夢小説 長編『child's play』

□child's playW
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 夕刻になりそろそろ終業時刻という頃、グラード財団からサガに連絡が入った。VIPとの緊急の商談依頼だった。カノンが幼児化してからは、彼の世話がある為なるべく早く帰宅できるよう心掛けていたサガだった。しかし、今日の依頼ばかりは断りようがなかった。また、代行を立てるにも、今日の各々の仕事内容を鑑みるとそれも困難だった。
『私が出向くしかないか』
 アテネ市内の支部まで行くだけなのだが、依頼内容から判断すると2〜3時間はかかりそうだ。その間カノンをどうするか思案する。
「まさか連れていく訳にもいかんし…」
 白羊宮に預けて、聖域に戻ってきたら引き取りそのまま双児宮に直帰するのが一番早くて確実な方法だ。しかし白羊宮には度々世話になっていて、つい一昨日もムウに寝かしつけまでしてもらったのだ。ムウは「子供の世話には慣れていますから」と快く引き受けてくれるイクメンの鑑だが、さすがに今日も頼むのでは心苦しい。
『文官の誰かに頼むしかないか』
 サガはデスクの上を整理し終えると万里亜の執務室へ向かった。
 カノンは万里亜の執務室で遊んだり、日本の子供向け番組のDVDを見て過ごす事が多い。一日一時間程度、武官筆頭のアイオロスが闘技場に連れ出して稽古をつける事もあるが、今日は生憎の雨なので稽古は休みだ。例え子供の姿とはいえ、カノンが万里亜と二人きりで過ごしている事にサガはいくらか嫉妬を覚える。カノンは精神も幼児化しているため、万里亜が完全に一人の子供として接している─甘えさせている─のも、サガの心をざわつかせる原因だった。
 白塗りに金装飾の豪華な扉の前に立つと、一呼吸置いてからノッカーを叩いた。
「失礼します」
 サガが扉を開けると同時に、中からカノンが顔を出した。
「パパ、おしごとおつかれしゃまでした!」
 目の前でぺこりと頭を下げるカノンにサガは思わず目を細めると、小さくなってしまった弟を抱き上げた。
「カノン、済まないがまだ終わっていないのだ。これからアテネ市内に行かなければならなくなった。お前はこの後、文官の所で待っていてくれないか?」
「どのくらいまつの?」
 サガの言葉を聞いたカノンの顔から、一瞬にして笑顔が消えた。
「そんな顔をするな。お前が寝る前には帰って来るようにしよう」
 唇を噛み締めて青い瞳に涙を一杯ためているカノンの様子に、サガの胸がズキリと痛んだ。
「サガさん、それでしたら私が預かりますよ」
 サガの方へやって来た万里亜がそう申し出た。
「いえ、ヘスティア様にはずっとお任せしておりますので、これ以上ご迷惑をおかけする訳にはいきません」
 頭を振るサガに万里亜は笑って答えた。
「迷惑だなんてとんでもない。こんなに小さくて可愛い子と一緒にいられるなんて、私、毎日がとても楽しいし、すごく幸せです。世の中のお母さんて、みんなこんなに幸せを感じているのかなぁって羨ましいし、私も早くお母さんになりたいなって思いますよ。だから、気にしないでパパはお仕事行ってらっしゃーい」
 万里亜は悪戯っぽい視線でサガを見上げながら、兄の腕でスンスンと鼻をすすりあげるカノンを抱き取った。「よっこいしょ」と言いながら抱き直すと「お姉ちゃんと一緒にお留守番してようね」と柔らかな頬にキスをした。
 サガは万里亜の一挙一動に、胸を鷲掴みにされた。自分とよく似た顔の幼子と生活し面倒を見ていると、男である自分にも母性と呼ばれるものが備わっていたのかと驚く。そして、幼子を間に挟んで交わされる自分と万里亜の会話にも、決して有り得ない未来を想い描いてしまう。

「私も早くお母さんになりたいな」
「パパはお仕事行ってらっしゃーい」

『私は何をバカな事を…』
 妙な想像をする自分を心の中で嘲ってから万里亜に一礼すると「では、カノンをよろしくお願いします」と言って、万里亜の執務室を出て行った。

 サガを見送ってから、万里亜はカノンを連れて教皇宮の厨房へ行った。カノンの分の夕食も用意してもらうためだ。その途中アフロディーテに出くわした。
「やあ、万里亜」
「アフロディーテさん!お仕事はもう終わったんですか?」
「いや、まだだよ」
 肩を竦めたアフロディーテは、万里亜と手を繋いでいるカノンに目をやると優しく頭を撫でた。
「良くも悪くも変化なしのようだね」
「ええ…」
 先日、薬師の島にアフロディーテを派遣すると言ったシオンに万里亜が異を唱えたからなのか、その任務の命令は未だ誰にも下されていなかった。カノンを元に戻す鍵となる何かが欲しいのは万里亜も同じだが、薬師の島の歴史を知った後では抵抗感がある。シオンがアフロディーテを選任したのは、彼が地脈を読み取り植物を支配できる能力を有しているからで、アルバフィカが過去、その島を訪れたからとかそこで交戦した冥闘士がアルバフィカの師と兄弟だったとか、それらの事象が考慮された訳でないと万里亜は分かっている。
「万里亜はカノンを連れてどこに行くんだ?」
「厨房です。カノン君のお夕食をリクエストしに」
「そうか。パパはこれからアテネに行くと言っていたからね。ムウの所と言い、父子家庭も大変だな」
 そう言って笑ったアフロディーテは、もう一度カノンの頭をくしゃりと撫でて、真剣な面持ちで万里亜に向いた。
「万里亜、明日薬師の島へ行って来るよ」
「え…」
 突然の告白に万里亜は絶句した。
「昔は薬学で栄えた島だったらしい。医療技術の発展に伴って今は無人島になっているそうだが、もしかしたら、過去の薬師達が何か残しているかもしれない。カノンを元に戻す手掛かりもね」
 アフロディーテは何も覚えていない。アルバフィカが過去にあの島で体験したことなど、何も。例え薬師の島へ行っても、アルバフィカの記憶を思い出すとは限らない。そう自分に言い聞かせるが、どうしても不安は募るのだった。
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