短編2

□これが精一杯
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「あんたすげえな、オレより女子力あんじゃねーの?」


 おいしそうに、自分が作った料理を食べてくれたからだろうか。


「あ、静かにしろよ、モモ寝てるから。……まあうるさくしたって起きないだろうけど」


 意外と気遣いができる、そのギャップの影響だろうか。


「ああああ無理無理無理ごめんなさい、ひいいい、出てくから、出ていきますからうわああああ」


 幽霊を怖がる姿が可愛かったからだろうか。
 彼女がアジトを訪れると心臓が嬉しげに跳ねた。話せば鼓動は強くなり、笑顔を向けられれば息が詰まった。彼女が帰ってしまう時、心臓は水を吸ったように重くなった。
 誰かに聞くまでもなく、これは恋だった。
 キドは困った。身近な異性は家族くらいしかいなかった。マリーは家族ではないが、セトがいるからか、そういう意味で好きにはならなかった。つまり、初恋だ。
 経験がないなりにキドは考えた。彼女、シンタローにはなるべくまるく接し、胃袋を掴むため料理や菓子を振る舞った。しかし考えついたのはそれくらいで、今は途方に暮れたままクッキーを焼いている。そろそろシンタローが来るころだ。  


「おじゃましまーす……」


 来た。
 相変わらずの覇気のない声に、赤いジャージ。ショートパンツと長いズボン、どちらも穿く彼女だが今日は長いズボンだった。安心したような残念なような、変な感じがする。
 リビングの方でカノがシンタローと話している。キドは苛立ちを感じながら、焼けたクッキーを皿に盛った。


「いやそれおっぱいだよおっぱい。シンタローちゃんまたおっきくなったんじゃない?」
「なんかエネも同じこと言ってたな……」
「キサラギちゃんと同じ大きさになるんじゃない? シンタローちゃんは大器晩成型だったんだねえ」
「あんま嬉しくねえな……重いだけだろこれ」
「全国の貧乳ちゃんに殺され……いたっ」


 ノリノリで話すカノの背中を蹴る。勢いが強かったのか、カノはソファから転げ落ちた。向かいのソファにいるシンタローが呆れながらも心配する。だいたい自業自得なのだから、心配なんてしなくてもいいのに。


「痛いよ何すんのさーキド!」
「お前……セクハラだぞ」
「ええ、そう?」
「いーよキド。気にしてない」


 シンタローが、手首を上げ、だらんとさせた手を左右に振った。顔色は白いままだから言葉に嘘はないだろう。
 キドは、カノを一睨みしてからシンタローにクッキーを見せる。いつものようにパッと笑顔になるものと思ったが、シンタローは一つ瞬いて硬直した。


「焼いてみたんだが……食べない、か?」


 彼女の表情で不安になり、弱々しい問いかけになってしまった。ちゃんとした笑顔を添えられているか自信がない。
 シンタローが口を開きかけ、つぐむ。宙を数瞬見つめ、目を伏せた。


「いや……悪い、今あんま腹減ってない……」
「……そうか」
「いやーシンタローちゃんついさっきからダイエット始めたから。シンタローちゃん食べないなら僕が貰うねいった!」
「お前にやるくらいなら俺が食べる」


 皿に伸ばされたカノの右手をぺしりと叩く。マリーと、後から来るかもしれないモモにやろうと思いつつ、赤面もせず胸の話をするシンタローが体重を気にしていることに疑問を持つ。カノの言うとおり、増えた重みは腹や二の腕、脚のものではないだろう――そこまで考え、己の思考がいやらしいものに思えて頭を振る。
 皿にラップをかけに台所へ戻るとカノがついてきた。
 
 
「きっと好きな人がいるんだよ、シンタローちゃん。じゃないとああいう子が体重気にするわけないし」
「うるさいぞお前」
「誰だろうね〜好きな人。交友関係考えるとメカクシ団の誰かだよね、もしかして僕だったりぐふっ」
「それだけは絶対にない」
 
 
 あまり固くない腹に肘をめり込ませてから皿にラップをかける。無表情を保ちながら、胸では気持ちの悪い、不快感のような何かがとぐろを巻いていた。自分が彼女に抱いているこれを、彼女が誰かに抱いている。その誰かを眠る前に思い浮かべたことがあるかもしれない、その誰かの一挙一動に一喜一憂したかもしれない。そう考えると、苛々するし、不快だし、気分が悪くなるし腹が立つ。俺を見ろ、と今すぐ彼女の腕を引いて目をこちらに向けさせたくなる。
 
 
「キド、キド、ラップ潰れるよ」
「……あ?」
 
 
 面白がるようなカノの声に思考から引き離される。何かを握っている右手を見ると、握られているラップの箱がひしゃげていた。気付かなかった。
 皿を台所に置いたままラップを棚に戻す。カノはまだリビングに戻らない。
 
 
「そんなに嫌ならもっとモーションかけたらいいんだよ。遊びに誘うとか、買い出しに付き合ってもらうとか」
「超がつくくらいのインドアにそんなことしてどうする」
「……確かに。でもさあ、お菓子と料理だけじゃ足りないんじゃない? なんか他にないの?」
「思いつけてたらやってる」
「確かに。あ、じゃあ男ってことを意識させるとか」
「どうやって」
「……」
 
 
 笑顔のまま、目線だけがつうっと動いて逸らされる。リビングへ向かいながらキドは溜め息をついた。具体的な方法なんてずっと前から考えている。しかし思いつかない。普段の接触だって、自分は口が上手い方ではないから、シンタローに話しかけるのも用件がある時くらいのものだ。本当に、何か手があるなら教えてほしい。
 リビングではカノが座っていたところに、自室から出てきたマリーがちょこんといた。もう冬も近いからか、白い毛織のショールを肩にかけている。
 
 
「あ、キド。カノもいたんだ」
「なんか僕おまけみたいな扱いされてない?」
「気のせいだよ。ねえキド、いいにおいするけどまたお菓子作ったの?」
「ああ。クッキーだが食べるか?」
「うん! 食べる!」
 
 
 たった今かけたラップを剥がすのは何とも言えない気分になるがまあいい。クッキーをとって戻るとマリーの隣にカノが座っていた。ソファーはどちらも二人掛けだから、キドが座れる場所はシンタローの隣しかない。カノを睨みたいようなそうでないような。見ると、ぺかーっとした笑顔をこちらに向けてきた。なぜだろう、殴りたい。
 まだ隣に座る決心がつかなかったので紅茶を用意しにまた台所へ戻る。シンタローへはコーラだと思ったが紅茶がいいと言われた。糖分の問題なのだろう。
 もう少し決心を固める時間が欲しかったのだが一人立ったままでは変に思われそうだ。何とも思っていない風を装ってシンタローの隣に腰を下ろす。かすかに身じろぎされたが、真横に人が座ればそうしてもおかしくはない。そう自分に言い聞かせる。
 それからはだらだらと会話をした。全員がクッキーを摘まむ。今度はキドも、カノを殴らなかった。シンタローはやはり食べたくなったのか食べないのは悪いと思ったのか、二つ三つを口に運んだ。
 
 
「んー、なんか寒くない?」
「もうすぐ冬だもんね!」
「言われてみれば……寒いな、夜にもなるし」
「……悪い、暖房は壊れているんだ」
 
 
 カノとマリーはすでに知っていることだが。日が暮れる前にここへ来たシンタローは、今の気温だと薄着と呼べる格好だ。腕を体につけ、脚を閉じ、なるべく表面積を小さくしようとしているように見える。
 
 
「じゃあ上に着る物かしてあげるよ! ほらキド、なんか持ってるでしょ?」
「お前の物の方がサイズが合うんじゃないか?」
「僕はそういうの一個しか持ってないし」
「単位が違うぞ……」
 
 
 僕も着てくるー、とカノが自室へ消えた。キドは彼の意図を察し、お膳立てに複雑になりながら立ち上がる。いいよ、とか別にそこまで寒くない、とか遠慮をしているが聞こえないふりをした。
 箪笥を漁るとセーターが見つかったが、これでは上にジャージを着るのはきつそうだ。クローゼットを開けて黒いダウンを手に取る。室内で着る物ではないと思うが暖房を使えないなら仕方ないと思う。持ったまま戻るとカノも戻ってきていた。セーターを着ている。一個しか持っていない、なんて、冬用の上着はないということになる。いくらなんでも分かりやすい嘘だ。シンタローもマリーも気付いていないようだが。
 
 
「ん」
「いや、悪いよ」
「どこに悪いなんて要素があるんだ。注意を怠って風邪をひく方が悪いことだろう」
「着なよシンタローちゃん、そのまま萌え袖だ!」
「は?」
 
 
 キドにはそれがどんな袖なのかは分からなかったが、シンタローは違った。やはり彼女は博識だ。
 なんかあざとくて嫌だ、と唇を尖らせ、シンタローはダウンを肩に羽織った。ずり落ちないように片方を手で軽く握って押さえる。そうするくらいならきちんと着ればいいのにと思う。
 先程より暖まったはずなのに目を右往左往させ、シンタローは何だか落ち着かない。ダウンを握る手にきゅっと力を込めたり、唇を小さく結んだり、頬を指で引っかいたり。
 
 
「シンタローどうしたの? まだ寒いの?」
「いや、もうあったかい」
「? クッキーのおかわりが欲しいの?」
「や……、ただ、……アジトのにおいはもう感じないくらい慣れたけど、服はそうでもないって思っただけだ」
「?」
 
 
 わざとぼかしたような言い回しで理解をしにくい。マリーは完全に疑問符を浮かべていた。キドも、そこまでではないが、飲みこむためにシンタローの台詞を反芻させる。
 
 
「あのねマリー、シンタローちゃんはつまり、『キドのにおいがする』って言ってるんだよ」
「ぶっ」
「っおいカノお前、っ、っ」
 
 
 とんでもない意訳に思わず吹き出す。シンタローは真っ赤になってカノに何かを言おうとしたが意味のあることは言えずに、口を開けて閉めてを繰り返していた。マリーはなるほど! とすっきりした顔で紅茶をすすった。冷めていたようで、淹れなおしてくるねと籍を立つ。
 自分がどんなリアクションをとればいいか分からずキドは硬直する。シンタローはいまだに口をパクパクさせている。カノは心底楽しそうに向かいのソファーの光景を眺めていた。
 どうしようもない空気を破ってくれたのは、シンタローのスマホのバイブだった。一言断ったシンタローがスマホを出すと、元気な声が飛び出てきた。エネが来たらしい。
 
 
「ごしゅじーん、ママさんが帰ってきましたよ! 一緒にご飯が食べたいそうです!」
「へ? ……早いな、珍しい」
「はい、だから団長さんと離れたくないのは分かりますが帰って下さい〜」
「は!? お前変なこと言うなよほんっと、もう、あー……ったく」
 
 
 またしても正しいリアクションが分からず、キドはノーモーションを決め込んだ。エネは自分の気持ちを知っている。だから彼女がからかったのはキドなのだが、シンタローもとばっちりを受けて申し訳ない。
 
 
「……じゃ、そういうことでおいとまするわ。キド、上着サンキュ。返すよ」
「うん、またねシンタロー」
「上着は今度でいい。気を付けてな」
「何言ってんのキド、送りなよ」
「は?」
「え?」
 
 
 またお膳立てが始まった。そういえば彼女を送ったことはなかったが、会話をずっと成り立たせていく自信が無いし、思いついていたとしても実行には移さなかっただろう。
 シンタローが別にいいと断るが、カノが譲らない。シンタローちゃんは確かに女子力がゼロに等しいけど生物学で言うと女の子だしおっぱいおっきいし、とゴリ押しする。胸のくだりでキドが殴ったので台詞は続かなかったが。
 舞台を整えるカノは途中で撃沈したが、キドが最終的にシンタローを頷かせた。会話が続かなくても、彼女を一人で帰らせるわけにはいかないと思い至ったのだ。今までアジトの玄関でさよならをしていたことに、今では自己嫌悪しかない。
 
 
「ま、こんなお膳立て、しなくても十分だけどねえ」
「お膳立て?」
「マリーは鈍いねえ」
 
 カノとマリーが何か話していたが、いっぱいいっぱいのキドにはよく聞こえなかった。
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