大人しくそこに座りなたいっ、春華!!」
「…っ!?」

寸での所でいいように膝を貸している主の一声で全身が凍りつき、黒天狗・春華は渋々足を下ろして元いた場所へと腰を据えた。
主従関係にある人間と妖怪の関係をまざまざと見せつけられて、くっくっと耐え笑いを零す青年・源頼光。その笑みに春華は腸が煮えくり返りそうな程の怒りと羞恥を覚え、拳をギリ、と握り締めながら憤りの矛先を主へと向け勘太郎を睨みつける。しかし勘太郎はそんな春華の眼差しや心中には我関せずといった様子で、膝枕をしている眼下の男を「しょうがないな」と溜め息混じりに見下ろしていた。



それから一時間。
包みを開いた菓子は頼光が膝枕へと及んだ直後に動けないと踏んだ勘太郎が自ら蓋を閉じ、「僕、先生に耳掃除して欲しいなぁ〜」という頼光の要望に勘太郎は仕方なく耳掻きへと手を伸ばし、勘太郎の腹に後頭部を向けた状態で横向きに身体を横たえる子供の耳掃除を黙々とやり進めていた。とはいっても勘太郎自身他人の耳掃除をすることなど生まれて初めてで、勝手も何も分からぬままただ耳の粘膜を傷つけぬようにと小さな耳の中へ視線を一点集中させる。当然その間勘太郎の目は一度たりとも春華に向けられることはなく、春華は退屈と苛立ちを誤摩化すようにして自分で煎れた出涸らしの茶を幾度かの危機を乗り越えた末期にも程近い状態の愛用の茶碗で啜り飲み、頼光が勘太郎にこれ以上下手な手出しをせぬよう間近でじっとその様子を見据えていた。


「…ふぅ。はい、左耳終わり。次は右だね」
「ん〜…。先生ってさぁ、意外と器用だよね。耳掻きって使う人間によっては凶器にもなるのに、先生に耳掃除されてたら気持ち良くて眠くなってきちゃったよー」

いっそそのまま永眠しやがれ。
無表情な春華のそんな邪な胸中を目の前の二人が察しられる筈もなく、頼光は心底気持ち良さそうな表情を讃えるとごろりと今度は勘太郎の腹の方へと寝転がった。当然寝転がった頼光の目の前にくるのは赤い袴の帯を締めた勘太郎の腹部で、頼光はこれ見よがしに至近距離に迫った腹部へと顔を擦りつけ、両腕を勘太郎の腰へと回してぐりぐりと擦り寄ってくる。
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