夢小説 長編『child's play』

□child ' s playX
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 西の空にあっても、夏の太陽はまだ暑い。薬師の島は鬱蒼と繁った木々に日差しを遮られていたのと、カミュが作り出したフリージングコフィンのおかげでだいぶ涼しかったが、炎天下に置かれていた船のデッキはかなり暑くなっていた。カミュが船室をほどよく冷やし、アフロディーテとメリッサに入るよう促した。
「アタシはいいよ。仮にも船長だからね」
 カミュの誘いを辞退してメリッサはデッキに残った。
 船室の窓からデッキに置いてあるエルダーフラワーの木が見える。その木を見下ろしているメリッサも視界に入った。彼女はウエストバッグからスマートフォンを取り出して、どこかに電話を掛けた。会話の内容は聞こえないが、その仕草や表情から相手は親しい間柄の人物だと思われた。
「ああやって電話で話をしている姿などは、ごく普通の少女のなのだが…」
 メリッサの様子を見るともなしに見ていたアフロディーテはそう呟いた。
「彼女の過去や運命は私も気の毒に思う。だが深入りはするな。余計に傷付けるぞ」
「分かっている」
 聖域がメリッサを傷付けた事も、聖戦で彼女を討ったのが聖闘士の誰かである事も変えようのない事実だ。せめて、これ以上傷付けないようそっとしておいてやりたい。
 潮の流れの関係か往路より短い時間で出発地だった港に戻ってこられた。
 朝の賑わいが嘘のように、夕方の港は閑散として静まり返っていた。今は波の音と遠くに海鳥の鳴き声が聞こえるだけだった。
 船が係留されてからエルダーフラワーの木を下ろした。
「お疲れ様」
 笑顔でそう言ったメリッサを見て二人は少なからず胸が痛んだ。今回の任務の同行は、彼女にとっては聖域からの『依頼』ではなく『命令』だった。礼金は前払いで受け取ったと言っていたが、果たしてどれだけの金額が彼女の手に渡ったのか。
「メリッサ、今日はどうもありがとう。君のおかげで無事に任務を終えられそうだ」
 アフロディーテはそう言いながら、赤い薔薇を一輪取り出した。
「これは私からのお礼だよ。棘は取り除いてあるから」
 そう言って耳の上に挿してやると、メリッサは顔を真っ赤にして俯いた。
「あ、ありがとう…」
 消え入りそうな声で礼を言うメリッサは、とても娘らしい姿だった。
「では、私達はこれで失礼するよ。この木を聖域まで持って帰らなければならない」
「もう一仕事だな」
 地面に置いてある大きな木を見ると溜息がでる思いだった。しかしメリッサがそれを引き止めた。
「待って。聖域から手伝いが来る事になっているんだ。船から連絡しているからそろそろだと思うんだけど…」
 先程の電話は聖域にしたものだったのか。
「一体誰に連絡したんだい?」
「セージ君だよ。知ってる?」
「セージ?」
 二人は首を捻った。自分達の知っているセージと言えば先代の教皇だが、前聖戦があった二百年以上前に没している。任務の手伝いに来るなら訓練生や雑兵ではないだろう。しかし白銀にも青銅にもその名前の人物はいないはずだ。
「セージ君、十八歳なんだって。身長はお二人と同じくらいかな。眉が丸っこい形していて猫っぽい顔してる。モフモフの金髪でさ、すっごいイケメンなんだよ。一回見たら絶対忘れないと思うんだけどな」
 メリッサの説明を総合して思い浮かぶ人物は一人しかいないが、その人物の名前はセージではない。
「それはもしかしたら…」
「あ、来たよ」
 カミュが言う前に『セージ君』が背後からやって来た。メリッサは『セージ君』に手を振っている。振り返らずとも、二人にはその人物が誰であるか発せられている小宇宙で分かった。
「メリッサ、無理な依頼を引き受けてくれてありがとう。アフロディーテ、カミュも御苦労だったな」
『セージ君』とは教皇シオンの事だった。
 二人はシオンを振り返りその場に跪いた。
「魚座のアフロディーテ、水瓶座のカミュ、薬師の島より帰還いたしました」
「え、え?どういう事?」
 メリッサは状況が把握できず戸惑う。
「メリッサ、こちらの方は聖域の教皇シオン様だよ」
「え!教皇様!?」
 それを聞いたメリッサも慌ててその場に膝を着いた。
「そのように畏まらなくて良い。誰かに見られても厄介だ。三人とも立ちなさい」
 シオンはそう言って、膝を着いた格好の三人を立たせた。メリッサはポカンとした表情でシオンを見詰めている。
「メリッサ、騙していて済まなかった」
「…どうして身分を隠してアタシに近付いたの?」
「私を教皇と知れば警戒したであろう?」
 サガの乱で命を落とす前、シオンはまだ幼いメリッサに会っている。人懐こく明るい利発な少女だった。ところが、十三年後に図らずも冥界で再会した彼女は、冷たい瞳をした残忍な戦士になり聖域に激しい憎しみの念を抱いていた。いくら冥闘士になったとはいえあまりの変貌ぶりに驚いたシオンは、教皇職に復帰してからメリッサの過去を調べ始め、そこで2年前の事件を知った。
「そなたを聖域の監視下に置く必要性があるのか見極めたかったのだ」
 メリッサは無言でシオンを見詰めている。
「そなたはこれからどうしたい?」
「…それで偵察に黄金聖闘士を寄越したって訳?一時でも聖域を、聖闘士を信じたアタシがバカだったよ。ふざけんな!どこまで人をバカにすれば気が済むんだよ!」
 メリッサは喉の奥から絞り出すように叫び、髪に挿してあった薔薇を取ってシオンの胸に投げつけた。
「今すぐアタシの目の前から消えてくれ!聖域なんて、アンタ達なんて大っ嫌いだ!これからどうしたいか?聖域となんて関わりたくないだけだよ!もう放っておいてくれ!」
 茶色の瞳に涙を貯めてシオンを睨みつけたメリッサ肩を震わせた。声を押し殺し奥歯を噛み締めて泣いている。
「メリッサ、私達は…」
「よすんだ、アフロディーテ」
 宥めようとしたアフロディーテをカミュが制止した。
「しかし…」
 カミュは無言で首を振った。この状況で何を言っても保身のための言い訳にしかならない。今のメリッサにはどんな言葉も届かない。
「わかった…」
 このような形でメリッサと別れるのは忍びないが、彼女の心情を慮れば仕方ない。ところが、シオンがそこに待ったをかけた。
「メリッサ、残念だがそうはいかないのだ。まだ、そなたには手伝ってもらいたい事がある」
 その言葉にメリッサが激しく反応した。
「いい加減にしてよ!こっちが困っていても知らん顔してるくせに、自分達が困った時は無理矢理にでも手伝わせるつもりか!?偉そうにしやがって!何様のつもりだよ!?」
 シオンをなじるメリッサの体から黒紫色の小宇宙が放出され始めた。このまま負の感情に引き摺られ冥闘士化されては、彼女と戦わねばならない。そうなっては再び冥王軍との戦が勃発する。どうにかこの場を収めなければならない。
「天立星ドリュアスのメリッサ殿、何卒我らにお力添えをお願いしたい。これは海を守る為にも重要な事なのだ」
 そう言ってシオンはメリッサに頭を下げた。
「教皇!何を…!」
 アフロディーテとカミュは目を見張った。聖域の教皇ともあろう人物が一介の冥闘士に頭を下げるなど、とんでもない話だ。ところが、海に関わる話と知りメリッサの態度が急に軟化したのだ。
「…どういうことだ?話だけは聞こうじゃないか」
「御厚情に感謝する。我々が薬師の島に渡った理由は存じ上げているか?」
「ああ。双子座の聖闘士様がちっこくなって困っているんだろ?」
「その通りだ。海闘士も務める双子座の弟を戻せる効果のある薬草を手に入れたかった。だが、我々はそこから薬効成分を抽出、精製する技術を持っていない。そこで、ルコの血筋であるそなたなら可能性があるのではないかと考え、今回の件を依頼したのだ」
「アタシの生業は船乗りだよ。薬師の業なんて知らない。悪いけど他を当たってくれ」
 そう言って踵を返したメリッサの手をシオンが掴んだ。
「聖衣に記憶があるように冥衣にも記憶がある。それを辿ればルコの記憶にも触れられるはずだ。これに成功すれば、そなたの一族を監視対象から外すと約束する。引き受けてもらえないだろうか?」
 シオンの手を振りほどこうとしたメリッサだが、その提案に反応を示した。
「今言った事は本当か?本当に監視を解除すると約束出来るのか?」
「無論だ」
「……」
 今まで聖域に踏みにじられてきた一族の尊厳を取り戻したい。聖域に都合良く利用されている事は分かっているが、ここで自分が全て呑み込んで最後の協力をすれば、家族のこれからの生活は守られる。
「分かった。やれるだけの事はやってみる。だけど、さっきも言ったようにアタシは薬師の業を知らない。期待しないでほしい」
「いや、そなたなら必ず出来ると信じている」
 シオンは力強く答えた。
「では済まないが、明朝八時に使いを寄越すので、聖域へ来ていただきたい。それで良いだろうか?」
「八時だね。承知したよ」
 メリッサから協力の了承を取り付けた事で、カノンが元の姿に戻れる希望が見えてきた。
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