書評・熱闘篇

□『軍国日本の興亡』
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 日清戦争から日中戦争までの近代史を『軍事』という視点で捉えた本。
 今現在“軍国”とかいうと、かなり危険な思想と捉えられてしまう。何故か。戦後の日本は(ある種独善的な)平和国家を標榜したが、それは戦前の過度な軍事国家日本の裏返し(空想的平和主義)であり、アレルギーの結果であると著者は考えている。日本が敗戦国と名乗ってもおかしくない間はそれでも良かったのかも知れないが、今後世界の主要国を名乗っていくときに、軍事を伴う国際貢献を『いやあ、ウチは平和国家なのでねえ』とか言って逃れることは出来ない。
 さて、戦前の日本の軍国主義化についてだが、私はキーワードとして『文民統制』を挙げたい。日清戦争・日露戦争までは、政治家(元老)たちが“どういう状態になったら”とか、“どの国を仲介にして”など、きちんと青写真を描いてから戦争を開始・終了している。これが日露戦争後、日本(というより陸軍)が満州の権益を得てから事情が変わってくる。満州占領→植民地化を企み、中国やアメリカと対立する陸軍に対し、政府は協調外交を目指し、必死に軍部の押さえ込みを図っている。「満州問題に関する協議会」の中での伊藤博文と児玉源太郎のやりとりはその典型と言える。しかし元老たちが段々いなくなると、陸軍は政府からの抑えが効かなくなり、また統帥権問題もあり、陸軍は暴走を進めていく。日清戦争で負けた清国の中で、漢民族を中心とするグループが“日本の近代化をモデルに”辛亥革命を起こし、場合によっては親日に進んでもおかしくないところで、軍部が満蒙独立運動を起こしたり、二十一ヵ条の要求を出したりして、中華民国が決定的に反日になるのを煽ってしまったり、アメリカやイギリスが日本へ満州権益の独占をやめるよう勧告を行ったのに、それを無視して門戸閉鎖(満州独り占め)をしたりと、日本は対外的にどんどん孤立してしまう。ワシントン会議での日英同盟の廃棄は、日本の外交の孤立化を決定的なものにしたと、どの本にも書いてあるが、中国に関する九カ国条約に違反して中国に侵略した結果、アメリカを中心とする諸外国から袋だたきにあったという見方も大事だと思う。自国の利益のみを追求し、国家間や国際的な条約を破れば、その国は当然の報いを受けるのである。

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