短編

□お題小説
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お題、星、海、世界

 入院生活を始めてからもう、二年になるだろうか……
 俺よりあとに入ってきた患者が退院して行くのを、何回も見送った。
 入院に際し、医師から告げられた内容は実に、シンプルなものだった。
 延命は出来るが、病巣の根絶は、ほぼ不可能……だそうだ。
 幼い時分から、入退院を繰り返していた俺にとって、この長期入院は、さほどのショックはなかった。
 ただ……『やっぱりな』という思いがあるだけだった。
 以来、俺の世界は院内と、窓から見える、外の景色だけとなった。
 窓からは季節の変わり目と共に、色付く中庭の木々や、見上げれば青く高い空、夜には瞬く星々も見えた。
 でも、そのどれもが俺にとっては暗鬱で、意味のない物だった。
 また、無駄に時が過ぎた……と、虚しさにも、諦めにも似た感情があるだけだった。
 死ぬ事が怖いわけじゃない、無意味に生きて、無意味に死んでいくのが怖かった。
 通りの木々が観る者を楽しませるように、瞬く星々に神話があるように、僕にもこの世界に生きる意味が欲しかった。
 
 俺はこの世界に、何も残していない……

 だから、俺は日記を書き始めた。俺が感じた事、思った事、見た事、聴いた事を書き綴った。
 せめて、文章にして俺の想いを残しておきたかったからだ。幸いにも時間はまだ、残されている。
 時には、童話なんかも書いたりした。童話の中の住人達は、狭い世界にいる俺の代わりに動き回り、泣いたり、怒ったりしていた。 鬱々とした、入院生活の中でも、文章を書いている時は、全てを忘れる事が出来た。
 そう……あれは童話を書いていた時だった、その子は、大きな目を好奇心に輝かせながら話しかけてきた。

「お兄ちゃんは、なにをしてるの?」
「おわぁ!?」
 日課になった、童話を書いていた時の事だ、五、六歳の男の子が俺の背後から、突然話しかけてきた。
「びっくりしたぁ……君は?」
「ん? 僕? やなせとおるだよ!」
 男の子は物怖じせず、自分の名前を言う。その、とおる君に話しを聞くと、祖父の見舞いに来たが、母親が看護婦と話しをしているらしく、暇で病室を抜け出して来たらしい。
「これ、絵本でしょ? お兄ちゃん、読んでよ」
 とおる君が、俺のノートを指差し言う。
「え? 今、ここで?」
 本は人に読んで貰う為に書くものだけど、俺はまだ、自分が書いたものを、人に読ませた事はなかった。だから、読んでと言われ、少し慌てる。
「いいじゃん、お兄ちゃん、さっきも読んでたじゃん」
「え? 俺、声に出てた?」「うん! ろうかまで聞こえてたよ?」
「あちゃあ! それは恥ずかしいなぁ」
 どうやら、俺は文章を読み返す時、声に出す癖があるらしい……本当に恥ずかしい……海より深く反省しなければ。
 こうして、この少年と俺の、奇妙な交流は始まった。
 見舞いの度に、とおるは俺の病室に寄り、童話の続きをせがみ、俺はそれに間に合わせる為に童話を書く、中々大変な作業ではあったが、苦にはならなかった。
 小さな観客が喜んでくれるのが、堪らなく嬉しかったからだ。

 窓の外を見て、記憶の海から帰還する。目を閉じれば昨日の事のように、全てが思い出された。

 もう、通りの木々に嫉妬する事はないだろう。
 もう、夜空の星々を羨む事はないだろう。
 ほんの少しでも僕は、僕の生きた証を伝えられたのだから。
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