夢小説 短編

□姿形は違っても
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 前聖戦からの生き残り、教皇シオン。先代の牡羊座の聖闘士であり聖衣の修復師。
 彼の天賦の才は、戦士としても修復師としても抜きんでて優れており、決して他の追随を許さなかった。

 まさに、聖域を束ねるに相応しい男だった。


 243年前、アテナから聖域統括者として生き抜いてゆけと命を受け、遠く離れた親友と共に長い年月を過ごしてきた。
 一度は壊滅状態にあった聖域を見事なまでに再建させた彼の手腕は、多くの人々から賛辞を送られ、彼は一身に尊敬を集めた。
 聖域には世界各地から献上の品々が届けられた。金銀宝石、各地の名産品や工芸品から食物までと多岐に渡っていた。それらは聖域の台所を支えるには十分すぎるほどの量だった。

 また、シオンは類稀な美貌の持ち主でもあったため、貢物の中には当然女もいた。それもとびきり上物の女達だ。
 
 女の多くは、絶対権力者である美貌の若教皇から寵愛を受けようと、着飾り化粧をし、常に互いを牽制し合っていた。
 夜伽相手を務める彼女らの中には、身籠った者もいたかもしれない。しかし、それがシオンの耳に入る事は決してなかった。

 シオン自身も、そういった事にはさして興味を示す訳でもなかった。どんなに見目の麗しい女でも、閨で睦言を耳元に囁けば、だらしがないほど簡単にシオンへ向けて股を開き、腰を振って獣のように下品によがり泣く。

 その程度の女何人と肌を重ねようと、何度女の腹の中に欲の塊を吐き出そうとも、満たされるのは体と若さに由来する性欲だけで、彼の心までが満たされる事はただの一度もなかった。

 シオンの心の内に眠る、身を引き裂かれんばかりの哀しみと孤独を理解する者は、聖域にはいなかった。


「教皇様、教皇様」
 肩を小さく揺すられ、シオンは目を覚ました。
「…ヘスティア様?」
 どうやら執務の合間にうっかり居眠りをしていたようだ。最近は多忙を極めており、睡眠時間を十分に確保できていなかった。
「『ヘスティア様』じゃありません!午前中からお昼寝はなさらないで下さい。執務が滞っていますよ!」
 両手を腰に当てて頬を膨らませる『ヘスティア様』。人間名を阿倍万里亜と言う。
  
 現世のアテナは日本で義務教育を受けているため、聖域にはたまにしか来られない。
 アテナ不在の聖域を守護する役割を引き受けているのが、炉の女神ヘスティア。彼女の神力で灯された聖火が、神話の時代から聖域を守り続けている。
 今生のヘスティアは日本で生まれ育ち、成人した。様々な経緯を踏んだ後、今は教皇宮でアテナ代行として日々忙しく立ち働いている。

 「…最近忙しいですし、睡眠不足ですか?」
「否定はいたしません」
 苦笑を浮かべるシオンをじっと見つめる万里亜。
「如何なさいましたか。私の顔に何か付いていますか?」
 万里亜は小さく息を吐きながら言った。
「ずっと、働いていらっしゃるんですものね。あの時からずっと」
 243年前の聖戦後、教皇位に就いたシオンを万里亜は覚えている。まだ若く、少し頼りなく思った。時々見せていた寂しげな表情も覚えている。

 今のシオンもあんな表情を見せる時があるのだろうか。
 
 今でも孤独を抱えているのだろうか。
 
 万里亜は無言でシオンを見つめる。昔と変わらず美しい男だと思った。形の良い輪郭にすっきりと通った鼻筋。彼の一族に共通する引眉は、エキゾチックな美しさを一層引き立てている。

 「貴方は相変わらず綺麗なままなのね。私はアミリアの美貌も美声も何もかも失くしてしまったというのに」
 万里亜の前世、アミリアは美しかった。
アミリアと出会ったばかりのシオンはまだ思春期で、彼女の美しさと溢れる愛情に敬服するばかりだった。
 それがいつの頃からか、その女神の心も体も全人類に注がれる愛情も、全て自分の手中に収めたいと望むようになってしまった。

 叶わぬ事と知りながら。

 しかしアミリアが選んだのは、魚座の聖闘士だった。美しい孤高の戦士。同性でも見惚れてしまうほどの美しさを持ったアルバフィカ。
 アミリアと魚座のアルバフィカが並ぶと互いの美しさをより一層引き立て合い、声を掛ける事さえ憚られるような、まさに絶世の美男美女だった。
 
 記憶の中に未だ残る彼らの姿を思い出しつつ目の前の万里亜を身比べる。万里亜は、十人並み以上の可愛らしい顔立ちをしているものの、絶世の美女とは言い難い。
 それでも自分の心は、女神の魂を恋い慕っていると知っている。

 シオンは椅子から立ち上がり、不満そうにしている万里亜の方へ近寄ると、ふっくらとした彼女の頬を両手で優しく包んだ。

 「例え貴女様のお姿が変わろうと、お声が変わろうと、私の心は変わりません。私は貴女を愛しています。もう200年以上も前からずっと…」
 
 シオンは万里亜の顔を上に向かせると、紅く柔らかい唇にそっと口付けをした。

 それは、240余年越しの念願の口付けだった。


 

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