明治東京恋伽〜めいこい〜
□ぬくもり
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――――どこまでも真っ暗な深い闇。
――身体が重い。まるで、鉛を乗せられているみたい…。
だるくて、何もする気になれない。
苦しい。痛い。誰か――…。
「……芽衣…」
――誰かが、私の名前を呼んでいる。
あなたは……?
ヒヤリと冷たいものが額に触れた。
それがきっかけとなったように、真っ暗だった世界がゆっくりと光を取り戻していく。
開けた視界に映るのは、見慣れた天井。
――心配そうに覗き込む緑色の瞳。
「……春、草、さん…?」
うまく動かない口を動かすと、彼はホッと安心したように息をついた。
「……まるで子供だな。よく食べてよく寝て」
「なっ…」
フン、と鼻で笑う彼。
しかし、その顔は少し安堵しているようだった。
「…ま。朝よりは少し良くなったんじゃない。……俺は、鴎外さんみたいに医者じゃないから看病の仕方とか、正しいかは分からないけど」
軽く目を伏せ、春草さんの手が額に乗っていた濡れ布巾を取る。
それを桶に入った水に浸し、水気を絞ってからまた額に乗せる。
「…あの、春草さん。学校は――?」
ふと思って尋ねると、彼はふいっと視線を外した。
「行ってない」
「……え?! ど、どうしてですか…?私のことなんか気にせず今からでも……!!」
「無理」
即答だった。
「フミさんは今日は実家に帰ってて、鴎外さんは仕事だし。…俺が学校行ったら誰が君の面倒見るの」
「けど……!私は、ほら、この通り大丈夫ですか…」
これ以上、春草さんの足を引っ張りたくない。そう思って、身体を起こすと――
ぐらり、と視界が揺れ、世界が横に流れた。
「……まだ治ってないのに、無理しなくて良いから」
頭上から降ってくる優しい声。
気づけば、私は春草さんの腕の中に居た。
間近で春草さんが視線を合わせてくる。
「君がそんなに心配しなくても、1日休んだくらいじゃ何ともならないから」
(――だから気にするな、ってこと?)
いつもそうだ。春草さんは、いつもあと一言を言ってくれない。
彼の緑色の瞳はまっすぐで、私の心なんか見透かしてしまいそうなくらい澄んでいるのに、そこから彼の真意を読み取ることは難しい。
彼の瞳から目が反らせなくて、ジッと見ていると、彼の手が頬に触れた。
「……熱っぽく潤んでる君の瞳、綺麗だよ」
「…………え…?」
聞き間違いかと首を傾げるが、彼は微笑だけしてまた私をベッドに横たえた。
「……ほら。横になって安静にしてなよ。夕方まで鴎外さんは帰ってこないから、大した看病も出来なくて悪いけど、俺に出来ることなら何でも言いなよ。今日は特別に聞いてあげる」
「……本当ですか?」
「うん」
頷いた春草さんを見て、恐る恐るお願いを口に出してみた。
「じゃあ――さっきの、またやって欲しい、です」
「……さっきの…?」
怪訝そうに春草さんが首を傾けた。
「春草さんの手、冷たくて凄く気持ち良かったので、その……」
ワガママだろうか、と躊躇していると、彼はフッと笑って自身の手を私の頬にあてた。
「――これで良いの?」
「…は、はい……」
自分でお願いしたことなのに、気恥ずかしくなってしまい目を伏せる。
「君、ほんと変わってるよね」
そんな私の顔を上げさせたのは、柔らかい声だった。
「こんなので満足、とか変わってる。…欲なさすぎて拍子抜けっていうか」
(……それでも。私にとっては凄くワガママなお願いなんですよ…?)
――そんなこと、面と向かっては言えないけれど。
黙ったままの私の頬の上を、春草さんの手が滑った。
「……けど。これで君が良いなら、ずっとやっててあげる」
「…だから――いつもの迷惑で図々しい君に早く戻って」
睡魔に引き込まれていく私の耳が最後に捉えたのは、夢か現だったのか分からないけど――。
「また笑顔を見せて」
――そう、聞こえた気がした。