明治東京恋伽〜めいこい〜

□ロマネスクレコード〜忘却イルミネヰト〜発売記念
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「春草〜!! 居るかい、春草!」


「……ここに居ますけど。どうしたんですか、帰ってきて早々」


サンルームで1人新聞を読みふけっていた春草は、自身を探しながら入ってきた人影にむくりと顔を上げ、怪訝な表情をした。

一方、そんな春草を見つけると、この家の主でもある森鴎外は、パアッと明るい顔になり、すぐに思案げに腕を組んでニヤリと含み笑いをした。


「いやね、僕は先程重大な事実に気がついたのだよ。――今日が大事な日だということにね。…何か分かるかい、春草?」

「いえ、全く」

「相変わらずお前は釣れない奴だなぁ」

間髪入れず即答した春草に、呆れたように笑うと、鴎外は「そうだ!」と手を打った。

「それならば子リスちゃんに聞いてみようではないか。お〜い、子リスちゃ〜ん!」

「彼女なら、朝から買い物に出ていますが」

「おや、何だい。残念だなぁ…。せっかく子リスちゃんに今日が何の日か聞いてみようと思ったのに」


あからさまにガッカリした鴎外に、春草は小さく溜め息をつくと、新聞に視線を戻そうとして――サンルームのドアが視界の端で開かれたのに気がついて、そちらに視線を向けた。

そんな春草の視線を追った鴎外の表情が、途端明るく変わる。


「ただ今、帰りました」

「おぉ、子リスちゃんではないか…!ちょうど良いところに帰ってきたね、今お前に…ん?」


はしゃいだ声で、ドアの前に佇む芽衣の近くまで歩いて行った鴎外は、彼女の手に握られているものに目を止めて言葉を切った。


「子、子リスちゃん、それはっ……」

「…あぁ。朝からそそくさと出掛けて行ったのって、その為だったんだ」


言葉を失う鴎外に比べ、大した驚いた風もなく春草は淡々と言葉を紡いだ。


「はい、まぁ。やっぱりお二人の初めてのCD…じゃなくて、レコードですし…!」


ジャケットの中でこちらを見詰める二人は、いつもとは少し違って見える。白いシーツに真っ赤な花というのもまた映えていて、アクセントになっているのだろうと、初心者知識ながらそう思った。


*****


「……初めても何も、俺はもうこんなのやる気はないけどね」


鴎外に促され、空いていた春草の隣に腰掛けると、春草はおもむろにそう言った。


「おや、何だい、春草。僕が『歌の収録の依頼 か 饅頭茶漬け か 行水のどれが良い』と聞いたら即答だったではないか。本当はお前はまたやりたいのではないかい?…饅頭茶漬けや行水を捨ててまでも選んだのだから」


二人の向かいに座り、優雅に脚を組んだ鴎外は愉しそうにそう問いかけた。


「……それは、選ばないと強制的に饅頭茶漬けにしようという、無言の圧力があったからに決まってる…。じゃなかったらどれも選ばないに決まってるだろ」

「……ん?何か言ったかい、春草?」

「いえ、何も」


ボソリと小さく不満げに呟いたのは、どうやら鴎外には聞こえなかったようだ。
春草と芽衣は揃って胸を撫で下ろした。


「…って、何で君まで安心してんの」


小声で聞いてきた声に笑顔を返す。


「えっ…。だって、喧嘩なんてしてほしくないですから」

「………ほんと、変だよね君って」


呆れたように微笑を零すものの、自分でも最近は少し彼女に対して甘くなってしまっているかもしれない、と密かに春草は思った。


「…けれどもなぁ、子リスちゃん。恐らくお前のことだから、あの松旭斎天一とやらから貰ったのだろうが…」


そう言うと、鴎外は腰を浮かせて芽衣に顔をグッと近付けた。


「そんなものを使わずとも、お前が望むのなら僕はいつだって歌ってやるのだよ。何ならそのまま夜を明かしても…」

「鴎外さん。冗談が過ぎますよ。…俺だって、まぁ、その……君がどうしても、っていうなら歌ってあげないことも、ないんだし」


ふいっとそっぽを向きつつの春草の言葉に、鴎外は芽衣から顔を離し、ガタンっとテーブルに手を付き立ち上がった。


「春草…!結局お前もそうなるのではないか…っ」

「残念ながら、俺には鴎外さんと違って不埒な考えなどありませんが」

「……ほぅ…?さて、どうだろうか…?春草とはいえ、春草も男だからなぁ…」

「あ、あの……?」


何だか嫌な予感がして声をあげる。が。


「…よぅし!何ならここで歌勝負といこうではないか、春草…!勝ったら子リスちゃんとの一夜だ!」


芽衣の声など届いてはいないようで、鴎外はやる気満々の声でそう言い放った。


「なっ…。鴎外さん、そんな勝手に…!」

「あぁ、そうかい、残念だなぁ。春草がやらないというのであれば、自動的に僕が勝者ということになる。……というわけで、子リスちゃん」

「ちょ、ちょっと待ってください…!」

「うん?何だい、春草」

「……分かりました。受けて立てば良いんですね…?」

「ほぅ…。やっとやる気になったかい。それじゃあ早速――」


*****


(……あぁ…。私の意見は一体どこに…)

まだ陽は天高く昇りきったばかり。
このあと予定がないであろう二人は、しばらくこの調子なのだろう。

(私、このあとフミさんのお手伝いしようと思ってたんだけど…)

しかし、今の様子を見るにまだしばらくは放してもらえそうにないだろう。

やいのやいのと言葉の応酬が続く中、芽衣は1人溜め息をついたのだった――。

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