短編
□氷を溶かす魔法
1ページ/3ページ
秋の日曜日。コートを着るほどではないが、マフラーか手袋はつけたいくらいの寒さ。
オレは――オレ達は、校舎を見上げていた。オレとモモにとっては懐かしい、カノ達にとってはなんの思い入れもない、小綺麗な白い校舎を。
「ここが、モモちゃん達が通ってた中学校?」
「うん。お兄ちゃんも中学の時はまだ可愛いげがあったなあ」
「それはこっちの台詞だ」
「なに言ってんのキサラギちゃん。シンタロー君は今も可愛いよ」
「お前は黙れ」
可愛いげのないことを言うモモに言い返し、気持ち悪いことを言うカノの足を蹴っておく。
なぜオレ達がここにいるかというと。たまたま中学の頃の通学路を通って「懐かしいね、ここ歩くの」とモモが言ったのがはじまり。マリーがどうして懐かしいのかを訊き、モモがこの道が中学時代の通学路だったことを教えた。するとマリーはオレ達が通っていた中学を見たいと言い出した。それで、皆でここに来たのだ。
「誰もいなそうっすね。運動部とかいるかと思ったのに」
「この時期は定期考査だろうからな。部活動は休みなんだろう」
キドにその通りと言って、オレは辺りを見回した。敷地内に入れはしたが昇降口に鍵がかかった校舎には入れず、オレ達は外にいる。手を伸ばせば届くらい校舎に近づいて、周りを適当に歩いている。そろそろ一周する頃だ。
それに気付いたらしいキドが「帰るぞ」と呟いた。満足したのか、マリーは頷いた。他の皆も反対しない。
皆で歩く。懐かしさが足に絡みついて歩みが遅くなったオレは、最後尾になった。前にいるカノとの距離が一メートルくらい開く。
「なんの変哲もない校舎でしたね!」
「変哲がある校舎なんて見たことねーよ」
エネは興味深そうに校舎を見ていた。ずっとケータイを肩辺りの高さまで上げているオレの右腕は限界が近い。
「……?」
急に、目の前の地面に影ができた。丸い、段々大きくなる影。思わず立ち止まる。
上を見る。何かが落ちてきている。赤と黒の、何かが。
赤と黒を目で追う。まぶたの裏にちらつくのは、懐かしい笑顔。
落ちてくる赤と黒を目で追ったから、オレは当然、それがコンクリとぶつかる瞬間も目に写していた。
「……あ……?」
赤はマフラーだった。黒はセーラー服。落ちてきたのは、おんなのこ。
落ちてきたのは、アヤノ。
赤いヘアピンが外れかけている。白い肌が血の下敷きになる。血はコンクリに到達し、それだけでは飽きたらず広がりだした。赤がオレの靴に届く。虚ろな目がオレを見ている。半開きの唇が言葉を、
「シンタロー君!」
我に返ると、カノがこちらに駆け寄ってくるのが見えた。モモは血塗れのオレのケータイ(落としていたらしい)をハンカチで拭いていた。キドはケータイで救急車を呼んでいる。セトはマリーの目を塞いでいた。
喉元に何かがこみあがってきて、オレは目についた水道に駆け寄った。着いた途端、胃の中のものが口から落ちる。
誰かが背中をさすってくれた。後ろから伸びた手が蛇口を捻って水を流す。
「ぅ、く、…はぁ…っ」
「大丈夫?」
さすってくれているのはカノのようだ。返事をする余裕がないので頷く。
吐き気が収まってからもう一度彼女を見る。カノが止めたけど無視する。
……やっぱり、アヤノだ。
光のない瞳でこっちを見てる。
* * *
「……あ、起きた?」
目を開けたら、カノがいた。心底安心した、という風に笑っている。少しやつれて見えるのは気のせいだろうか。
それにしても、オレはいつの間に眠っていたんだろう――
違う。眠っていたんじゃなくて、気を失っていたんだ。
掛け布団をはねのける勢いで上体を起こす。すると目眩と頭痛に強襲された。
「ダメだよ急に動いたら。君、二日間寝てたんだよ」
「……二日?」
出した声は掠れていた。二日間寝ていたなら仕方ない。
カノは頷いて、「ちょっと待ってて」と部屋を出ていった。しばらくして戻ってきた奴の手には、ウーロン茶が入った150mlペットボトル。
ペットボトルを差し出され、キャップを開けて飲む。飲みだしたらとまらなくて、半分以上飲んだ。
「君はあのあとすぐに倒れてね。病院に運んだら、『疲れから気を失っただけならじきに目を覚ますだろうけど、ストレスを感じて脳が目覚めたくないと思っているなら、いつ起きるか分からない』って言われて、即入院」
言われて見てみると、ここは病室だった。白が基調とされていて、いやに明るく見える。個室だった。
目が覚めて時間が経つにつれ、気を失う前の出来事の記憶が戻ってきた。屋上から飛び降りた、赤いマフラーの。
気がついたら立ち上がっていた。ふらついてカノに支えられる。
「ちょ、どうしたの!?」
「あいつはどうなったんだ…!?」
「は? ――……あの時の子?」
「そうだよ…っ」
「……とりあえず座って」
強制的にベッドに座らされる。
カノはポケットから出したケータイを操作し始めた。ここ病院なんだけど。
「これ、見て」
見せられた画面に映っているのは、ニュースだった。中学校で少女が自殺した、という内容。
画面に赤いマフラーが映った。
けれどその子はアヤノじゃなかった。ヘアピンをつけていないし、髪もボブカット。顔も全くの別人。
アヤノじゃなかった。
なら、オレが見たのは、幻覚。
「……あ、は、はは…」
「…シンタロー君?」
「…………帰る」
「え? ――あ、待って」
カノと一緒に病室を出る。何やら色々話しかけられたが、適当に答える。
いつかと同じ、なにかが壊れてスッキリしたような、変な爽快感があった。
* * *
兄が部屋から出てこない。
いや、トイレとお風呂には行ってるけど。それ以外は部屋にこもっている。