短編2

□日常回帰
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 シワ一つない、パリッとしたワイシャツと、ブレザーと、ズボン。同じくシワ一つないネクタイをしめる。
 おかしなところがあったらきっと、ヒヨリに散々いじられる。その時のヒヨリの楽しそうな大きな笑顔は好きだけど、他のことでその笑顔をしてほしい。
 黒いリュックを覗いて、忘れ物がないか最終チェック。筆箱忘れてた。
 元気な声に聞こえるように「いってきます」を言って外に出る。春の暖かさはムワッとしたもので、嫌いでも好きでもないけど、今日はどことなく不快だ。
“近所”と呼べる距離にある朝比奈家に徒歩で向かう。腕時計を見たら七時三十二分だったから走った。朝比奈家の玄関の前に、見慣れた耳下の二つ結びがあった。足音で僕に気付いてこっちを見て、顔を険しくする。

「遅い。二分遅い!」

「ごめん」

「罰として課題写させて」

 罰として、なんて言っているけど、僕が時間通りに来ても時間前に来ても、何かしら理由をつけて「課題写させて」と言っただろう。もしかしたら理由も前置きもなく、開口一番に「課題写させて」と言ったかもしれない。
 リュックから課題(数学のノートと英語の問題集)を出してヒヨリに渡す。どうして昨日までに言ってこないんだか。提出は今日だ。

「入学式に課題提出とか、高校って何考えてんのかな」

 もし他の人がそう言ったなら、「高校はものを考えないよ」とでも返しただろう。けれどヒヨリだから、僕は黙って同意した。ヒヨリは鞄に僕の課題を突っ込みながら「キモチワル」と呟いた。屁理屈を我慢したのがバレたらしい。

 今日から僕らは高校生だ。知り合いが四人在籍していた、――その内の一人しか卒業しなかった高校の。
 入学式、と達筆で書かれて門の脇に立てかけられた看板の横を通って、高校の敷地に入る。昇降口に貼られたクラス分けの紙の前に人はいない。早めに来たから当然かもしれない。
 僕もヒヨリも名字は「あ」だから、自分がどこのクラスに所属しているのかはすぐ分かった。

 僕はD組、ヒヨリはB組。


「…離れたね、やった」


 歪んだ笑みのヒヨリに「残念がってるの丸分かりだよ」とは言わず「僕は残念だけど」と言う。ばか、と返してきたヒヨリの頬はほのかに赤い。今度はキモチワル、と言われなかった。僕の我慢に気付く余裕がないからか。ヒヨリもやわらかくなったなあ。
 校舎の四階まで上って、それぞれの教室に入った。どれだけ気合いが入っているのか、中にはクラスメイトがすでに三人いた。自分の席に着いて手持ち無沙汰にしている。コミュ力は低いらしい。挨拶したげに僕を見る彼らを無視して自分の机に荷物を置いて廊下に出た僕が、一番コミュ力に欠けている。
 B組に行こうとしたら、ヒヨリが出てきた。楽しみで仕方ないという顔だ。


「図書室行こう」


 頷く。気合いも入っていない僕らが早くにここに来たのは、図書室に行きたいからだ。入学説明会でもらった校内地図を頼りに図書室へ向かう。
 時間が早すぎて開いていないかもしれない――不安が一瞬鎌首をもたげたけれど、明かりのついた図書室を見てホッとする。
 図書室には司書の人しかいなかった。入学式だからか、生徒はいない。
 僕は司書の人に二年前、四年前、五年前の卒業アルバムを見せてほしいと頼んだ。そう頼む新入生は、いないわけではないのかもしれない。司書の人は何も聞かずに頼んだ三冊を出してくれた。

 二年前のアルバムを開く。二人で顔を寄せあって、一ページ目から順に捲って、オレンジがかった茶色の髪を探す。
 見つけた瞬間吹き出した。

「スルメ食べてる…」

 ヒヨリが笑いに震えながら呟いた。
 校内で堂々とスルメを食べている女子高生――阿吽のおばさん。皆の注目を集めている。おばさんが人目を引くのは、その奇行も少しは理由に入っていると思う。
 写るおばさんは全部、どこか変なことをしていた。クラス別の、生徒のバストアップ写真が並ぶものに写っているのはまだまともだけど、半目になっていた。


 次に四年前のアルバムを見る。正直、ここに探している人の写真があるか分からなかった。ここで見つからなかったら、五年前のアルバムに載っているはずの知り合いも見つからないだろう。
 はたして。いた。
 一年の春の遠足の集合写真。そこにシンタローさんが、赤いマフラーのあの人が、写っている。シンタローさんは失敗したようなひきつり気味の笑みで、アヤノさんは満面の笑み。
 二人が写った写真はこれだけだった。きっと、彼が写った他の写真には彼女が写っているのだ。学校も彼女をアルバムに残すか躊躇ったのだろう。結果があの集合写真。


 いよいよ五年前のアルバム。シンタローさんがいたから、きっといるだろう。
 はたしてそして。――いた。
 文化祭だろうか、電子ゲームの射撃をしている教室。髪の黒いコノハ、とエネ。僕らの知らないコノハ。……エネと対戦している赤いジャージの少年がシンタローさんに似ている気がする。


「いたね」

「……いた、ね」


 何を言いたいのか分からなくてそのば凌ぎに言った。そしたら、同じ言葉が返ってきた。
 僕らはただ、昔のコノハを見てみたかっただけだ。好奇心からの行動。こんなんだったんだね、と笑い合って、アルバムの固い紙を閉じるはずだった。ヒヨリのお姉さんのところにいるコノハに、アルバムを見たとからかい混じりに報告しようと。

 けれどあの夏を思い出して、感慨にふけった。隣にヒヨリがいて、一緒に高校に通えて、よかった、と。
 なんとなくヒヨリの方を見ると、僕を見ていたヒヨリと目が合った。

「ヒビヤの笑顔が気持ち悪くて目が離せなかっただけだから」

「…はいはい」

 僕と似たことを思っているのがよく分かるヒヨリの仏頂面から目を逸らして、アルバムを閉じる。
 チャイムが鳴った。

「…予鈴だ」

 呟いたヒヨリが三冊のアルバムをひとまとめにした。司書の人に返しに行って、戻ってくる。

「行こうか、ヒヨリ」

「そうだね。初日から遅刻はさすがに嫌」

 図書室を出て、日が床を照らす廊下を歩く。窓から見える桜は風に枝を揺らせて花びらを舞わせていた。
 自分の教室に戻ると、クラスメイトのほとんどが教室にいた。多分、ほとんどじゃなくて全員。
 席に着いて、リュックの中身を机の中に移す。本鈴が鳴って、担任らしき壮年の男が入ってきた。これから点呼をとって、入学式をして、教室に戻ってHRだろう。

 来年は、ヒヨリと同じクラスになれたらいいな。
 なれたなら、ヒヨリは仏頂面を張りつけた顔で笑うに違いない。


 …けれどヒヨリ、いつ僕に課題を返してくれるかなあ…。



END.








* * *
成長ヒビヒヨ日常ほのぼの、のはずがちょっぴりシリアスが入っていなくもない仕上がりになりました。
ヒヨリは点呼中やHR中、担任の話ガン無視で課題写してそうです。はたして課題提出の時間に間に合うのか。
海鮮様のみお持ち帰りOKです。書き直し受け付けます!

 

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