長編小説〜Double Helixシリーズ〜完結
□帰還
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カッカッカッカッッ…。
長い石造りの柱廊を駆け抜ける。
中庭の剪定をしていた庭師のゼブロが足音の主を見やった。
柱廊を走り抜ける銀髪がチラリと見えた。
『そうか、帰ってらっしゃったのか、随分大きくなられて…。』
庭師は嬉しそうに白髪交じりの後頭部を撫でた。
何百年も前から佇まいを変えていないと言われる古色蒼然とした校舎の中庭に、昨夜までの冷たい雨が嘘の様な柔らかい陽射しが降り注いでいた。
始業早々遅刻なんて、我ながらダッセー。
息を切らせて、大きな大理石の柱を掴んで、勢い良く曲がる。
本当なら昨日から入寮する筈だったのに、子離れ出来ない母親に今朝ぎりぎりまで離して貰えなかった。
一年振りに帰った実家だったから、たった二泊三日の滞在では、オフクロが満足する筈が無いなんてすぐ予想できた話なんだけど。
出掛けに母親にキスされまくった頬を無意識に拭い、少年は駆け足を早めた。
やっと大講堂のいかめしい扉が見えてきた。
少年は扉より随分離れた場所で立ち止まると、壁の下側に水平に彫ってある鳥の彫刻の一部を押した。
すると、その下の壁の一部がゴトリと音を立てて指が入るくらいの隙間が開いた。
「ラッキー!まだあった!」
人一人抜けられる位のスペースを開けると、少年はその中へスルリと身を滑り込ませた。
新たな年度を迎えるにあたり、ネテロ学長のスピーチが大講堂に響き渡る。
大講堂には全校生徒、千数百名が静かに座って学長の話を聞いていた。
どこから現れたのか、何事も無かった様に隣に座った少年に懐かしい雰囲気を感じて、ゴンは嬉しそう隣を振り向いた。
『キルア!!』
『よっ!久し振り、ゴン!』
キルアは一年振りに再開した友に、ニカッと笑った。
ゴンの声が目立ったのか、前方に座る教師が此方に振り向いた。
慌ててゴンは声を潜めた。
『昨日帰って来るって思ってたから心配しちゃったよ!』
『ギリギリに帰国したらさ、中々こっち来させて貰えなくってさ、で、今来たんだ。』
『後で色々教えてね!』
『オッケ。』
ネテロ学長のスピーチが終わり学校生徒の代表達が壇上に上がった。
鮮やかなブルーのベストは、彼等が「カレッジャー」である事を物語っている。
『誰、アイツ?
あんな奴うちの学校に居たっけ?』
その中でも、一際目立つ人物が、キルアの目を捉えていた。
その人物はハスキーでいて凛とした声で、パブリックスクール独特のアクセントで挨拶をした。
眩しい程の金髪、抜ける様に白い肌、遠目にもそれと分かる整った顔立ち。
『そっか、キルアは知らないんだね。
彼はクラピカ・ノストラード。
キルアと入れ変わりのタイミングで編入して来たんだ。』
『編入生でカレッジャー?
有り得ねーだろ、普通。』
じろりと教師が此方を睨む。
二人は慌てて口を噤んだ。
キルアが訝しむのも無理はなかった。
『カレッジャー』とは、各学年百数十名の中で選抜試験に合格し続ける十数名の成績優秀者であり、スカラー(奨学生)として選ばれた者達だった。
長い伝統と荘厳な歴史を持つこの学校は、古くから王族や元貴族等の上流階級出身の子息が多く、始学年から入学する生徒が殆どである。
この学校ならではの特別な授業、それは一般的な勉学は勿論の事、スポーツ、音楽や美術等の芸術、さらには紳士として必要な諸々の教養や所作、それら総合的なカリキュラムがあり、編入していきなりカレッジャーになるなど不可能で、実際聞いた事も無かった。
何よりカレッジャーに選抜される者達は、実際、一般人ですらその名を知る程の所謂名家の出身者しか居なかった。
長い始業式が終わると、ゴンとキルアは真っ先に自分達の寮であるハウスに向かった。
「良かったね、また俺達同じハウスで!」
「ああ、俺、絶対ゴンと同じハウスが良いって、爺さんに言っといたんだ。
上手く学長にとりなしてくれたみたいだな。」
「あ、そうなんだ…、流石ゾルディック家…。
俺、偶然だとばっかり思ってた。」
「で、ハウスマザーって誰?」
「シスターパクノダだよ。」
「またかよ〜、また前みたいに俺達悪童扱いじゃん!
で、ハウスマスターは?」
「サトツ先生だよ。」
「誰だっけ?
俺、サトツ先生の授業受けてないから知らねーや。」
「俺もあんまり知らなかったんだ。
確か数学の教授だよね。
表情読めないけどいい人みたいだよ。」
ふーんと返事をしながらキルアはハウスの階段を駆け上がった。
一年振りのハウスはやはり古く格式張っていて昔と変わらず微かにカビの臭いがした。
ゴンと一緒に届いていた荷を解きながら、二人はこの一年にあった事を語り合った。
交換留学で行った国の話をキルアは面白おかしく語った。
ゴンはまだ海外に出た事が無い為、ワクワクしながらその話を聞いていた。
「シスターパクノダ!」
ノックの音に振り返ると、ほこりが出るので扉を開け放してあった入口にシスターパクノダが立っていた。
「久しぶりですね、キルア・ゾルディック。
実りある留学生活でしたか?」
「はい、マダム。」
大の男より上背のあるパクノダを見上げながらキルアは作り笑いを浮かべて答えた。
男子のみの全寮制であるこの学校では、ハウスでの生活全般に於いて生徒をサポートしてくれるハウスマザーはその名の通り母親代わりであり、学園にいる女性はシスターである彼女達しか居ない。
敬意を評して生徒は彼女達をマダムと呼んでいる。
「後程ハウスのチューターが挨拶に来るでしょう。
これから色々学んでいくのですから、きちんと自己紹介するように。」
パクノダは彼等が入学した時のハウスマザーで、随分教育的指導を貰ったものだった。
「マダム、僕達のチューターは誰なんですか?」
ゴンの問い掛けにパクノダはニッコリ笑って答えた。
「それは会ってからのお楽しみです。
ただ、あなた達はとてもラッキーだと思うわ。」
そう言ってパクノダは部屋から出て行った。
「うわ〜、気になるな〜!
誰だろうね、俺達のチューター。」
チューターが誰かが気になるのは至極当然の事だった。
下級生には1ハウスに一人、先輩のカレッジャーがチューターとして付く。
チューターはハウスに居住する教授(ハウスマスター)やハウスマザーと連携しながら、先輩として、担当したハウスの下級生の勉強は勿論の事、寮含め学校生活全般の指導やサポート、監督を行う。
このシステムは下級生の為だけでなく、カレッジャー自身が良き指導者、リーダーとして育つ事も狙ってのものだった。
しかし現実は、下級生を召使いの様に扱ったり、イジメやリンチを行うチューターも居る為、チューターが誰かによって下級生の学校生活は大きく変わるのだった。
キルアの荷物を粗方整理し終えると、二人はハウスマスターのサトツ先生の部屋へ挨拶に向かった。
「君がキルア・ゾルディックですね。
学長から聞いています。
お兄さんは、イルミ君は元気ですか?」
「ええ、まあ。」
表情に一瞬警戒の色を浮かべて、キルアは言葉を濁した。
「ところでゴン君、君は数学が苦手の様ですね。
分からない事があったら、遠慮無く聞きに来なさい。
キルア君も、あちらの国のカリキュラムとウチでは随分違うでしょうから、遅れは急いで取り戻す様に。
私やチューターに何でも相談しなさい。」
サトツ先生の部屋を後にして、二人は夕食にカレッジホールへ向かった。
カレッジホールではハウス毎に食事をとる席が予め決められている。
何人かの生徒が、キルアに一年振りの再会の挨拶にやって来た。
名門中の名門であるゾルディック家のキルアには多くの人間が良きにつけ悪しきにつけ様々な思惑を持って近づいて来る。
取り巻きが居なくなってやっと二人は食事を始めた。
「キルアってお兄さん居るんだね。
ここに通ってたなんて知らなかったよ。」
キルアは俯いてミートボールをフォークでつつきながらつまらなそうに答えた。
「居るよ。
カレッジャーだったんだ。」
「へえ〜!凄いね!」
「どうだかな、あんまり話さねえし。」
キルアには二人の兄が居た。
長兄のイルミは由緒正しいゾルディック家の後継ぎとして幼い頃から自分達とは違う育てられ方をしていた。
何時もイルミだけは特別で、何かにつけ親父と一緒にいた思い出が多い。
年が離れていた所為もあって、それでも昔は可愛がってもらっていた様に思う。
ただ、始めは自慢の兄貴だったのに、それがいつの間に違う感情に変わっていった。
イルミは一族の期待通り、勉強にもスポーツにおいてもとびきり優秀だった。
イルミを知っている人達は皆彼を褒め称えた。
二番目の兄ミルキはイルミの直下だった事もあり、尚更兄とあからさまに比較された。
容姿においても明らかに劣っていたミルキは、それでも昔はそれなりの努力はしていた。
その甲斐むなしく、何をやっても兄貴に適わず、挙げ句の果てにゾルディック家代々進学していたこの学校にも入学出来なかった。
忍耐力も根性も無かったミルキは、いつからかイルミに完全に隷属し、その手下として生きていく事に存在意義を見出した。
イルミの意思を即ち自分の意思として、その権威を借りて動く方が、兄貴に負けじと努力するより楽だったし、何よりメリットが多かった。
そんなミルキの事をある晩イルミはこう言った。
その日その場所にはイルミとキルアしか居なかった。
「早く死ねばいいのにね、アイツ。
俺がいなきゃ何にもできないなら、生きてる意味なんか無いのに。」
暖炉の前のロッキングチェアーに座ったイルミはそう言った。
そして横に立っていたキルアに、
「ねぇキル、そう思うだろう?」
と同意を求めた。
その表情は能面の様で何の表情も読み取れず、瞳を覗き込むと底の無い深く暗い穴に落ちていく様な錯覚を覚えた。
「…。」
キルアは発する言葉が見つからないまま黙っていた。
「やっぱりキルもそう思うよねぇ。
あのさ、俺、キルの事はあの豚よりは遥かに認めてるんだ。
だからさ、アイツは勝手に死ねばいいんだけど、お前は俺の気に食わない事しないでね。
もし俺に刃向かったら、分かるよね。
キル、お前には俺が直接手を下すよ。」
まるで天気の話をする様に口調でイルミはそう言った。
全身が総毛立ち、冷たい汗が流れ落ちる。
逃げ出したくなる様な、暗いオーラと威圧感。
よく知っている兄なのに、目の前にいる兄は最早生物ですら無く感じる程、遠い存在だった。
何故イルミがそんな事を言うのか理解できなかったが、キルアはなるべくこの兄とは関わり合わない様にしようと強く思った。
「ルア、キルア!」
目の前でゴンが不満そうにキルアを見つめている。
「ああ、ゴメン…。」
「で?
さっきの続き話して!
あっちの学校の話!」
そうそう、と留学先の話をすべく、キルアは身を乗り出した。
それでも頭の隅には底の無い真っ黒なイルミの瞳が染みの様にこびり付いていた。
ハウスに戻ってからも、キルアの留学していた学校のワクワクする様な体験談は尽きない。
ゴンやルームメイト達は目を輝かせて異国の同世代の生徒の話を聞いていた。
ドンドンッ…。
話に集中し過ぎて、恐らく何度目かのノックに一同は気付いた。
「やべっ、パクノダだ!
俺らうるさかったんじゃね?」
キルアはしまったと舌打ちした。
いずれ昔の様に問題児扱いされるのだろうが、初年度早々から目を付けられるのも面倒だった。
「ゴメンナサイ!
うるさかったですか?」
そう言いながら慌ててゴンはドアを開けた。
天使が居るならこんなだろう。
まるで絵画から抜け出てきたかの様な天使がそこに居た。
キルアは一瞬眼をぎゅっと瞑り、もう一度大きく見開いた。
「クラピカ!」
ゴンが満面の笑みでクラピカに駆け寄った。
「随分騒がしいな。
もう直ぐ消灯だぞ。
さて、遅くなってすまない。
私が君達のチューターだ。
また一年宜しくな、ゴン・フリークス。」
口調の割に、クラピカは零れる様な笑みを見せた。
キルアは、まるでそこだけ花が咲いた様な笑顔に釘付けになっていた。