長編小説〜Double Helixシリーズ〜完結

□混沌
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黒く厳しく聳え立つ門のシルエットが朝靄の中に浮かび上がる。
門柱のガーゴイルが靄が薄くなるにつれその異形を晒す。
寒さの所為だけではなく、キルアはブルッと身を震わせると門の中に入った。
ギギギィッと門が閉まると朝靄の中に人影が現れた。

「お久し振りです、キルア様。」

その声に僅かに緊張を解いてキルアは応えた。

「お早う、カナリア。
久し振りだった……って、どうしたんだ、お前?」

靄の中から現れた少女は、キルアが小さい時からこの屋敷に仕えていた執事のカナリアだった。
執事と家族しか住まない山一つを有するこの広大な敷地で育ったキルアにとっては、執事の中では年が近いカナリアはキルアが最も親近感を抱く人間だった。
静かに現れたカナリアの腕は、真新しい包帯で吊るされていた。
いつも両手に捧げ持つステッキは、左手に所在なさげに握られていた。

「いえ、…あの、転んでしまって…。」

屈強の執事連中の中で唯一の女性、今や正執事のカナリアが転んで腕を骨折するなど考えられなかった。
キルアが疑問の言葉を投げかけ様と口を開いた瞬間、

「キルア様、お久し振りです。
本邸までお連れ致します。
お話は、それからになさって頂けませんでしょうか?」

その太い声も馴染みのもので、キルアは声のする方を向いた。

「ゴトー…、」

言葉遣いは丁寧だが有無を言わせぬ執事長の迫力に、キルアは黙って迎えの車に乗った。
去り際に苦しげに眉を寄せるカナリアが頭を下げる姿を、キルアは不審な気持ちのまま横目で追った。



山の中腹の鬱蒼とした森の中にその巨大な本邸はある。
石造りの屋敷は変わらず陰鬱で、至る所から冷気が染み出している。
応接に通そうとするゴトーを見上げてキルアは言った。

「ゴトー、俺、別に休暇で家に戻った訳じゃないんだ。
イル兄は居る?」

ゴトーの額が僅かに曇った。

「いらっしゃいます。
が、キルア様、イルミ様にはお会いにならない方が宜しいかと…、」

「俺は兄貴に話があってここに来たんだ。
お前が口を挟む事じゃない。」

キルアは強い視線をゴトーに投付けると、イルミの部屋へ向かった。
ゴトーは何も言わず頭を下げた。
その眉間がいつもに増して深く寄せられるのにキルアは気が付いていた。

イルミに会って何を言うのか、キルアは長い廊下を歩きながら考えていた。
クラピカに行った酷い仕打ちに対して、奴に何を求めるのか?
訳を聞いたところで意味は無かった。
詫びの言葉など出る筈も無いだろう。
例えクラピカに対し少しでも反省するところがあったとしても、否、涙して懺悔の言葉を聞いたところで、クラピカが負った忌まわしい傷も、キルアのこの遣り切れない思いも二度と払拭される事はないだろう。
けれどキルアは、だからと言ってあのまま学園に居続ける事など出来なかった。
何を言えばいいか判らないが、とにかくこの持って行きようもない怒りをイルミにぶつけたかった。

イルミの部屋の前まで来ると、キルアはスウッと深呼吸してドアノブに手を掛けた。

「キルア様、少々お待ち下さい。」

応接室からずっと付いて来たゴトーが、小声で言った。

「ゴトー、お前まだ俺を止める気か?
俺は…、」

「そうではございません、キルア様。」

イラつくキルアの前でゴトーは鍵を取り出すと、イルミの部屋の鍵を二種類も開けた。
なんで外から鍵なんて?キルアは疑念の目でゴトーを見上げた。
ゴトーは何も応えず頭を下げると、そっとドアノブを押した。

「イルミ様、キルア様でございます。」

開け放たれた扉の向うに広がっていたのは、一面の雲だった。
暫く呆然と立ち尽くしていたキルアは、唾を飲み込むとその部屋に足を踏み入れた。
ふわりと白いものが舞い上がる。
雲だと思ったものは羽だった。
部屋中が白い羽毛で埋め尽くされていた。
そして足を踏み入れた途端、思わずキルアは呻いた。
酷い異臭が部屋を覆い尽くしていた。
それはすえた腐臭の様な匂いだった。
吐き気を覚えながらキルアは怖々と歩を進めた。

「やあキル、久し振りだね。」

ギクリとキルアの足が止まる。
部屋の最奥にある天蓋付きの白いベッドの上に、イルミが座っていた。
元々白い肌は青白くこけ、何も映し出さない漆黒の瞳は更に闇を深めていた。

「…兄貴……、」

キルアはこの異様な光景に言葉を忘れ、ただ兄を見詰めていた。

当然バタバタッとイルミの脇から白い鳥が舞い上がろうとした。
イルミは片手を上げると、異様な速さでその鳥を捕まえた。

「キル、こいつらはね、面白いんだよ。」

抑揚の無い声でそう言いながら、イルミは空いている手をベッドサイドに伸ばした。
そして、フルーツバスケットに入っていたフルーツナイフを取り出した。

「こいつらはどこにでも行けるだろう?
でもほら、」

ギィィィィーッッと耳を覆いたくなる程の絶叫が部屋に反響した。
そしてイルミの手元から鮮血に染まった白い物体がポトリと床へ転がり落ちた。
イルミの手には血の滴り落ちる翼が握り締められている。

「こうすると、足だけでああやって走り回るんだ。
滑稽だろう?
醜いだろう?」

両翼を切り取られた鳥は、劈くような叫び声を上げながらカチカチと床を走り回っている。
流れる鮮血が白い羽毛と辺りの羽毛を赤く染めていく。
あまりの光景にキルアは言葉も出ず、代わりに激しい吐き気を感じ、思わず開けた口からはひゅうひゅうと嫌な音がした。
冷たい蛇のような汗が流れ、心臓が痛い程胸を打ちつける。
イルミは狂った様に走り回る鳥を眺めてクスクスと笑っていた。
いや、音としては笑っているが、その表情は能面の様に何の変化も無かった。

「キル、学校は楽しいかい?
懐かしいなあ、もう随分忘れてしまったけれど。
ねえ、キル、教えてよ。」

イルミは血に染まったナイフを、サイドテーブルにあったシルクのナフキンですっと拭くと、バスケットにあった赤い林檎を取り出した。

「ねえ、キル、教えてよ。」

嫌な汗がこめかみから滴り落ちた。
やっとの事で口を開けると、キルアは蚊の鳴くような声で応えた。

「…サ、サッカー部が……リーグ優勝……した。」

プスリ

イルミの持つナイフが林檎を刺した。

「そう、僕も新聞で読んだよ。
キルは見に行ったのかい?」

プスリ

「…ああ、友達が…出てたから……、」

喉が引き吊れて上手く発音できない。

「そう…、」

プスリ

「友達…、それは楽しそうだね。」

プスリ

奈落のような瞳の黒が更に深まった様に感じる。

「いいね、キル。
幸せそうだね。」

プスリプスリ

血生臭い匂いの中に、林檎から染み出す甘酸っぱい果汁の臭いが混ざる。
キルアは思わず嘔吐いた。

「兄さんはねえ、学校に居た時も、外には出た事が無いんだよ。」

プスリプスリ

「出かける時はこの屋敷以外行き先は無かったからね。」

プスリプスリプスリ

ゴロッと林檎の一部が欠けた。

「キルア様、」

突然のゴトーの囁きにキルアは思わず叫び声を上げそうになった。

「そろそろ部屋を出ましょう。」

キルアは無言で微かに頷いた。

「キル、いいね、楽しそうだね。
兄さんには判るんだ。
お前はいつだって…」

ナイフを持ったままイルミがベッドから片足を降ろした。
キルアはじりじりと後ずさりをした。
ゴトーがキルアの片腕を引いた。
よろよろと後ずさると突然足元からギイイイッと叫び声が上がった。
ギョッとして足元を見ると、さっきの両翼を切り取られた鳥が、キルアの足元で嘴をパクパクしながら転がっていた。
灰色の脚がそこだけ機械仕掛けの様に回転している。
キーンという酷い耳鳴りで頭がグラグラする。
眼球だけで辺りを見回すと、積もった白い羽には乾いた血や肉が付いるものもあり、羽毛の陰に屍になった鳥が何羽も転がっていた。

「キル、もっと話を聞かせてよ。」

はっと目を上げるとナイフを持ったイルミが此方へ向かって歩いて来る。
キルアは瞬間にドアを目掛けて走った。
ドアノブに手をかけた瞬間、まるで耳元で話し掛けられた様にイルミの声がした。

「キルア、お前はまだ羽を持ってるかい?」

イルミの伸ばした手がキルアに触れる寸前、バタンッとゴトーが扉を閉め、即座に鍵を掛けた。

キルアはその場に崩れ落ちた。



「キルア様……、」

まるで気の抜けた様に応接のソファに座るキルアにゴトーが紅茶を差し出した。
抱えるようにして連れて来られたキルアは、暫くの間放心状態だった。

「…何があったんだ?」

紅茶を飲んでやっと落ち着きを取り戻すと、キルアは僅かに震える声でゴトーに問い掛けた。

「判りません…。
ただ、少しずつイルミ様の言動がおかしくなられて…、」

「…カナリアも兄貴が?」

「……ええ。
突然発作の様にカナリアに襲い掛かって。
実は先日、奥様とミルキ様もイルミ様に刺されて…、今入院されていらっしゃいます。
ミルキ様は重体だったのですが昨日持ち直されました。」

「一体どうしちゃったんだ、兄貴は…、」

キルアは、扉が閉まる瞬間に目の端に映った、イルミの絶望に染まった暗い瞳を思い出して、またブルッと身を震わせた。

「キルア様、シルバ様がお呼びです。」

部屋を出ていたゴトーは戻るとそう言って、少し小声で言った。

「旦那様はイルミ様の件で酷く落胆されていらっしゃいます。
是非元気付けて頂けると宜しいかと。」

キルアは曖昧な返事をすると部屋を出た。
この状況で何をどう言えば元気が出ると言うのだろう。
自分だって何をどう解釈したらいいかも分からないのに、親父に会ったってかける言葉なんて見つからない。
キルアは暗い面持ちで、いつもより長く感じる廊下を父親の部屋に向かった。

「キルアか。」

ドアを開けると暖炉の前のチェストに、後ろ向きの豊かな銀髪が広がっている。
深みのある野太い声は昔から変わらない。

「親父…。」

椅子が回転し、ゾルディック家の当主、キルアの父親、シルバ・ゾルディックがゆっくりと振り向いた。

「そこへ座れ。」

キルアは父親が示したソファに落ち着かない様子で腰掛けた。

「無断で学校を抜け出したそうだな。」

「……。」

「ネテロ学長には早い冬休みを取らせて貰ったと伝えておいた。」

「……。」

「二度と無断で学校から抜け出すなよ。」

「……分かったよ。
そんな事じゃなくて親父…、」

学校の事など、今はどうでも良かった。
キルアはこの家に戻ってからの異様な事象を問おうと口を開いた。

「イルミに、…会ったな。」

「…兄貴は一体どうしちゃったんだ?」

キルアは身体を前に乗り出した。
シルバは暫く黙って目を瞑っていた。

「…キルア。
お前にこの家の後継者になって貰う。」

「!?」

余りの唐突な展開にキルアは二の句が継げなかった。

「分かっただろう?
アイツはもう駄目だ。」

キルアは奥歯を噛み締めた。

「何言ってんだよ、今そんな話関係ないだろう!?」

「大ありだ!」

シルバのドスの利いた声が部屋に反響した。

「このゾルディック家にどれだけの人々が関わって居るか分かってんのか?
お前のよく知る執事以外にも、事業も多く抱えている。
ゾルディック家を統べる者が居なければ、何百何千という人達が路頭に迷うんだぞ!
その人達の家族はお前には関係ないのか?
当たり前で気付かないんだろうが、お前が生まれた時から何不自由なく過ごしていられるのも、そうやってゾルディック家の元で働いてくれている人達が居るからこそなんだぞ!」

父親の剣幕に些か怯みながらもキルアは反論した。

「だから兄貴が居るだろう!?」
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